俺の気持ち。
お久しぶりです!
何ヶ月ぶりかの更新となります。
note書きたいとき来るかなぁと思っていたら
くるもんですね!笑
やっぱこうやってnote書いて想いを伝えたいってときに書くと、止まらず想いが溢れてくるんですよね。
なのでその想いぶつけます。
私の中で過去1番長いnoteなので、ブログというより、本を読む感覚で読んでください。笑
■怪我をしたときの状況と思ったこと
■実家帰る前日の夜にあの先輩宅に誘われたこと
■手術前に実家(千葉県)に帰って思ったこと
■入院〜手術前の流れと状況
■手術後の流れと状況
■改めて思ったこと
この6つに分けて話したいと思います。
簡潔に想いを伝えます。
最後まで読んでもらえたら嬉しいです😊
1.怪我をしたときの状況と思ったこと
2月4日(木)いつも通り練習でした。
去年の11月29日(日)のJFL最終節VSテゲバジャーロ宮崎戦。
後半に右足内側靭帯損傷してしまい負傷してしまいました。
そこから2ヶ月が経ち、12.1月とリハビリを重ねてきました。
そして2月に入って少しずつ対人トレーニングに混ざれるようになり、まさに2月4日全部対人トレーニング入れるとなり、よっしゃーここまできたー!
と思い、サッカーを純粋に楽しんでトレーニングしてたときのこと。
対人トレーニングをしていると、「あれ?思ったより動けそうだな!調子いいかも」
そうやって思ってた矢先に、ボールをトラップし次パスしようそう思ったときでした。
アキレス腱あたりがバチン!!!と音が鳴りました。
私の中に音が聞こえたと共に、激痛が走りました。
例えるなら、不意に後ろから誰かにスパイクの足裏で思いっきり削られたかのような衝撃でしょうか。
倒れてまず私が言った1言目がこちら。
田中「誰か蹴ったでしょ?誰まじで!!」
周りのみんな「笑笑」
完全に俺がふざけて言っていると思ったみたいで笑ってました笑
それもそうでしょう。
対人トレーニングはしていましたが、私の周りには誰もいませんでした。
強いて近くにいた選手は15.金大生。
デセンを見て私は思いました。デセンなら俺を削りかねないなと。笑
アグレッシブでパワフルなプレースタイルの彼ならやりかねない。そう思った私はデセンに言いました。
私「絶対デセンじゃん!!絶対蹴ったでしょ!!」
デセン「本当にやってない!触ってすらいない!ほんとだよ!」
デセンはそう言いましたが、私が受けた衝撃的に絶対人に削られた痛みでしたので、やったならやったっていってよ!練習中なんだからバチバチやっても別に怒らないからさ!こう内心で思っていました。笑
何回も私はしつこくみんなに聞きます。
私「本当に誰も何もしてない?蹴ってない?本当に蹴ってない?」
みんな「うん。誰も何もしてない笑」
ここまではみんな何言ってんだこいつはと。ふざけすぎだろ、そう思っていたみたいです笑
すぐさまトレーナーの敦さんがきてくれました。
私「待って、これマジなやつ。マジで痛い。痛い…」
ここでみんな私の痛がる姿を見てやばいやつだってなりみんな駆けつけてくれました笑
(1995年生まれ同い年の10.平岡がポンと水を持ってきてくれました。根は優しくて可愛いやつなんだよな笑)
ここで一つ言わせてください。
みんな駆けつけるの遅いわ!!!!!笑
その後、担架で運ばれロッカールームでうつ伏せになりアイシングをトレーナーの服部さんが作ってくれました。
服部さんに私は聞きました。
私「この怪我なんですかね?肉離れですかね!さすがにアキレス腱断裂はないですよね?」
服部さん「うーんまだわからないな。MRIとってみないと。」
今思えば服部さんは気を遣ってこう言ってくれたんだと思います。
怪我明けの私にすぐアキレス腱断裂と伝えたら、相当落ち込むだろうなと。
そのあといわきFCドクター斎田先生がたまたま練習に来てくれる日で練習にきていました。
MRI撮る前に斎田先生に私は聞きました。
私「これなんですかね?肉離れですか?」
斎田先生「これアキレス腱逝っちゃってるかもね笑 龍志郎くん、逝っちゃってるわこれ笑笑 」
いやなんで笑っとんや!!笑 さすが斎田ドクター笑
その後アイシングをして10分くらいですかね。
1人でめちゃくちゃ落ち込みました。相当へこみました。
2ヶ月ぶりに全部トレーニング入れたのに何でまた怪我なの?
しかもアキレス腱断裂。私の知っているサッカー選手ではあまりいない怪我になんで俺がなんないといけないの?あーーーまじうざい。
1人で本当に落ち込みました。
でも落ち込んだのは本当にその5分だけでした。
もうなったもんはもうしゃーない。俺が落ち込んでたら周りの選手やスタッフが絶対心配して気遣わせちゃうし、マイナスな事しかならないわ!
そう思った私は一瞬で切り替えました!
練習後みんな心配してくれてたくさんの声をいただきました。
もう切り替えていたのでネタにしようくらいの気持ちでみんなと話せました!
その後、斎田先生と服部さんと相談し、2月9日(火)に手術しようとなりました。
p.s
2月4日(木)にアキレス腱断裂し、次の日の2月5日(金)に怪我する前から決まっていたことなのですが、頭に半年くらい前から粉瘤っていう出来物ができていたので、粉瘤摘出手術を受けました。笑
まさかの怪我して5日の間に2回手術を受けるというね笑 これもまたいい経験!
2.実家帰る前日の夜にあの先輩宅に…
2月4日(木)の練習後のことです。
みんながどんどんロッカールームに帰ってきていろんな話をする中、8.日高大さんが言いました。
大さん「おい。明日俺の家こい。飯食いこい。これ絶対ね?もう法律で決まってるから。」
嬉しすぎました…。
もう切り替えていたとはいえ、流経大の先輩に私を元気づけようそう思ってもらえてたことに本当に嬉しかったです泣
怪我をした次の日2月5日(金)の練習後に21.坂田さんと、9.翔大さんも来ると聞きました。いつも仲良くしてもらってるいわきFCでは数少ない先輩がくるのも嬉しかった。
(いわきFCは私より年下が多いチームなので!)
いつもツンツンしてて言えないけどありがとう!
次の日2月5日(金)の練習後に翔大さんが自慢気に私にこう言ってきました。
翔大さん「お前昨日1人でどうせ泣いてたんだろ?お前が元気ないと思ったから北海道産のたらば蟹用意しといたから!楽しみにしとけよ!」
私「まじかよ!さすがソニーの腐れ縁先輩や!」
(話を面白くしようといつも話に嘘つくので、半信半疑でした。笑)
そして先程話した粉瘤摘出手術を終えた後、運転ができないので7.バイロンに病院まで送ってもらい、終わった後、坂田さんと翔大さんに迎えにきていただき、大さん家に行きました!(バイロン練習の送迎と病院までありがとう!)
大さんちに行ったらなんと、今日はすき焼きだと!!!!!
練習後から大さんが
大さん「今日はマジで豪華だわ〜俺の誕生日よりも奥さんとの記念日よりも豪華だわ〜」
ハードル相当上げられてました笑
いざ家に行くと脂の差し方が半端ない。
もう見て1秒でわかる。
見たらわかる。A5ランクのめちゃくちゃ高い肉やん😭 しかも量が半端ない笑
そうしたら大さんがこう言いました。
大さん「この肉な、俺が用意したんじゃないよ。(いわきFC監督)雄三さんが龍志郎が落ち込んでるだろうからって用意してくれたんだよ。」
私「😭😭😭」
何も言葉が出ませんでした。
本当に感謝の気持ちで一杯で、本当に感無量でした。
恐らく、こういう話は雄三さんは相当嫌がると思いましたが、本当に嬉しかったので言っちゃいました。ごめんなさい雄三さん🙇♂️
口の中に入れた瞬間、とろけるとろける。笑
本当に美味しくいただきました。ありがとうございました!
夜ご飯を用意してくれた大さんの奥さん、大さん、坂田さん、翔大さんありがとう!
大さん家から家に送ってもらう車中にも坂田さんと翔大さんは話をたくさん聞いてくれました。
翔大さんが常に言っていたこと
翔大さん「絶対サッカーはやめるなよ!俺をいわきに行きましょう、って誘って先に引退は絶対許さないからな!」
大丈夫!さすがにやり残したことしかないからまだまだ引退しないよ😂
周りの人に支えられて今の自分があるなと強く思った1日でした。
(皆さんお分かりいただけただろうか?北海道産たらば蟹などありませんでした。怖いなあ〜怖いなあ〜 稲川淳二風)
p.s
私が流経大1年生の時から4年まで大変お世話になった現いわきFCスタッフ中島さんに怪我した当日に連絡しました。その内容については熱い熱い2人の絆がありますので、ここでは内緒🤫
3.手術前に実家(千葉県)に帰って思ったこと
右足のアキレス腱断裂してしまったので、運転が出来ず、両親に甘えて迎えにきてもらって実家に帰りました。
迎えにきてもらったとき、母は私が引退するって言うんじゃないかと思ったらしく、15分くらい永遠に遠回しに引退するなと伝えてきます。
引退しないで!と、直接は言いません。
母「しっかり足治してリハビリ頑張って、それでもダメならしょうがないよ。
まだやり残してるでしょ?しっかりやり切りなさいよ!」
うんうん、直接引退するなとは言ってないけど、もうそれは引退するなって言ってるのと一緒なのよ笑
でも母がそこまで言う気持ちも非常にわかります。
小さい頃からどんなに母がどんなに忙しくても私のサッカーを優先してくれて、応援してくれて、全国どこにでも応援に来てくれて、3兄弟なのですが、周りの追っかけママとかに、「龍志郎くんばっかで弟の賢志郎くんの面倒見れてるのかな?と心配されるほどでした笑」
皆様安心してください。
賢志郎も高校卒業まではサッカーを小学生の時からやってまして、しっかり3兄弟みんなの面倒を見てくれてました。(姉は学生時代、管弦楽部に所属しバイオリン弾いていて、今は保育士をしております。バリバリ個人情報流出。笑 お姉様ごめんなさい。)
話が少し逸れましたね。
母は全国いろんなとこに応援にきて、そのついでに旅行がてら色んなところ回っているので一石二鳥だと思って完全に生き甲斐にしています。
そしてここ数年、父もサッカーを積極的に応援してくれるようになり、母といろんなところまで来てくれます。
(父の携帯と車にはいわきFCグッズとステッカーが貼られており、ハマりっぷりは凄いです笑)
こう言うと、今までは全然応援してくれてなかったと思われがちですが、父はトラック運転手をやっていて3日に1回しか帰ってこないという生活を10年以上しているので相当忙しかったんだと思います。
ここ数年で、3兄弟皆家を旅立ったので少し肩の荷が降りたのかな!
そんなこんなでここに書いたようなことを考えながら車中を過ごしました。
実家に帰るとびっくり。
2階建の家なのですが、2階に置いてあったはずのシングルベッドが1階のリビングに置かれているではありませんか!
階段を登れないと思った父はベッドの骨組みを分解して1階にセットしてくれたみたいです。(母はベッドを1階にセットしようと言ったのは私だからね!といかにも私を褒めてアピールがすごい。1人の女性として褒めてもらうのが好きなのでしょうか。笑 これを読んでる女性の方コメントお待ちしております。)
糖質オフたんぱく質たっぷりのご飯を作ってくれました。
親はやっぱり凄いです。感謝してもしきれないですね。
2月6.7と実家で過ごし、2月8日(月)に入院しました。
4.入院〜手術の流れと状況
2月8日(月)都内の病院に入院しました。
入院してから手術するのかあ〜と少しずつ実感が湧いてくる。
実は手術と入院は初めてで、半分緊張・半分怖い と言う気持ちがあり非常に心配でした。
アキレス腱はこのときにはもう痛みは感じなくなっており、松葉杖あれば歩ける状態でした。
病院っておばけ出るのかなあ、寝る時も怖いなあ、廊下が見えないようにカーテンしっかり閉めよう、夜中起きたらトイレ行けるかな。
電動のリクライニング式ベッドで意味もなくウィーンと動かしてみたり、好奇心の塊。笑
1日目に手術の説明や採血、レントゲン、心電図、麻酔の量を決めるために肺の検査をやって終えました。
気づけば1日目は爆睡。笑
2月9日(火)手術当日の朝です。
流れはこうです。
朝6:30 廊下と部屋の電気がつきます。病院の朝は早い!笑
まだ眠いなあと思っても目が覚めます。早寝早起きになれる!
8:00 12:00 18:00 これが病院のご飯が来る3食の時間なのですが、な、な、んと手術前日の21:00以降食べ物禁止、そして手術当日の朝6:00以降飲み物禁止でした。
食べるのが大好きな私には地獄、、、私じゃなくてもみんなきついか、、、
だから前日の21:00までに病院のご飯の他にも、持参したナッツ、チョコ、糖質オフクッキー、フィッシュ&アーモンドを食べまくり食い溜めしました笑
満腹のまま爆睡。当日の朝は6:00以降飲み物禁止は地獄すぎると思った私は、6:30に起きてから歯磨きしてグチュグチュペッをする際に口の中の水を飲んではいませんが何回もグチュグチュして水を飲んだ気になってました。
朝ご飯はもちろん食べれず10:00。
点滴のお時間がきました。
点滴も初めてで針を刺すところは怖くて見れないので、見ずにやってもらい点滴スタート。
12:00になってももちろん昼ごはんはきません。お腹が空きすぎて本当にソワソワしてました。
お金のこと知識少なすぎるなと思い、YouTubeで積み立ての話や、税金関係を見てひたすら勉強してました。
中田敦彦のYouTube大学がオススメです。初心者にも非常にわかりやすい!
16:00 手術着に着替えました。着替えてからは手術やーいよいよきたかーお腹減ったけど、手術終わったら好きなものたっくさん食べてやるそれしか思ってなかったです。笑
そして16:50.17:00になっても全然名前呼ばれず手術室に行けない、、、
看護師さんが私に言います。
「前にある手術が多分押しているのでもう少しお待ちください。」
お腹は空くし、手術怖くて緊張してるのにここにきてまさかの焦らしプレイ!
これは相当効く。笑
そしていよいよ17:30頃 呼ばれたので手術室へ向かいました。
手術室前には斎田先生がいる!ふぅ〜安心安心。
斎田先生「手術後、俺に会えないかもな!」
私「これはどういう意味だ?手術失敗して私が死んで会えないってこと?それとも斎田先生は忙しいから麻酔から目覚ましたら会えないってこと?ど、ど、どっち!!ここにきて冗談はやめて〜笑」なんて思ってました笑
手術台ってこういうところなんだ〜医療ドラマなどで見てたような感じでした。
アキレス腱なのでうつ伏せになり、私の体の周りに白い紙のようなものを引いていく。血とかがつかないためかなー。斎田先生が私の足を持ち上げると
斎田先生「足太いなあー!いや〜太い。うん太い。」
そしてジェフユナイテッド市原・千葉でドクターをしている小林さんも斎田先生と手術をしてくれた。
小林先生「いやーこんな太い足に(元ジェフ千葉 現いわきFC34番)大悟もいわきFCでこんな足になって強くなったら嬉しいな!」
私「今から私手術なのに医者はやっぱ強靭なメンタルを持っているな。」
そう思いながら、点滴に眠くなるやつを投下される。
絶対寝ないで耐えてやる!白目になろうと!
意気込んでいましたが、気づけば手術が終わっていました。
麻酔ってやっぱすごいなそう感じた瞬間でした。
5.手術後の流れと状況
終わって部屋に戻ると酸素マスクをしたまま、何も食べちゃだめだよ、しばらく安静にしてねと言われました。
意識は麻酔のせいか少し朦朧としていましたが、お腹が空きすぎて足の痛みとか云々関係なしに看護師さんに
私「何か食べたいです。お腹空きました。お願いします。」
看護師さん「えー!気持ち悪くなっちゃうかもしれないけど、ゼリーとかなら私がコンビニで買ってきます!」
と言っていただき、買ってきてもらいました。
看護師さん本当に勝手なこと言ってすみません。そしてお忙しいところコンビニに行ってくれてありがとうございます😭
ゼリーと、飲み物を買ってきてくれて3秒チャージしました。(ザバスですみません。DNSコンビニになかったので😂)
それでもやっぱり24時間くらい何も食べてなかったので、お腹が減りすぎて耐えられません。
固形物は食べないで麻酔の影響で気持ち悪くなるかもしれないからと言われてましたが、お腹が減りすぎてそれどころじゃありません。
食べなきゃ治るもんも治らんと自分に言い聞かせ、持参していたナッツとチョコを全て食べてしまいました。笑 そしてゴミでもしかしたら食べたのバレると思い鞄に隠し証拠隠蔽!
これをもし病院関係者の方が読んでいましたら謝罪します。
3大欲求の食欲には叶いませんでした。すみませんでした。
ある程度お腹が落ち着いてから今度は麻酔がだんだん切れてきて、アキレス腱に激痛が襲いかかります。
何時くらいだったかな22時くらいかな。
この痛みが本当に痛くて、眠いのに寝れないのが朝まで続きました。
2月10日(水)全く眠れず朝4:30くらいに限界を迎え1人エレベーターロビーに行き椅子に座り痛さとずっと戦っていました。
もちろん飲み薬の痛み止めは飲んでいたのですが、全然効かず、朝まで本当に地獄で一生手術したくないし、こんな痛みするんだったら今後大怪我したらもうサッカー辞めようそのくらい思っちゃっていました。
朝ご飯はまだ食べちゃいけなくて昼ごはんから食べれる予定だったので、最初から座薬だけは絶対にしないと誓っていたので、ひたすら耐えていました。
10:00頃 もう無理。もう耐えられない。まじできつい。痛すぎる。部屋で痛すぎて声出していたので部屋の人にも迷惑になるとも思い、ここで人生で大きな決断をしました。
座薬に頼るしかない。ナースコールだ。
でもナースコール押すのもなんか勇気がいる。
どうしよう。
いやそんなん考えてる余裕はない。
看護師さんごめん。
ナースコールいきまぁす!!!
看護師さん「どうされました?」
私「痛いです。もう無理です。座薬お願いします。」
それで座薬をいざ投与!
横向きになり、座薬待ち。
いろんなお店で待つことがあってもジェットコースターで待つことがあっても、まさか座薬待ちをするとは、、、
いよいよ時はきた。
お尻にピストルの玉のような形のやつを発射!
私「ううっ!!!!」
生々しすぎましたごめんなさい。
ってな感じで投与していただき、看護師さんありがとうございます。
座薬が漏れないように手でお尻を押さえること1時間弱。
私「痛みがない?痛みがおさまった!嘘だろ!まじかよ!神様、仏様、座薬様!」
ってな感じでそのあと爆睡をかませました。
ふざけてるように聞こえるかもしれませんが、本当にめちゃくちゃ痛かった痛みがなくなることがどれだけ嬉しいことか!!
リアルな心情を綴っております。
その後昼ごはんを食べ、食べ物食べれることに感謝し、夜になりました。
だんだん座薬の効果が切れてきたのがわかります。
またあの痛みが来る。もう無理だ。あの痛みは耐えられない。
ずっとアキレス腱がズキンズキンしてるあの痛みはもう勘弁。
と思いながら夜ご飯をいただき、その際に痛み止めを飲んだらあれ?痛くない?今回は痛み止めが効いた!やった!!
としばらく2時間ほど経つと、またきた。
あの痛みが。
もう今回の俺に一瞬の悩みは無かった。
もう躊躇しない。
ナースコールを押す。
看護師さんがくるまでの間、私の頭の中ではこのメロディーが流れていた。
「さらば〜地球よ〜 旅立つ船は〜 宇宙戦艦ザ〜ヤ〜ク〜」
いざ投与!
これこれ〜これよ〜人生で2回目の座薬のくせに知っているかのように座薬に安心感を得ていた。
看護師さんには本当に感謝です。ありがとうございます。
案の定、今回は30分ほどで効き始め無事に快眠できました!
2月11日(木)note更新している今日ですね!
朝起きると痛みはお陰様で、楽になっていました。
朝ご飯を8:00に済ませ、顔を洗いに行ける余裕すらありました。
10:00には日が当たる病院内ロビーへ行き15分ほど日光浴。
日光最高!外を眺めてるだけでも嬉しかった。
そして斎田先生が病室に来てくれて、お守りをいただいた。
斎田先生ありがとうございます!
(今回は斎田先生面白エピソードはなし、お守りありがとうございます。)
12:00 お昼ご飯を食べ終え、その後はYouTubeを見たり、漫画読んだり、
少しベッドの上で腹筋や、もも前の筋トレして16:00からnoteを書いてます。
noteを書くのにかかった時間は3時間半かな!
止まることなくスラスラ書けました。
こんな感じかな。
6.改めて思ったこと
今となれば痛みもだいぶ無くなって、松葉杖ですが普通に生活できています。
でも術後は本当にサッカー辞めたくなったし、痛すぎて1人でイライラしていたし、本当に辛かったです。
このブログを読んでふざけてると思われる点もいくつかあるかもしれません。
だけど、もう何周も回って回りに回って真面目に痛み耐えようとしたり、過ごそうとすると本当にキツいし、辛いんです。
だから私はあえてちょっとネタっぽく思い、ポジティブにすることにしました。
そうすることで少しは痛みも楽になるし、考え方やマインドの持ち方次第で生活が変わると思いました。
正直、今回の怪我で結構ダメージはきました。
でももう切り替えているのでそんなに辛くないです。
何で辛くないかと言えば、自分のためにサッカーをしていないからです。
高校の時の恩師に言われました。
高校の恩師「頑張るのは当たり前。でも自分のために頑張るのは限界がある。誰のためでもいい、親でも友達でも好きな人でもいい。人のために頑張るのには限界がないから。」
この言葉をいただいたときから自分のために頑張ることを辞めました。
高校時にこの言葉を聞いたので、大学時代は人のために頑張りすぎてオーバートレーニングになってしまい3ヶ月ほどサッカーできなくなることもありましたが笑 周りの多くの人が支えてくれていることのおかげで立ち直り今があります。
今じゃあ誰のために龍志郎が頑張っているの?そう聞かれれば、出てくるのが5人います。
どんな時も支えてくれ弱いとこ見せず、近くでずっと応援してくれている両親。
小さい時、毎週日曜日にはトイザらスへ連れてってくれて好きなおもちゃを買ってくれたり、親がいない時料理を作ってくれたり、常に可愛がってくれていた母方の婆ちゃん。
数年前亡くなってしまいましたが、会った時にはこっそりお小遣いをくらたり、大きくなれって吐くほどたくさん美味しいものを食べさせていろんなとこ連れてってくれた母方の爺ちゃん。
常に連絡くれて、私のサッカーの状況など気にしてくれて、静岡での試合がある時は見に来てくれて嬉しそうな顔を見せてくれたお父さんのお姉さんであるおばさん。
この5人の為に私はサッカーをしています。
そして私の友人、ファンの方、サポーター、お世話になった方々の為にももちろんサッカーしています。
今回怪我をして色んな方からたくさんのメッセージをいただき、改めて応援してもらってるし、待っててくれてるから頑張ろうという気持ちになっています。
本当にありがとうございます😊
私1人では到底サッカーはできません。
周りの皆さんのおかげでサッカーができています。
なので必ず復帰して復活します。
復帰戦は相当熱いからどんな季節でもみんな半袖で見に来て!(え?俺すべった?笑)
ってな感じで今思っていることを綴らせていただきした。
大変長文となりましたが、最後まで目を通してくれた皆様ありがとうございます!!
では地道にコツコツ直向きにリハビリ頑張ります!
牛志郎、あっ、龍志郎より
(父が牛志郎ネタ結構ハマっていることが実家に帰ってわかりました笑)
点滴やるのが怖くてトイレに逃げ込んだ図でお別れです。
この記事ほんとにいいなそう思っていただけたらサポートいただけると嬉しいです!このサポートは何かしらの形にして皆様に還元します!