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自分が一番好きだけど

仏教に、「自利利他円満」という言葉があります。

「自利利他円満とは、他人に得をさせることが自分の得でもある、という仏教の精神です。」

こう訳されることが多い言葉です。

自利の「利」、この「利」の部分を自分の利益というふうに解釈をすることが多いように思うし、1番分かりやすいです。

「利」という言葉を幸せというふうに考えれば、自分の幸せと他人の幸せは別々のものではないというふうに読めますし、本来の意味からは逸れるのかもしれませんが、私も自分の都合に合わせて解釈をしています。

元々の意味を振り返ってみると、
「自分が悟りをひらくということの中には、他人を悟りに導くということが含まれている」ということだと思っています。

阿弥陀仏が修業時代、「全ての人が救われなければ、私は仏に成らない」と誓われたということが御経には書いてありますが、そのことと同じで、自分が悟りに至る、その中身に他人を導くというものが入っているという意味でしょう。

しかし、その説明だけでは私たちは理解がしにくいですし、結局何をどうしたら分からないから色々と訳されます。

言葉は本当に奥深くて、似たような言葉がたくさんあります。どれが本当で、どれが嘘かは私にはまだ、判断することが出来ません。

私はよくお話で、自分の幸せを考えた時に、自分の身近な方が不幸だと、自分は幸せとは言えないのではないかとお話しします。

近しい方が病気になっていたり、大きな悲しみの中にいたら、私たちは心から自分のことを幸せだと言えないのではないかと思うのです。

それが心の広い方は、その範囲が広く、多くの人が幸せでないと私は幸せではないと言われているのではないでしょうか。

いずれにしても「自利利他円満」は、自分と他人の「さとり」や「幸せ」や「利益」、これは離れたものではないと、繋がっているんだということを表している言葉でしょう。

人はやはり自分のことが一番大切ですから、いかに利他が大切だと学んでも、それを実践することは容易ではないでしょう。経済的余裕、時間的余裕、精神的余裕のある人ならば実践することが出来るかもしれませんが、私も含め、多くの人は自分のことで一杯いっぱいだと思います。

そもそも、家庭をもっていたり、仕事であったり、すでに自分以外の人のために多くの時間を使っていて、疲弊している人も多いのではないでしょうか。

こうやって色々考えてしまって、ごちゃごちゃさせていくのが得意なのですが、言葉を知っているということは非常に大切なことだと思います。

私たちが今から利他を心がけていくということよりも、「自利利他円満」という言葉がふいに出てくれば、結果的に自分が人のために何かをした時に、「これは利他を少しは出来たのかな」と思えたりする。

自分の時間がない時、利他、人のために偏っているなと思えたならば、少し自利を心がけようという気持ちになる。

自分の状態を仏教の言葉と照らし合わせるということが出来れば、少し落ち着いた判断が出来たり、自分の状態を客観的に判断が出来たり、日常のどこかで言葉を知っていたということが力になることもあるのではないかと思います。

おそらく自分のためと人のためというのは、どちらかに偏っている状態は私たちの人間関係や経済状況を良くしていかないのだと思います。

本来の仏教的な意味からは逸れてしまったかもしれませんが、自利利他円満を実践していきたいものです。


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