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幸せを問う

幸せですか?と問われたときに、私たちはどう答えるでしょうか。

「幸せです」

とすぐに答える方もおられると思います。

1人1人の問題ですし、プライベートなところでもありますし、誰に聞かれるかにもよるかもしれません。

お坊さんのお話が載っている小冊子に、

幸せですか?と聞かれて「はい」と答えるまでが日本人は遅いというお話がありました。

このお坊さんが言っているわけではなくて、テレビ番組でやっていたそうです。(ネットで調べましたが出てきませんでしたが)

テレビを見たわけではないので、一部分だけ抜き出すのも良くないかもしれませんが、こう聞くと、日本人はすぐに「自分は幸せ」と答えられないという方向にもっていかれそうです。

幸せな国ランキングが発表されると、日本は経済的、物質的に充実しているのに幸せを感じられないという話になります。

そういう情報や雰囲気がさらに日本人に「幸せです」と答えさせなくさせているような気もします。

日本人は幸せじゃないんだから、幸せと言うべきじゃないという感じで。(考えすぎか)

少し恥ずかしさとか、普段口に出すことじゃないから抵抗があるということもありますし、幸せって何か考える時間もいるし、間が空くことが悪いことではない気もしますが。

でも経済的に豊かじゃない国が、「はい」と答えるまでの時間が短いということも書かれていましたので、やはりすぐに答えられないことが良くないといつ印象を私は受けてしまいました。

noteを書かれている方々の多くは「幸せです」と即答されそうですが。(ポジティブな投稿がとても多いので)(偏見かな)

幸せについて人と話す機会はどのくらいあるでしょうか。

私も問われれば「幸せです」と答えると思います。問われてみれば幸せです。日常の幸せを、あたりまえと思い、まだまだその幸せに感謝の気持ちを持てていないのだと思います。

またその幸せは、自分や家族、友人などの状態により常に変化します。自分の状態が良くても、家族や友人の状態が良くなければ幸せを感じられません。

そうやって心に「浮き沈み」があれば、仏教では幸せとは言わないでしょう。

私はまだその「浮き」のときを幸せと言っています。普通ならダメなことじゃないとは思いますが、仏の教えを説くべき僧呂としては・・・。

存在しているだけで幸せなのは間違いのないことなのでしょう。けれどもそれ以上を求めてしまいます。

お釈迦様は出家されました。
衣食住や家族。自分の存在以外を捨てて。

本気を出して考えたら、そうなるのか。

「幸せを問う」を書こうと思って作った下書きと全然違う感じになってしまいましたし、文章も散らかっています。

これから上手になっていきたいです。



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