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色んな言葉が教えてくれる(別れは小さな死・昼の月)

先人たちは本当に素敵な詩、心にとまる言葉を残してくれる。

最近知った言葉で、「別れは小さな死である」という言葉がある。これはフランスにあることわざだ。

大切な人、愛する人との別れは、そのかけがえのない関係の中で一緒に築いてきた自分自身の一部も死ぬ、それは自分自身の小さな死のような体験だという意味だ。多くの方は身近な方との別れのとき、心にぽっかり穴が空いてしまうという感覚になる。

しかし様々な方の喪失体験、そこから前へまた歩き出した方々のお話を聞いたり、本で読んでいると、それらは決して二度と戻ってこないというわけではないと感じた。

仏教詩人の坂村真民先生は「昼の月」という詩を作られた。

 昼の月を見ると母を思う
 こちらが忘れていても
 ちゃんと見守って下さる
 母を思う
 かすかであるがゆえに
 かえってこころにしみる
 昼の月よ

坂村真民

日中は太陽の光や地面からの反射の光で目に見えないことが多い月ですが、坂村さんはお昼にもかすかに見える月にお母さんを重ねられたのでしょう。

心に空いてしまった穴に、昼の月を見つけた時にはお母さんが帰ってきている。

悲しみや寂しさがなくなるわけではないですが、お母さんがどう生きられたか、そこから私に何が願われているのか、そんな思いになるのではないでしょうか。月がお母さんとして語りかけてくるような感覚でしょうか。

「右仏 左我らの合わす手の 中ぞゆかしき南無の一声」

合掌という作法も、右手を仏様に、左手を私たちに例えて、その手が合わさるところに仏様がおいでになって下さるといただいてきました。

手を合わせた時には、仏様となって帰ってきてくれている。

瀬戸内寂聴さんの「思い出すということが一番の供養よ」と生前に言っておられた言葉が思い出されます。

供養しなくてはいけないのではなく、思い出すということが供養になる。その思い出す方法というのが人それぞれあって、故人を思い出すことであればその作法、行動を大事にしていただきたいと思います。

何もしてあげられなかった、最後まで面倒をしっかり見れなかった、色んな思いが身近な方を亡くした方の心にはあります。直接お返しをすることは出来なくなってしまうので後悔の念はつきませんが、これから自分がどう生きていくかでお返しをしていく。

すぐにそのような気持ちになることは難しいですが、思い出すことを続けていくうちに、亡くなっても見ていて下さいと思えるときがくる。

悲しみや寂しさといった気持ちを抱えながら生きていくことが出来ると思えるのだと、そう思わせてくれる大切な言葉にまた出会わせていただきました。


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