お祖母ちゃんと暮らす日々

 今年、89歳になった父方の祖母。彼女と過ごしていると、当たり前が当たり前じゃない気づきがある。

 お祖母ちゃん、夫(30代後半)、私(30代半ば)の3人でマンション暮らしをしている。毎日、お祖母ちゃんの顔色や体調を確認していて、一日たりとも同じ日はない。今夜は元気に「おやすみ」とわかれても、明日の朝「おはよう」があるかはわからない。朝は美味しくご飯を頂いても、夕方には38度の熱を出し、真っ青な顔でガタガタと震えていることもある。

「朝(あした)には紅顔あって 夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」

 浄土真宗第8代宗主・蓮如上人が記した「御文」の一説だが、お祖母ちゃんと暮らしていると、ズッシリとした無常の重みをもって聞こえる。ありがたいことに、今のお祖母ちゃんは、大抵の身の回りのことは自分でできるし、白骨になるまでには多少の猶予がありそうだが。

 そうはいっても、一緒に暮らしていると気を遣うし、しんどいことも多い。不安に感じること、申し訳なく思うこと、苛立つこと…根暗で悲観的な私の性格上、ネガティブな感情とは切っても切れない悪友のように過ごしている。そして、お祖母ちゃんはお祖母ちゃんで、私には見えないことが見えていて、感じないことを感じ、気を遣って日々を生きているのだろう。私たちは、広くないマンションの中、同じ空間、同じ時間を共有しているのに面白いものだ。お祖母ちゃんと私。女という性別以外、何もかも違う人間同士が一緒に暮らす。そして、性別も何もかも違う夫が、そっと挟まっている。(夫の性格を感じてもらえるだろう)

 その有限な日常からみえるものは、現代社会の縮図であり、よくある光景だ。お祖母ちゃんお世話係のニートな私は、時々、ここに小さな他愛のない日常をのこしていこうと思う。


 

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