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ソウルの女王「アレサ・フランクリン」の映画が思い出させてくれたこと

ひとはいろいろな面をもっている。

こんなにあたりまえのことを、どうしてすぐに忘れてしまうのか。頭では分かっているつもりなのに、「ひとは多面体」ということに腹落ちしていないから、心の凪はなかなか訪れない。

ひとの一面だけを見て、それがそのひとのすべてだと思いがちなんだよね、わたしは。まったく。いい大人なのに情けない限りである。

先日「ひとは多面体」ということを思い出させてくれる映画を観た。

ゴスペルがライフワークであるわたしにとって、幼いころからゴスペルを歌っていた「アレサ・フランクリン」は特別な存在。

アレサは2018年に亡くなったが、彼女をテーマにした映画が2本公開されたので、ゴスペル仲間と観に行った。

1本目は「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」。

この映画は、1972年にロサンゼルスの教会で行われたゴスペルライブを撮影したドキュメンタリー。今も伝説となっているこのライブでアレサが歌ったのは、自らのルーツ、黒人霊歌(スピリチュアル)。奴隷時代の宗教歌だ。


アレサが歌うアメイジング・グレイスは、言葉を失うほどの素晴らしさ。

“クイーン・オブ・ソウル”の異名をもつアレサのパワフルな歌声は、ひとの心を大きく揺さぶる。

わたしはクリスチャンではないので神様のことはよく分からないけれど、アレサの歌うゴスペルは「クリスチャンのいう『blessing --- 祝福/恵み』はコレかも」という気もちをわたしの心の奥から引き出してくれる。

映画では、アレサの歌声から光が放たれているように見えた。圧倒的。これほどまでに人を虜にする魂の叫びを、わたしは他に知らない。アレサの歌声にふくまれる「なにか」は聴くひとの心を震わせる。

2本目の映画は「リスペクト」。

無名だったアレサ・フランクリンが、世界的スターになるまでの半生を描いた映画だ。


この映画で初めて知った。アレサの人生は波乱万丈だったのだ、と。

アレサを初めて知ったとき、彼女はすでにソウル界の頂点に君臨していたので、彼女のきらびやかな面しか知らなかった。

過酷な人種差別があった60年代のアメリカを生きた女性だから、虐げられた場面も多かっただろうとは思っていたが。それすらも、彼女のほんの一面だった。

「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」では描かれなかった、アレサが経験した数々の試練。それも“試練”とひとことで呼ぶのもはばかられるほどの過酷さだ。

それでもアレサはずっと歌い続けた。どんなことがあっても。

2008年、音楽雑誌「ローリングストーン誌」の「歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第1位に選ばれたアレサ。カーター、クリントン、オバマと3度のアメリカ大統領就任式で歌い、絶大な存在感を示したアレサ。

そんなセレブとしての華やかな顔は、彼女のほんの一面。

伝説の歌姫ともいわれたアレサは、こんなにも虐げられた人生を送ってきたのか。映画「リスペクト」を見終わり、衝撃をうけた。

アレサにもステージの歌姫以外の顔があった。アレサも人生で悩み、もがき、苦しみ、悲しんでいた。わたしたちと同じように。

ひとは多面体である。

自分の目に見えている部分は、そのひとのほんの一面に過ぎない。平面的なひとなんて誰もいない。

家族、親しい友人、会社や学校、趣味の仲間、SNS、近所の人。その場その場で、だれもがちがう自分を見せているはず。

だから、ひとの一面だけを見て「このひとはこういうひとね」とカテゴライズするのは違うよね、と思う。

わたしには見せていない、または、わたしには見えていないそのひとの側面があるはずで、その側面を想像する力をもっていたい。

ひとは平面じゃない。見えている部分だけじゃない。

それを思い出させてくれたのが2本の映画「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」と「リスペクト」。

ひとは多面体。それをいつも心に留めておきたい。

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