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HIROSHIMA

 朝ドラの「ちむどんどん」で20代の子供たちに、初めて父親と母親の馴れ初めの話を聞かせるシーンがある。それは太平洋戦争の悲惨な沖縄戦について語ることでもあった。
 これを見て僕はどうしても納得がいかない。番組の演出のためなんだろうが、これはおかしいと思う。
 悲惨な沖縄戦の話をいい大人になって初めて話すのは何事であろうか。小さい頃から、「お父さんとお母さんが出会った頃はね」といっては何度も話をしてやるべきではないのだろうか。
 悲惨さゆえ、話したがらない人も勿論いるだろうが、語り続けることが、その人の使命なのではないかと思う。
 僕の父親と祖父は広島で原爆にあった。家族だけではない。近くにいる人で被爆した人は多かった。高校の習字の先生。顔がケロイドで歪み、それでも悲嘆することなく、真面目に生きていた。
 電車に乗る。そこには数人、見るからに被爆したと思われる人が乗っていた。当たり前の風景だった。
 そういう人たちはほとんど鬼籍に入り、原爆死没者慰霊碑の名簿の中に名前が収められている。
 原爆資料館では、そういう人たちの体験談のVTRが常に流れるようになっている。その人は死んでも、悲惨な過去は消えない。
 学校でも平和教育は重点的に行われた。未だに基安川では、原爆で焼かれて飛んできた原爆瓦が普通に見つかるという。高校生たちでそれを拾いに行くイベントもあった。僕は行かなかったけど。
 母からも福岡大空襲の話を何度も聞かされた。命からがら当時陸軍の土地であった大濠公園が開放されたので、逃げ込んだこと、知り合いのお姉さんが焼夷弾で、目の前で死んでいくのを見た事等。
 こういったことは黙っていると、時間と共に風化していく。今電車に乗っても原爆で火傷を負った人は誰一人入ってこない。この街の歴史を知ってか知らずか、若い男女が笑いあっている。
 かつてここが焼け野原で、今なお原爆症で悩んでいる人がいることを忘れてはいけない。
 親から子へ子から孫へ伝えていかなければならない歴史的事実なのだ。


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