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球が止まって見える(ショートショート)

 江藤は日本のプロ野球チーム、エンジェルスの1軍の控え捕手である。レギュラー捕手の伊勢がいる限り、出番はない。伊勢が怪我をしたとしても2番手の野間がいるので、やっぱり江藤に出番はめぐってこない。
 これまでプロ野球通算成績12打数2安打、打率.167本塁打打点ともに0である。入団5年目、馘首のかかった年であった。
 2軍での成績はまあまあなので、1軍にいるわけなのだが、2軍で幾ら打っても1軍で活躍しない限り、活路は見いだせない。
「もしもしそこのおかた」
 道で占い師に声をかけられた。最近ずっとこの道で店を開いている老婆であった。
「何かお悩み事でもあるのかな」
 江藤は占いなんぞあまり信用はしない性格なのだが、この日は魔が差したのか問いに答えた。
「実は僕はプロ野球選手なのですが、活躍する場がなくて、このままでは自由契約になってしまいそうなんですよ。チャンスさえもらって、活躍すればいいんでしょうけど」
「どうすれば望みはかなうのかな」
「ボールが止まって見えるようにでもなれば、簡単に打てるようになるんでしょうがね」
「それがお望みならそうして差し上げよう。ただし条件がある。10年後に、お主の魂を私におくれ。そうすれば明日から希望通りにして差し上げよう」
 半信半疑ながら江藤は頷いた。魂を売るなんてことがどういうことか重要性が理解できていなかった。
 契約、といっても口約束だが、それが終ると、占い師は消えていなくなってしまった。

「9回裏二死三塁。ここで投手稲葉ですが、さすがに代打です。しかしエンジェルス、もう選手が控え捕手の江藤くらいしか残っていません。あーやはり江藤です。今シーズン、まだヒットがありません」
 アナウンサーが喋った。そのあとを追って解説者の坂東がいった。
「江藤は2軍ではそれなりに活躍してるんですが、結果がまだでていませんからねえ。この場面は気が重いでしょうな」
 代打コールを受けて打席に入った江藤は何故か落ち着いていた。魔法のおかげかもしれなかった。一打同点。本塁打なら逆転サヨナラだ。
「さあダイヤモンズ、投手松岡第1球を投げました」 
 江藤は球を見た。確かに止まって見えた。これなら打てる。思いっきり初球をスイングした。
 打球は真芯に当たり、三遊間に向けて飛んだ。が、飛んだ場所が悪かったのか、三塁手福富がたまたまいい位置に守っていたからなのか、三塁ライナーに終わった。試合終了。

 監督は次の日、江藤を呼んでいった。
「今日は外野手で使う。昨日の当たりを忘れるな」
 初めてのスタメンレギュラーである。興奮しないではいられなかったが、やはり魔法のおかげか、冷静に受け止めることができた。
「7番レフト江藤!」
 場内アナウンスが聞こえた。ついにこの日がやってきた。
 ダイヤモンズの投手安田から第1球が投じられた。初球は外角低めのボール。球が止まって見えるので、ストライクボールの違いは審判よりわかる。
 第2球目はストライク。外角低めのスライダー。打ってもアウトになると判断した。江藤は失投を待っていた。だが安田も何かを感じたのか、この打席は四球に終わった。
 2打席目も失投らしい球もなく、痺れを切らして難しい球を振ったら、ライトフライに終わった。
 3打席目、やっとど真ん中スプリットのすっぽ抜けがきた。江藤はきた、と思い、強振した。しかし体が力んでしまいブレて、セカンドゴロに終わった。4打席目はなかった。代打を送られた。

 占い師がいたあたりを江藤は歩いた。探すまでもなく前回と同じところに老婆はいた。
「全然ちっとも効き目がないんだけれど」
「球が止まって見えたじゃろ」
「それはそうなんだけど、成績がついてこれなくて」
「約束は球が止まってみえることだったろう」
「あとは俺の責任てことか。もっと違うお願いにすればよかったかな。スター選手になるとか」
「もう遅いぞ。10年後には魂をいただくぞ」

 それから江藤は必死になった。バットを振って振って振りまくった。
やがて努力が報われ、2度目のスタメン起用となった。
 そこで江藤は4打席連続四球を選び、勝利に貢献した。球が止まって見えるので、つられて振ることはないので、結果全打席フルカウントからの四球であった。
 信じられないことに次の日も、また次の日もレギュラーで全打席四球で出塁した。これはギネス記録(多分)である。
 そこから快進撃が始まった。出るは出るは、四球王といわれた。たまに審判の誤審で三振することもあるが、基本的に四球で出塁率は9割以上を越えた。その間、1安打も打っていない。好球がくれば、振るのだが、だいたい野手の正面に球はいった。
 彼はある意味スーパースターになった。打率.000なのに出塁率9割以上、本塁打なし、打点は押し出し四球の2があるだけだったが、エンジェルスの秘密兵器といわれた。
 しかし相手チームも研究した。ストライクを投げればいいだけだということに気づいた。これは逆に江藤にとってありがたかった。やっと待望のヒットが出るようになり、本塁打も打った。四球だけの男ではなくなった。
 こうなると厄介であった。江藤の苦手なコースはたくさんあるけれど、ボール1個分外れても振ってくれないし、得意なコースでわざと外しても振らないのである。苦手なコースにズバッとストライクを投げるしかなかったが、その芸当ができる投手が何人いるか、ということである。
 その年、江藤は首位打者に輝いた。翌年も活躍して首位打者を獲得。
9年間、ずっと首位打者であり続けたのである。メジャーに行くという話もあったが、本人が否定、エンジェルスで現役続行を決めた。

 10年目のあの日がやってきた。江藤の家にあの老婆がやってきたのである。
「さあ約束通り魂をもらいにきたぞ」
「もっていってどうするんです」
「食うんだよ」
「じゃあ僕は死ぬじゃないですか」
「何をいまさらいうとんじゃ」

 翌日、江藤選手の突然の死が記事になった。エンジェルスファンならずともプロ野球ファン全体が彼の早すぎる死を惜しんだ。

「おばばのところの新人は全然ものにならへんやないか」
こちらはあの世のプロ野球リーグ戦。メジャーから日本からキューバから、各地で亡くなった野球選手を集めてリーグ戦を組んでいた。なかにはチームを強くするために無理矢理この世から選手を連れてくるという暴挙を犯したオーナーもいた。有名ところではルー・ゲーリックや、黒沢俊夫。江藤もおばばが引き抜いてきた選手なはずだったのだが、成績は芳しくない。
「本当に9回も首位打者とったんかい」
 あの魔法はもうここでは効かない。江藤にとっては地獄の野球生活が始まったことになる。

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