見出し画像

ギッチョ

 私は幼いころから差別を受けてきた。左利きのことである。ことあるごとに大人たちは、それを指摘し、矯正するようにしむけた。
 幼い頃の私は、実は今もそうなのだが、理屈に合わないこと、自分で納得しないことは、しない性格である。仕事とかになると、それで弊害が起きるともままあったが、そこはしがないサラリーマン、したがうしかない。
 話はそれたが、私は右利きに矯正されることを頑なに拒んだ。世の中は右利きが主流で、道具からドアのノブから何から何まで右利き仕様にできている。右利きに直すことは生きていく上で実は便利なことなのだが、俺は自分がやりたいようにしたいんだ、と言葉ではいわなかったものの、抗い続けた。
 仕事で左で字を書いていると、多くは年配の方に今でも「めずらしい」「なおさないの」「ぎっちょかい」「書いてるのを見てると気持ち悪い」などどいわれる。気持ち悪いとは何事か。いらぬお世話である。差別発言である。私はそういう時、愛想笑いをすることもなく、無視をするようにしている。
 小学校3年生の時、公園の滑り台の下で200円くらいになる幾つかの小銭を拾った。近くの交番まで持っていった。お巡りさんははしたガネにもかかわらず、優しく対応してくれた。名前を書類に書いている時に「君は大きくなったら何になりたい」と聞かれたので、特に深く考えずに「学校の先生」と答えたら、「学校の先生には左利きではなれないね」といわれた。そういわれれば今はともかく当時は左利きの先生なんていなかった。差別ではないのか。
 浅丘めぐみがそんな時、心を慰めてくれた。「わたしのわたしの彼は~左利き~」である。いろんな人からしょっちゅうアンタの歌やね、といわれた。いわれすぎると嫌味に聞こえてしまうものである。ほっといてくれ、ってな感じだった。
 左利きの人は器用という。それは右利き仕様の道具を左で器用に使えるからでもあるし、矯正した人は左右どちらでも使えるというところからきているのだろう。
 私は基本的に左だけなので、決して器用ではないが、左でハサミや他の道具を使う事ができる。ただいくつか右でないとダメなものもあり、それは完璧にお手上げか、右手を使うしかなかった。
 たとえばスープ用のお玉。注ぎ口がついてる奴だ。あれは左では上手に使えない。習字のハネも無理だ。習字の時間は実に辛かった。
 右仕様のまま使っているのにギターがある。ポールマッカートニーのように弦を逆に張りなおして使う手もあったが、またそれがかっこよくもあるのだが、また甲斐よしひろのように弦はそのままでコードを逆に押さえて弾くやり方もあるが(そんな変なことをするのは彼しかいない。多分)、私としては左手でコードを押さえるから、かえって右仕様のほうがやりやすかった。
 野球のグローブ、つまり投げるのも右だ。授業のソフトボールでは、学校の備品に左利き用はなかったので、仕方なくそれを使っていた。父親がある日、グローブを買ってきてくれた。右利き用であった。自分の子供が右利きか左利きかさえわからないのか。今でいえば、かっこいい右投げ左打ちになったのだが、私は球技はからっきしダメで、右とか左とかいう以前の問題だった。
 それでもどうせ打てんのならと、右打席に入ってホームランを打ったことがある。当たれば左腕が強いので、右打席のほうが飛ぶのだ。理論にかなっている。ただし右打席はボールが見にくく、結局左打席に戻った。
 大人になったある日、TVを見ていて衝撃が走った。CMで左利きで箸を使って食事している男が映っていたのである。
 小栗旬だった。今では当たり前にようになって、彼だけじゃなく竹内涼真や玉木宏等多くの人がTVで左で字を書いたり箸を使ったりしてるが、彼はその嚆矢であった。
 やっと左利きが差別されない世の中がきたのだ、と感動した。
 だがその小栗旬も時代劇をするときには、さすがに右手を使わざるを得ない。左利きは苦労が多いのである。
 世界の人口当たり左利きの割合は約10%なんだそうである。日本もそれに準じている。10%の人が今日も苦労しているのである。

 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?