バックグラウンドの整理②「筑波大学」
筑波大学の学び
私は1988年に筑波大学第一学群自然学類に入学しました。筑波大学は当時「開かれた大学」と言われていました。それは、学生にとって学びに関してとても自由な大学でした。学類を越えて自由に授業を履修できたのです。他の大学のことは知らなかったのでそれが普通だと思っていました。私は、体育専門学群で鈴木正成先生の栄養学、人間学類で中野良顕先生の膨大な資料とディスカッションの講座、比較文化学類の英語教育法、芸術専門学群の西洋音楽史、人文学類の哲学通論など、手当たり次第に興味のある講座を受講しました。どの講座も個性的な先生だったので、よく覚えています。自然学類は、他の大学の理学部に相当する学類だったので、数学以外にも物理、化学、地球科学の講座が必修だったと思います。今思い返すと、筑波大学のそのような環境が現在の私の土台を作っていると思います。
能田信彦先生との出会い
筑波大学での一番の出会いは、数学科教育法での能田信彦先生との出会いです。数学科教育法は教職科目ではなく、人間学類で開講していた講座だったと思います。大学2年の時に面白そうだったので受講しました。能田先生のオープンアプローチを知り、そこから数学教育に興味を持ち始めました。今でもオープンエンドの問題という用語を聞きます。当時オープンエンドの問題を知ったとき、自分が受けた数学の授業の問題とは異なることに強い興味を持ったことを覚えています。このことが縁で、修士に進むことを決め能田ゼミで学ぶことができました。修士では大した研究はできませんでしたが、能田先生のマインドは引き継いでいると自負しています。
筑波大学公開講座
当時筑波大学はつくば市のキャンパスの他に、茗荷谷に学校教育部がありました。年に数回学校教育部で公開講座があり仲間と参加しました。TXはまだ開通していなくて、高速バスでつくばから東京駅、そして茗荷谷に通いました。当時の最先端のトピックを学ぶことができました。一松信先生の講座もあり、そのインパクトを覚えています。公開講座で学んだユニット折り紙は今でも授業のネタとして自校だけでなく、公立中学への出張講座や社会人講座で行っています。そして、オーストラリア・パースの高校、ロサンゼルスの高校、ハワイの中学でもユニット折り紙の授業を行いました。
筑波大学附属小学校
夏休みは、筑波大学附属小学校に約1週間授業参観をするという企画に毎年参加していました。附属小学校の授業は、大学生が受けても面白い授業で、特に、坪田耕三先生の算数の授業は最高に楽しかったです。坪田先生との出会いも私が数学教育に興味をもった大きなきっかけでした。坪田先生に誘われて小学生と清里合宿に行き、夜遅くまで教育談義ができたことが良い思い出です。
まとめ
筑波大学の前身である東京高等師範は私の祖父の夢だったそうです。祖父は、その夢を諦め海軍経理学校に進み軍人になり、終戦後は家業を継ぎ酒店を営みました。私が筑波大学に合格した時は本当に喜び、自分が高師に行きたかったことを何度も私に話しました。色々な意味で、筑波大学は私にとってとても大切な存在です。
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