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公共と民間のあいだ

さいたま市の沼影公園スケートリンクに子供と行って来て、さいたま市は豊かな都市だな、と実感します。武蔵浦和駅から歩いて行けるところに、スケートリンクがあるのは驚き。夏はプールになりますが、プールがここにできたのは昭和46年らしく、たしかに設備はレトロ。でも昔からこの場所にあることで、親子の思い出がここに積み重なっているのだろうな。


周りには高層マンションが立ち並ぶ場所なので、もしここが民間の施設だったらマンションに変わってしまいそう。市の施設だから、今後もリンクであり続けることができる存在です。

スケートを滑りながら、ここが公共施設であることの意味を考えます。リンクを運営するだけなら民間でもできるけど、マンションにすることなくリンクをやり続けられるのは、公共施設だから。


そうすると、公共であることの意味は、達成目標の「時間軸」が長いことだと思い当たります。人の一生より長い期間、おそらく100年の間で実現する価値をKSFとすることが公共の意味。災害対策、疫病対策、防衛、郵便などが思い浮かびます。記録のアーカイブを残したり、博物館で保存するのも同じ役割。

さらに思い浮かぶのは、アメリカのどんな片田舎でも郵便局だけ"場違い"に立派な建物だったこと。街が形成されれば、郵便制度という公共サービスも今後100年以上続くであろう、という公共への信頼が表現されていると感じられ、印象深い光景でした。


沼影に市の施設であるスケートリンクがあることで街の魅力が増すという関係。パブリックと民間は対立するものではなく、オーバーラップして共栄するものだと思います。

また私企業の方も、SDGsの広がりなど、社会的正義の実現を目指し公共側に寄せて来ています。このような公共と民間の中間の役割をどうやったら実現できるのだろうか。公益も目的とする組織で働いているので、仕事においてもそんなことを考えています。




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