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【沖縄戦:1945年3月20日】大本営、4月1日米軍沖縄上陸と判断 海軍にとっての沖縄方面航空特攻 与那国島に離島残置諜者が派遣される

「四月一日ニ南西諸島方面ニ上陸ノ企図アリ」

 米軍の次期進攻方面ならびに進攻時期について、これまで大本営陸軍部は台湾方面、同海軍部は小笠原方面と判断が分かれていたところ、陸海軍部はこの日、いよいよ米軍の進攻方面を南西諸島方面、進攻時期を4月初頭と判断し、その使用兵力は最大6個師団と判断した。大本営陸軍部宮崎周一第1部長は、この日の日誌に「敵機動部隊今後ノ判断 四月一日(四日)(八日)ニ南西諸島方面ニ上陸ノ企図アリ」と記している他、連合艦隊の判断として「三月三十一日又ハ四月一日上陸決行」とも記してある。
 大本営が米軍による3月26日の慶良間諸島上陸をどのようにとらえていたかは不明ながら、沖縄島への米軍の上陸が4月1日であったことを考えると、全体として非常に正確な情勢分析だった。しかし、それだけ米軍の進攻が切迫していたともいえる。
 なお米軍は、沖縄上陸予定日を「Love Day」、あるいは「Love」の頭文字をとって「L Day」と呼称していた。Love Day という響きは、凄惨な沖縄戦と似つかわしくないものであり、何か愚弄している感じさえ覚えるが、米軍は喜界島上陸予定日を「Fox Day」、あるいは「F Day」などと呼んでいたともいわれており、そもそもそういった上陸予定日のコードネームにつけられる言葉に深い意味はないのかもしれない。なお Love Day という言葉は、米軍側資料はじめ沖縄戦関係資料には一定程度出てくる言葉なので、覚えておいていただきたい。

海軍と沖縄方面航空特攻作戦

 大本営海軍部はこの日、大海指第513号をもって「帝国海軍当面作戦計画要綱」を指示した。これまで海軍は、本土決戦(決号作戦)の前段階作戦ともいえる、南西諸島・東シナ海方面において米機動部隊を迎撃・攻撃する天号作戦に消極的であったが、このころには天号作戦を積極的に行うように考えが変化していき、ある種の「沖縄決戦」を志向するようになっていった。

大海指五一三号別紙
 帝国陸海軍作戦計画大綱ニ基ク帝国海軍当面作戦計画要綱
第一 作戦方針
 陸軍ト密ニ協力シ各其ノ総力ヲ強化結集シテ主敵米軍ノ進攻破摧ニ指向シ以テ国防要域ノ確保尠クモ敵ノ皇土侵襲企図未然撃砕ヲ期スルト共ニ此ノ間極力皇土防衛態勢ヲ強化シ戦勢ノ推移ニ即応シ靭強果敢ナル作戦ヲ推進シ飽ク迄戦争目的達成ヲ図ル
第二 作戦指導ノ大綱
一 陸軍ト密ニ協力シ当面作戦ノ重点ヲ東支那海周辺特ニ南西諸島正面ニ指向シ特ニ航空兵力ノ徹底的集中竝ニ局地防衛ノ緊急強化ヲ計リ以テ来攻スル敵軍主力ノ撃滅ヲ期ス(本作戦ヲ天号作戦ト呼称ス)
二 此間極力皇土防衛ノ態勢ヲ強化シ敵ノ直路皇土要域来攻ニ対シテハ機ヲ失セズ機動兵力特ニ航空及特攻兵力ヲ移動集中シテ之ヲ反撃撃滅ス
  [略]
五 天号作戦ニ於テハ先ヅ航空兵力ノ大挙特攻攻撃ヲ以テ敵機動部隊ニ痛撃ヲ加ヘ次デ来攻スル敵船団ヲ洋上及水際ニ捕捉シ各種特攻兵力ノ集中攻撃ニ依リ其ノ大部ヲ撃破スルヲ目途トシ尚上陸セル敵ニ対シテハ靭強ナル地上作戦ヲ以テ飽ク迄敵ノ航空基地占領ヲ阻止シ以テ航空作戦ノ完遂ヲ容易ナラシメ相俟テ作戦目的ヲ達成ス
  [略]

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』より)

 このように海軍は、南西諸島方面での特攻作戦を主とする航空作戦、すなわち天号作戦を一種の決戦として重点を置いているのが見て取れる。しかし、天号作戦そのものはなぜ戦われるのかといえば、作戦方針に「敵ノ皇土侵襲企図未然撃砕ヲ期スル」「皇土防衛態勢ヲ強化」とあるように、本土上陸の阻止であり、本土防衛のための態勢強化の時間稼ぎのためであることは明らかである。そしてその戦法は航空特攻なのである。
 海軍の沖縄方面航空特攻作戦をもって、「日本軍が沖縄を助けたのだ」というような言説がまことしやかにささやかれているが、海軍の沖縄方面航空特攻作戦もあくまで本土防衛を第一とする航空作戦であり、沖縄での地上戦はそのために米軍を引きつけ、わけても米軍による航空基地の設営を妨害し、航空戦を有利にはこぶための作戦でしかなかった。

離島残置諜者2名、与那国島へ派遣される

 第32軍に派遣されていた陸軍中野学校(二俣分校含む)出身の諜報要員である宮島敏朗(旧姓阿久津)が「柿沼秀男」との偽名で、また仙頭八郎(旧姓中屋)が「山本政雄」との偽名で、それぞれ「離島残置諜者」として与那国島へ渡った。
 離島残置諜者は、その他にも波照間島や黒島、伊是名島、久米島などに派遣されたが、彼らは島田叡沖縄県知事から受領した国民学校訓導などの辞令を所持しており、国民学校訓導や青年学校の指導員として身分を隠匿し、義勇隊などを組織し軍事訓練を施すとともに、軍司令部と連絡を取り合い、島での諜報活動をおこなう手はずとなっていた。また米軍上陸後は、遊撃戦を展開する予定であった。
 波照間島に「山下虎雄」の偽名で派遣された離島残置諜者酒井喜代輔は、島を恐怖支配し、嫌がる波照間島住民を西表島に強制的に疎開させ、マラリアに罹患させるなど大きな被害を与えた。波照間島住民の酒井への恐怖は戦後も尾を引いたといわれている。また伊平屋・伊是名に派遣された2名の離島残置諜者も米軍捕虜や住民虐殺をおこなうなどした。久米島における鹿山正海軍兵曹長以下鹿山隊による住民虐殺事件についても、久米島に派遣されていた離島残置諜者の何らかの関与が疑われており、離島残置諜者の実態は相当に残虐なものであった。
 一方で与那国島に派遣された宮島は、日本の敗戦を予測しており、後に「住民を積極的に指導するつもりはなかった」と証言しており、離島残置諜者と住民の関係は、離島残置諜者によって異なっていたともいえる。

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石原昌家「沈黙に向き合う 沖縄戦聞き取り47年」〈30〉(琉球新報2018.11.29)

米機動部隊の動向

 米機動部隊から発艦した艦載機延べ1000機は19日、呉はじめ中四国、阪神地域を空襲し、この日も少数ながら艦載機が九州東岸地域に来襲し攻撃をくわえた。
 米機動部隊は四国方面に接近していたものの、19日ごろより南下をしていた。これに対し海軍第5航空艦隊はエセックス型空母やサラトガ型空母を攻撃し、炎上を確認した。
 第5航空艦隊は明日21日、特攻兵器「桜花」を搭載する神雷部隊の出撃をもって米機動部隊に「とどめ」の攻撃をおこなうことを企図した。
 第5航空艦隊宇垣司令長官のこの日の日記には次のようにある。

三月二十日 火曜日
  [略]
○ 本日彗星隊たる七〇一空を主としたる全力追撃戦を行う。特攻隊は南北より迂回して敵に迫りエセックス型一中部命中大爆発炎上、またサラトガ型一大火災、両者とも撃沈確実、他に一隻の空母艦橋に突入大火災を生ぜしめたり。
彗星の熟練搭乗員は戦果の確認できざるを遺憾とし、低空降下爆撃を行い甲板中部へ必中弾を送り命中を見届け帰着、すぐに爆弾を搭載して再出発せるものあり。
優秀なる技量者本法を以てするを経済有効的となす。しかれども本思想を一般に適用せば必中を期せられざるに至る、むずかしき点にして吾人は依然として特攻精神に重点を置かざるべからず。
  [略]
○ 一段、二段、三段の索敵に続き夜間陸攻四機は南下中の敵四群を探知し触接を持続したり。敵針南四、明日南西諸島線の警戒を指令するとともにその速力の一〇─一二ノットなるに鑑み神雷攻撃の好機至るべく準備を下令したり。

(宇垣纒『戦藻録』下、PHP研究所)

参考文献

・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・上原令「アイスバーグ作戦軍事用語・略語及び地名集」(沖縄県教育委員会『史料編集室紀要』第26号)
・大田静男『八重山の戦争』復刻版(南山舎)
・川満彰『陸軍中野学校と沖縄戦』(吉川弘文館)

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空母ワスプの対空砲火をうけ墜落する日本軍機「彗星」:沖縄県公文書館【写真番号101-32-3】