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【沖縄戦:1945年6月6日】「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」─海軍大田司令官の報告

海軍部隊の戦闘

  小禄、豊見城方面では日米の死闘が続く。
 この日早朝より天候が回復し、朝6時ごろから米軍機の行動が活発となり、地上戦闘の支援として那覇沖の米艦の艦砲射撃も激烈であった。地上では小禄西側、金城、大田司令官が指揮する赤嶺(第951海軍航空隊小禄派遣隊戦闘指揮所)で激戦となった。特に赤嶺では米軍の馬乗り攻撃をうける状況となり、戦況は切迫した。また小禄集落西側高地は米軍の進入をうけ、一度は守備隊が逆襲奪回したものの、再占領された。
 一方、海軍沖縄方面根拠地隊は瀬長島の海軍砲台から米軍陣地へ射撃をおこない、米軍の背後を襲った。

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小禄・豊見城地区の6日の戦況図 赤線が米軍の進出ライン:戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』より

 大田司令官はこの日夕刻、

戦況切迫セリ 小官ノ報告ハ本電ヲ以テ此処ニ一先ヅ終止符ヲ打ツベキ時機ニ到達シタルモノト判断ス 御了承アリ度

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

と電報するとともに

身はたとへ沖縄の辺に朽つるとも守り遂ぐべし大和島根は

(同上)

と辞世を送った。事実上の訣別電ともいわれるが、大田司令官はこの電報を発した後に豊見城の海軍司令部壕に移動し戦闘の指揮を続き、引き続き各方面と連絡を取り合った。
 6日の戦況について、海軍沖方根は次のように報じている。

 沖根連合陸戦隊戦闘概報第五六号(六月六日)
一 明治橋完成後敵兵力ノ移動物資ノ輸送盛ナリ 但シ未ダ戦車ノ通過スルハ認メアラズ
二 朝来赤嶺、金城、小禄部落ニ対スル重圧ハ加ハリ一部兵力小禄西部高地ニ侵入一応撃退セルモ夕刻更ニ兵力増加シ約一〇〇侵入セリ 此ノ敵ニ対シ二二〇〇ヨリ邀撃ヲ敢行七日〇二三〇奪回セリ
三 赤嶺陣地ニ対シ約三〇〇攻撃シ来リ一時馬乗リトララレ危険ニ瀕シタルモ友軍迫撃砲機銃ノ連繋ヨク直チニ撃退セリ
四 当間西方ニ約二〇〇迫撃保う陣地ヲ構築中ニシテ一部戦車ノ動キヲ見ルモ戦況活発ナラズ
五 根差部、高安方面著変ナシ
六 各部隊ヨリ報告シ来レル六日中ノ綜合戦果 戦車一擱坐、車輛一破壊、人員殺傷約一二〇
 報告未着ノ為右戦果ハ増大スル見込

(同上)

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軽機関銃を射撃する海兵隊員 キャプションに後方のコンクリートは海軍の銃座とあることから、小禄地区での戦闘の様子だろうか 45年6月6日撮影:沖縄県公文書館【写真番号80-25-1】

「後世特別ノ御高配」について

 大田司令官はこの日夜、海軍次官に宛てて次の通り電報した。「……」部分は判読不能の箇所である。

 〇六二〇一六番電
 左ノ電ヲ次官ニ御通報方取計ヲ得度
 沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃下……風雨ニ晒サレツツ乏シキ生活ニ甘ジアリタリ 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦炊事婦ハモトヨリ砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ……真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ 更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレテ御奉公ノ……ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ……コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形……一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

※……は判読不能箇所

(上掲戦史叢書)

 以上の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」との大田司令官の電報は、沖縄戦における住民の犠牲の一端を語るものであり、いかに軍が住民の保護を軽視したか、軍が住民を戦争に動員したかを示している。そして、その責任の一部を大田司令官自身が認めるものであり、高潔な言葉であることは否定しない。
 しかし「特別ノ御高配」は「後世」に賜わるのではなく、軍による住民の避難や保護、あるいは住民を巻き込む無謀な戦闘の回避など、沖縄戦時において大田司令官自身が行うべきものであったともいわざるをえない。

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第76野戦病院 キャプションに24号線から見たとあるが、それが現在の沖縄県道24号線のことであれば、北谷あたりにあった野戦病院であろうか 45年6月6日撮影:沖縄県公文書館【写真番号05-19-1

宇垣司令官の日誌より

 海軍第5航空艦隊宇垣纏司令官はこの日の日記に次のように記している。

六月六日 水曜日 〔曇〕
  [略]
 大田実沖縄根拠地隊司令官は九五一空と共に小禄飛行場方面に在りしが、敵の同飛行場に近く上陸侵入せるにより(麾下の四個大隊及び火砲の大部を陸戦前線に参加のため相当損耗)沖縄南部に後退せる陸軍との連絡断絶、ついに最後の訣別電を発せり。
 大田少将は支那以来陸戦隊司令官としてミッドウェー攻略作戦、ソロモン防守作戦に勇戦し終に沖縄の地に散るに至る。吾ら航空部隊またその責を負う。少将の辞世に曰く、
 身はたとへ沖縄の辺に朽つるとも
  守り遂ぐべし大和島根は

(宇垣纒『戦藻録』下巻、PHP研究所)

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農作業をする住民を監視する米軍憲兵 45年6月6日撮影:沖縄県公文書館【写真番号05-39-2】

6日のその他の戦況

 摩文仁方面へ南進する米軍はこの日、現八重瀬町世名城まで進出し、八重瀬岳北側に向かって攻撃をくわえてきた。所在部隊(船舶部隊、海軍丸山大隊など)は来攻した米軍に急襲火力を浴びせ多大の損害を与えてこれを撃退した。
 また昨日に引き続き現八重瀬町具志頭の前進陣地や新城の警戒陣地にも米軍が攻撃してきたが、これを撃退した。
 この日、独立臼砲第1連隊は独立混成第44旅団長の指揮下に入り、同旅団の中地区隊となった。
 友寄付近の第2収容陣地に配備されていた歩兵第22連隊は、3日以来南下する米軍と交戦しその何かを阻止していたが、軍命令に基づき、第1大隊(小城大隊)を警戒部隊として志田伯付近に残置し、主力はこの日夜陣地を撤退して真壁に後退して師団予備となった。
 大本営陸軍部戦況手簿にはこの日の戦況が次のように記されている。

一 南部ノ敵ハ具志頭、富盛、世名城附近ニ進出 又別ニ一部志多伯、小城附近ニ進出ス 海軍部隊依然敢闘中
二 来襲状況 本島六〇機、大島四七機、喜界島二六機、徳之島六六機

(上掲戦史叢書)

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沖縄南部の陣地配備図 赤枠が部隊、緑枠が主要な地名:戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』より

 なお具志頭の新城には、いわゆる「朝鮮人軍夫」といわれた朝鮮半島出身の軍属の部隊である特設水上勤務第102中隊がいた記録がある。
 同中隊は地上戦開始前は那覇で揚陸作業に就いていたが、地上戦後は東風平などで前線への弾薬運搬をおこなっており、第32軍司令部の首里放棄・南部撤退にあたり同中隊も南部へ撤退し、具志頭の新城へ弾薬や物資を運搬した。以降、砲爆撃により部隊は散り散りとなり、第62師団輜重隊の隷下となるも現糸満市山城付近で壊滅したといわれる。
 これまで何度も記してきたことだが、沖縄戦では多くの朝鮮半島出身者が動員され、そして犠牲になった。しかし彼らの動員や犠牲の実態について戦後ほとんど顧みられることがなく、今なお不明な部分が多い。

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奥武山の前線をトラックで通過する海兵隊部隊 奥武山には護国神社などいくつか神社があるが、その一つだろうか 45年6月6日撮影:沖縄県公文書館【写真番号86-27-3】

新聞報道より

 沖縄の戦況について大阪朝日新聞はこの日、次のように報じている。

那覇・首里の南方で激闘
 敵、国場川を渡河
  戦勢楽観許さず
   荒天下陣前で猛反撃
沖縄島南部地区においては敵は引き続きわが主陣地に対し逐次侵入し来り戦況は依然容易ならぬ様相を示している、ここニ三日来戦線の両翼たる東西両海岸方面においてはわが部隊の頑強な抵抗により敵の侵出を食ひ止め西海岸においては那覇南部の戦、東海岸においては与那原南方三キロの稲福附近に於て敵の侵出を阻んでいるが、中央地区において逐次侵出し敵は首里南部の地区において逐次侵出し敵は遂に国場川を渡河その南岸に侵入わが部隊は陣前において敵の浸透を防止せんとし猛反撃を繰返している、中央地区における目下彼我両軍の対峙する戦線は首里南方三キロ乃至四キロを結ぶ線である、沖縄地区は雨季に入り天候は再び悪化しつつあるが、わが特別攻撃隊は悪天候を冒し連出動本島周辺の敵艦船に甚大な損害を与へつつある

(『宜野湾市史』第6巻資料編5 新聞集成Ⅱ〔戦前期〕)

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米を脱穀する地元の女性 45年6月6日撮影:沖縄県公文書館【写真番号79-05-1】

参考文献等

・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・戦史叢書『沖縄方面海軍作戦』
・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・沖本富貴子「沖縄戦に動員された朝鮮人に関する一考察」(沖縄大学地域研究所『地域研究』第20号)

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海軍沖縄方面根拠地隊大田実司令官:戦史叢書『沖縄方面海軍作戦』