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【沖縄戦:1945年2月13日】「米機動部隊が沖縄へ接近」との情報に接し、第32軍に緊張が走る 防衛召集規則の改正による召集要領の簡略化

米機動部隊、南西諸島へ接近か

 第32軍牛島司令官はこの日、連合艦隊より米機動部隊に関する情報をうけ、米軍の南西諸島への上陸を警戒し、以下の情報を発する。

球情報
一 聯合艦隊ノ情報ニヨレハ敵機動部隊ハ十一日午後「ウルシー」発南西諸島又ハ九州方面ニ向ヒツツアルモノノ如シ本行動ハ新作戦(南西諸島攻撃)ノ前提ノ算アリ
二 B-29一一四五沖大東島一機、一三〇五及一三一〇各一機宮古島ヲ哨戒ス 各隊ハ警戒ヲ厳ニスヘシ

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

 また第32軍はこの日23時頃、米機動部隊がウルシー方面のみならずマリアナ方面からも出撃を開始し、新たな攻勢開始の兆しがあると情報電を発した。
 海軍沖縄方面根拠地隊(陸戦部隊を中心に沖縄に展開していた海軍部隊)大田実司令官もこの日、「防備部隊ハ警戒ヲ厳ニシツツ速ニ邀撃準備セヨ」と電令した。

米軍から見た沖縄攻略作戦

 アイスバーク作戦といわれる米軍の沖縄攻略作戦は、日本降伏のためには本土上陸が必要であり、そのための中継基地・前進基地として沖縄を位置づけるものであった。また本土空襲のための航空基地の確保・造成としても沖縄は絶好の位置にあった。
 米統合参謀本部は1944年10月3日、翌1945年1月20日に硫黄島上陸、3月1日に沖縄上陸という作戦命令を下しており(後に1ヶ月延期)、虎視眈々と、そして計画的に沖縄を狙っていたのである。
 沖縄攻略作戦に参加した米軍の兵力は、上陸部隊であるバックナー陸軍中将率いる第10軍が陸軍4個師団と海兵隊3個師団など18万人、これを支援する海軍部隊を合わせると50万人を超える巨大なものであった。その上でこの巨大兵力が沖縄とその近海に留まることができるよう、米本土からの物資の輸送体制が構築された。
 また米軍の沖縄攻略作戦には英軍も参加しており、主に宮古・八重山諸島への攻撃(空襲)などを担った。

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沖縄戦に参加した連合軍の主要部隊(林博史氏作成:『沖縄県史』各論編6 沖縄戦より)

防衛召集規則の改正

 また、この日、防衛召集規則が改正され、召集要領が簡略化される。この時期の沖縄では、第32軍の主力部隊であった第9師団が台湾へ抽出されたことによる兵員確保のため防衛召集が行われていた。戦況の悪化に伴い防衛召集の対象は拡大し、要件が緩和されていったが、それでも沖縄戦での防衛召集は、少年を動員したり、召集した防衛隊を戦闘に投入するなど、違法な防衛召集が大半であった。

参考文献等

・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・河合正廣「陸軍の防衛召集制度とその実態について─沖縄における防衛召集」(防衛研究所『戦史研究年報』第3号、2000年)

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沖縄攻略のためウルシー環礁(西太平洋カロリン諸島東北端)に集結する米機動部隊の大艦隊:沖縄県公文書館【写真番号114-40-2】