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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中4

『華厳経』の構成・テーマについて

1巡目の際には、無手勝流で読み進めたので、まったく気にしていなかったが、『国訳大蔵経』解題では、その場面によって構成〔六十巻本、七処八会(しちしょはちえ)〕が分かれている点が指摘されている。

大まかに言うならば、地上から天上へ、天上から地上へという流れになるであろう。

正直、1巡目では、唐突に場面が変わる気がしていたが、その点について木村清孝先生は、次のように指摘している。

「しかしこの台本は、残念ながら完璧ではありません。ステージとステー 
 ジ、個々のテーマとテーマとの間のつながりが上手くいっていなかった
 り〔中略〕このような欠陥は〔中略〕編集・増補された集成経典であるこ  
 という事実にもとづいております。」
 
  木村清孝,『華厳経入門』,KADOKAWA(角川ソフィア文庫),2015,p.40

さらに、木村先生は、全体のテーマは次の3つに分かれるとして
いる。

 1)毘盧遮那仏のさとりとその世界である蓮華蔵世界
 2)仏の世界へと到る菩薩の実践の階梯
 3)一人の求道者の歩みを通じての菩薩道の具体的な展開

これに対して、渡辺照宏先生は、『華厳経』のテーマを2つに絞っているのだが、いわば、木村先生の上記2と3の項目がひとつになった印象を受ける。

 「仏陀そのものの絶対的で同時に現実的でもある性格と、ボサツ修行の
  道とを二大テーマとして『華厳経』が展開される。」
  
  渡辺照宏,『お経の話』,岩波書店(岩波新書),2012,p.157

中村元先生は、『般若経』群と比較し、おおむね1つのテーマとしている。

 「『華厳経』は現実の実践(菩薩行)を強調している。いわば、真空から
 妙有への展開を示すものである。」
  
  中村元,『大乗仏教の思想 大乗仏教Ⅱ』,中村元選集〔決定版〕
  第21巻,春秋社,2012,pp.814-815
 
1巡目を読んだ当方としては、木村先生の分け方の印象に近く、特に入法界品は、かなり独立した存在に思えたため、3つに分けるのがすわりが良いような気がする。

菩薩は多くの場面で出てくるのであるが、その前段として、仏(毘盧遮那仏)の世界が描かれており、また、話の筋からすると、善財童子は、菩薩であってはならないような気もする。

菩薩行を行うものはすべからく菩薩ということであれば、善財童子=菩薩と呼べなくもないが、しかし『華厳経』の編集の意図としては、菩薩であっては、話がおかしくなるのではないだろうか、むしろ菩薩でないものが行を進めていくにつれ、菩薩となっていくという姿の方が、よりドラマ性が高くなる(より宗教的な感動を呼ぶ)のではないだろうか。











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