『華厳経』睡魔・雑念 格闘中6
「盧遮那品」
この品に関わった祖師らは、海沿いでの場所に暮されていたのであろうか。
あるいは、海が無い砂漠のような場所で、生まれてからこのかた見たことが無い"海"への憧れを以て、そのイメージをこの経に展開したのであろうか。
なぜか、この品に入ったとたん、海の文字が頻出する。(とは言っても、直接的な海=Seaというよりも、”世界”を意味しているようだ。)
それ以外にも、「盧舎那品」では、具体的な世界のイメージというのが蓮の花のモチーフを用いて説明されているようだ。泥土から咲く清らかな花のイメージが仏の世界には相応しい。
この品の半ば以降は、本経の中心となる、盧舎那仏ならびに普賢菩薩が中心となり、経が展開される。普賢菩薩は、諸々の如来らから、以下のように称賛される。
普賢菩薩が正受〔法を受け継ぐ〕するためには、普賢菩薩が、三昧に入る〔因〕ことも必要ではあるが、廬舎那仏の存在・本願〔縁〕が必要であるこ
とが示される。
全ての事象が、そのもの自体では成立しえない点を、普賢菩薩は、諸々の菩薩に次のように告げている。
翻ると、盧遮那仏からの縁はすでに遍在していることになるのだが、では、肝心の原因はどのように行われれば良いのであろうか。
普賢菩薩は、他の菩薩に対して、次のように告げている。
1巡目の際には、"普賢の行"について、具体的な部分が示されていないと思っていたが、今回読み進めた際に、なんとなくヒントになることが示されているのではないかと気が付いた。
普賢菩薩が偈を頌す前に、”一切如来浄蔵三昧”から離れている点から、三昧(具体的な内容は示されていないが、名前からして浄に関わることであろう。)を前提とし、仏への信心を基に、衆生に対する願波羅蜜を行うことがここでは示されている。
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