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USHIGAERUGATE 2020牛蛙駆除記

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プロローグ1 199×年 

自身がそれを経験したかどうかは別として、一面に広がる田んぼは多くの日本人の心の原風景として記憶されている。幸運なことに、私はそれを経験して大人になった。

夏休みには、照りつける太陽の下、碁盤の目状に広がる田んぼの合間にある埃っぽい砂利道を自転車で駆け抜けた。荷台には釣り竿とタモ網と魚籠がくくりつけられていた。目的はだだっ広い田んぼの中でぽつりと流れる農業用水路だった。たいていは一人でと行くことが多かったが、休みの日には父が連れて行ってくれた。父と行けば、取れる生き物が多く、楽しいことが多かった。

お目当ての農業用水路は自宅からちょっと離れた田んぼの中に流れていた。それは農業用水路としてはそこそこ大きな部類に入るもので、川幅は2m弱にもかかわらず長さは1キロ近くあった。川の南の方へ行くと川の深さも川幅も一気に大きくなった。そこでは巨大な鯉の魚影が見られ、随分と雰囲気が異なっており、底知れぬ恐怖を感じた。だから、少年たちはあまり近寄らなかった。

地元の小学生達の遊び場として有名な川で、夏休みになると毎日のように誰かが魚釣りをしていた。もちろん私もその一人だった。毎年のように学校から注意喚起がされていたが、誰も気に留めていなかった。

メダカや鮒がよく連れた。我慢ができない私には釣りのまどろっこしさが気に入らなかったようで、タモ網でメダカやおたまじゃくしを捕まえることが多かった。

ある夏の日、いつものように父と川へ向かい、タモ網で水の中を闇雲にすくった。夏の終わりが近づいていて、残暑は厳しかったが徐々に秋の雰囲気も感じられた。その日はメダカを捕まえることができず、大量におたまじゃくしが取れた。水草に網を入れてすくい上げると、10cm近いおたまじゃくしが数匹、太い体を網の中でくねらせているのが見えた。

夕暮れになるとウシガエルの野太い声が響き、門限を私達に思い出させた。それは私たちが帰宅する合図だった。

「今日はだいぶとれたね」と父が言った。

「うん、持って帰って飼おうと思う」

「そんなに?多すぎるんじゃないか?」

「もったいないし、たくさん飼えば蛙になるのもいると思う」

道具を片付け、数十匹のうごめくおたまじゃくしで一杯になった魚籠を持って帰路についた。

家にはいつもの小さな水槽しかなかった。無理やり水槽におたまじゃくしを入れると、どの角度から見てもおたまじゃくしで埋め尽くされていた。

私は満足して、「今日は大漁だったよ」と母に告げた。

でも、翌朝、水槽を見ると、大量のウシガエルのおたまじゃくしはすべて死んでいた。

「酸素が足りなかったんだろうね」と父が言った。

 
プロローグ2 2019年 誰が為にカエル鳴く

小学生のころの農業用水路で止まっていたウシガエルとの縁を私に思い出させたのは、30歳も近くなる2019年だった。
転勤でこの街に引っ越して2年目の夏だった。

部屋の裏のドブ川には大量のウシガエルたちが住んでおり、求愛行動や交尾、縄張り争いに精を出していた。その不快な鳴き声が一晩中容赦なく部屋の中に注ぎ込まれ、カーテンを閉めても、シャッターを閉めても、はたまた耳栓をしても逃れることができず、5月から9月にかけては睡眠障害に悩まされた。

だから、私が川にアナゴかごを仕掛け、手に釣り竿とモリを持ち、駆除を始めたのは自然な流れだったように思う。

ドブ川は近くの川から運んできた水と生活排水でできていた。川に出ると、濁った流れが東と西のどちらかに向けてぬらぬらと流れていた。流れの中に淀んたウシガエルを探し、一匹づつ仕留めた。

結局、2019年はモリを駆使して11匹のウシガエルを駆除した。

9月に最後のウシガエルをモリで駆除し、ウシガエルの声は聞こえなくなった。

その後、妻と散歩した際に改めてドブ川を観察した。ドブ川は相変わらずどっちつかずに流れていて、川をヘッドライトで照らしてもウシガエルの赤い目を見つけることはなかった。

「全部殺しきったのかもね」と妻が言った。

「翌年になればまた新しいウシガエルたちがやってくるさ。おたまじゃくしがいるんだから」

ドブ川は変わることなく濁っていて、コオロギがクィックィックィッ…となく声がずっとあたり一面に響いて風に揺れる稲穂と協奏していた。

とにかく、そういうふうにしてその年は終わった。

 

2020年ドブ川ウシガエル戦争 我らの時代

2020年4月4日は新型コロナウィルスの影響で世界中は大混乱に陥っていた。

私も一つ歳を取り、コロナショックによる株式相場の下落の傷から立ち直れず、パソコンの前に座ってチャートとにらめっこをしていた。妻は半年近く続いた体調不良から回復の兆しを見せていた。

残念ながら、それは唐突だった。

「ブオーーーーーー、ブオーーーーーーーーーーーーー」

その年初めてウシガエルが家の裏で鳴いた。

忘れようとも絶対に忘れられない。記憶の隅にずっと残り続けた不快で煩わしい音だった。

新たな闘争が、幕を開けた。

ウシガエルの時代だ。

男の世界

この年はヘッドライトとモリを基本戦略としてウシガエルを駆除すると決めた。2019年後半にヘッドライトとモリのコンビネーションで少なくない戦果を上げており、自信があった。

アナゴかごではウシガエルが入るかどうかは運次第なのだ。設置するだけで捕獲できる手軽さは素晴らしかったが、その待ちの姿勢が気に入らなかった。積極的に捕獲して、夏がくる前にすべてを駆除をするのだ。夏になれば、ドブ川には蚊が大量にわく。そうすると、外に出てウシガエルを駆除するどころではなくなるのだ。

翌日、水際の狭い隙間から水面に覆いかぶさるように生える雑草を水中に落とした。モリで突く際の水面の視界確保が主な目的だったが、これには意外な効果があった。根っこの一部を残したまま雑草を水中に落とすと浮きのように水面に浮かび、その上で休むウシガエルを狙いやすくなるのだ。これは後々、私のウシガエル駆除に大きく貢献することになった。

その後、川岸の雑草を駆除した。アスファルトの隙間から力強く生える雑草は茎が太く、地面にしっかりと根を張っていた。全力でも引っこ抜くことができなかったため、次善の策としてカマで茎を刈った。草を踏みしめて音を出せば、ウシガエルはすぐに警戒して逃げてしまう。それを防ぐのだ。

昨年のモリとヘッドライトは物置に保管していた。ヘッドライトに新しい電池を補充するとぱっと明るく光った。モリのゴムはすでに壊れていたが、しなやかな竹でできた本体部分と4又の先端部は健在で、手投げで十分に使えた。手入れをして、玄関に設置した。

ウシガエル服には昨年と同じ、中日ドラゴンズファンクラブ入会特典(2019)のパーカーを利用した。薄手の長袖パーカーは着脱が楽で、汚れても構わないので、ウシガエル服にはぴったりだった。これで返り血を浴びても問題がない。

モリとヘッドライト、ウシガエル服を玄関に設置し、いつでも出撃できる体制が完了した。

玄関に立てかけられ明かりに照らされたモリをよく見ると、本体と先端の結合部分に乾いた血がこびりついて、薄茶色に汚れていた。

ウシガエルは宙に舞う


不思議なことに、ウシガエルはたいていNYマーケットのOPENに合わせて鳴き始める。夜になってもしばらくはおとなしくしていて、人が寝静まった頃から翌朝にかけてが彼らの時代なのだ。

2020年シーズン初めての狩りは意外と早く訪れた。

初めてウシガエルの声を聞いた翌日、不快な鳴き声のカルテットが暗闇を支配するのがわかった。

素早く外に出て、ヘッドライトを装着してモリを手にした。まだ蚊が出ていない季節だったので、ウシガエル服は装着せず着の身着のまま外に出た。

風はまだ肌寒く、ウシガエル服を着ればよかったと少し後悔した。風にのってドブ川の臭いの合間にほんのりと春の香りが鼻をくすぐる。

ウシガエルの声は複数匹分確認できた。一番私の部屋に近い場所をターゲットに定めた。

橋の上からそっとヘッドライトで照らすと、ウシガエルの目が赤く怪しく光った。そこから正確な場所を推定する。橋の上からと川岸からでは川の見え方が違うので、川岸に移動すれば位置をつかみにくくなることを知っていた。川岸のフェンスの柱の位置からおおよその場所を推定する。端から数えて13本目の柱周辺に当たりをつけた。

しっかりと川岸からの見え方を推測して音を立てぬように速やかに移動した。暗闇の中、ゴキブリが地面をもぞもぞとうごめいていたが、私が近づくとぱっと散った。水面にはミシシッピアカミミガメが浮いていた。昼間は私の姿が見えただけですぐ逃げる彼らも、夜には目が見えないようで、全く逃げる様子がなかった。

推測通り、ウシガエルは13本目の柱周辺に潜んでいた。

フェンスの上からそっと首を出して水面を見つめ、ヘッドライトで照らした。ウシガエルは浮いた雑草の上にじっと乗っていた。モリを長く持ち替えると、手が汗でべっとりと濡れていることに気がついた。身を乗り出し、震える拳をぐっと握りしめ、思い切りモリを打ち込んだ。ウシガエルが跳ね、水しぶきと波紋が水面に広がった。「ボコボコ…」と体の空気を抜きながら急いで水中に潜ろうとする音とともに、モリがぐっと引っ張られる。ガッチリとカエシまで刺さっているから抜けない。手元にしっかりとした重みが伝わり、ヒュンとモリを川から引き上げた。ウシガエルはモリの先端部分で宙に舞い、鮮やかな半円を描いて地面にひれ伏した。

鮮やかな緑色をベースに茶色の斑模様が映える体だった。目元には大きな円状の鼓膜があった。近くで見れば見るほど禍々しい姿をしたオスだった。彼はもう逃げることを諦めたようでじっと動かなかった。

そのまま頭をコンクリートに打ち付けて気絶させ、処分した。

血痕が残ったが、それは翌日の雨で洗い流された。

死の遠景


4月上旬に最初にウシガエルを捕まえてから、週3匹のペースで駆除した。 

東西に広がるドブ川の端にもウシガエルが生息しており、今後のことを考えればそれらも駆除したかったが、条件が捕獲に適しておらず、諦めざるを得なかった。最も、家の前のウシガエルを駆除すると別の場所からすぐに新たなウシガエルが移住してくるため、ターゲットには困らなかった。

5月半ばになっても、ウシガエルの声が聞こえるとその都度出撃していた。残念ながら捕獲/出撃レシオは低かった。ウシガエルの声とともに出撃し、逃げられて帰宅する、ということを何度も繰り返した。1日に10回は出撃した。平均歩数5,000歩の私の万歩計は毎日10,000歩以上を記録していた。

大抵のウシガエルは警戒心が強く、橋の上からライトを照らして位置を調べる段階で逃げられてしまうのだ。そのため、橋の上から位置を確認するのをやめ、声がする場所からおおよその生息位置を推測して近づくようにした。

また、出撃や捕獲記録から、殆どのウシガエルは4月に落とした雑草の上にいることが多いことがわかってきた。私はその限られた捕獲ポイントを川岸から判断できるように川岸に印をつけた。これによって、背後に近づくその直前までウシガエルに接近できるようになった。大きな前進であった。

ウシガエルの生態にも更に詳しくなった。ウシガエルが二匹、水面で互いにのしかかったり飛び交ったりしているのをよく目にしており、これを交尾しているのだと思っていた。このとき、二匹のウシガエルがお互いに鳴くため、かなりうるさいのだ。ただ、これは交尾ではなく、オス同士の縄張り争いと知った。よく考えればウシガエルが鳴くのはほとんどがオスなので、お互いが鳴いているのを知った時点で気がつくべきだったのである。

 

最強の刺客 中華ライト

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5月中旬にウシガエルの生態や駆除方法を調べている中で、昔の日本の民俗学の本を見つけた。ウシガエルが食用として入ってきた頃、農家の人々が副業でウシガエルの飼育や捕獲をしていたそうだ。彼らは、夜になると水の上に強いアセチレン灯をともし、ウシガエルがそれで目をくらませて動かなくなったところを捕まえていたとのことであった。

ウシガエルは、「強い光で目がくらんで動かなくなってしまう」のである。それまで私が利用していたヘッドライトはアウトドア用で非常に使い勝手の良いものであったが、光の量という意味では不十分に感じていた。橋の上から光を照らしても光が弱くて見落としてしまうことがあったのだ。

そこで、新たなヘッドライトを購入した。

自称12,000ルーメン(絶対に嘘)のこの中華ライトである。あまりお金をかけたくなかったので、安いものにした。

値段の割に効果は絶大で、届いたその日から中華ライトは川を明るく照らし、ウシガエルたちを丸裸にした。橋の上から照らしただけで遠く離れた場所のウシガエルですら目視で確認できるようになった。そして、真上から照射すると紐で縛り上げたかのようにウシガエルの動きを止めた。ゲームチェンジャーであった。

その晩、私は4匹のウシガエルをKONMARIした。

その日を境にウシガエルたちは急速に数を減らしていく。は私にとっては希望の日に、そしてウシガエルたちにとっては絶望の日となった。

 

USHIGAERU GATE


中華ライトの登場でウシガエル駆除は一気にゲームバランスが崩れてしまったが、歴戦のウシガエルたちはそれでも私から逃げ続けていた。

5月にはトランプはOBAMAGATE一色だった。ツイッターでウシガエルの駆除を逐一報告していた私のもとにも、ウシガエルシンパやウシガエルの利権団体からの講義リプライが届いていた。まさにこれはUSHIGAERUGATEというべき陰謀だった。絶対に負けられない睡眠を守る戦いがそこにあった。

ただ、何匹かのウシガエルは異常に警戒心が強く、私を悩ませた。彼らをかってにウシガエル最強の4傑とよんだ。本当に4匹いたのかもよくわかっていない。あるウシガエルは、真後ろから中華ライトの強烈な照射を浴びてもそのまま水面に逃げた。また別のウシガエルは、遠くからの中華ライトの光に気がついて逃げた。そういうウシガエルに対しては直前までヘッドライトを付けずに接近し、暗闇の中で真上に到達したと確信した瞬間にライトを付けてすぐにモリを打ち込んだ。そしてまた、あるウシガエルは私の足音だけで逃げた。

彼らの対処するために様々な調査を行った結果、ウシガエルは鳴いているときは警戒心が強く、そうではないときは比較的警戒していないのではないかと仮設を立て、あまり鳴いていない夕方7時から9時位の間にパトロールするようになった。たしかにその時間帯のウシガエルは、変わらず水面に浮かんでいたが、私が近づいてもあまり逃げなかった。そのため、ウシガエルの声が聞こえなくても、この時間帯に出撃するようになった。何度か失敗を重ねた末、相手の警戒心のスキを突いてなんとか駆除した。

6月の終わりには、家の近くで鳴いているウシガエルは1匹だけになっていたが、これには大変苦しめられた。比較的サイズが大きいオスで、毎晩毎晩かなりうるさい音を撒き散らしていた。このウシガエルは家の裏で唯一モリが届かないポイントに潜んでおり、全く手を出すことができなかった。ルアー釣りを試みたが、それにも全く反応せず、草に引っかかってロストするルアーだけが増えていった。

このウシガエルの最期は意外とあっけなかった。6月の終わり、久々に確認したアナゴカゴの中にそのウシガエルはいた。それまでで1匹しか取れていなかったので全く期待をしていなかったが、そいつはなぜかアナゴかごに入ってしまった。

本当に、あっけない最期だったのだ。

彼はこの年に駆除した34匹目のウシガエルとなった。

そして、その日を境に、私が睡眠不足で悩むこともウシガエルの声に悩まされることもなくなった。

 

エピローグ 何を見てもカエルを思い出す


1ヶ月後くらいに、どこからか移住してきたウシガエルが2匹、我が家の前に姿をみせた。一匹は、私の部屋の後ろで鳴いているところをスパークジョイした。もう1匹は、流れてくるゴミの上に乗っていた。彼はそのままモリで突かれて他の33匹たちと一緒に陸にあげられた。地上でモリが外れて逃げ出したが、鈍重な体では逃げ切れずに駆除された。

36匹目を突いてから、このドブ川ではウシガエルの声を耳にすることはなくなった。

結局、この年の駆除数は36匹で終了した。(34匹…モリ 2匹…アナゴかご)

7月の終わりになると、ようやく梅雨が終わりかけて遅い夏がやってきた。ドブ川の周りにはゴキブリに加えて蚊が大量に湧くようになり、狩りに出られるような状態ではなくなってしまった。この季節が来る前にウシガエル駆除が完了して、本当に良かったと思っている。いつでも使えるように玄関においていたウシガエル服をクリーニングに出し、押し入れにしまった。

 

ある日の散歩の途中、かつて駐車場だったドブ川の横の土地に新しくマイホームが建てられていた。木材を積んだトラックが狭い通りにひしめき合い、忙しそうに数名の大工さんが部品を組み立てていた。建築主がちょうど建築の様子を見に来ていた。ご両親と二人の子供の4人が、建築途中のマイホームを希望に満ちた目で見つめていた。

彼らはこの川にウシガエルがいることを知っているのだろうか、あの位置なら我が家のようにウシガエルの声で夜に眠れないことだろう。

どうやら妻も同じことを思っていたようだ。

「あの人達、ウシガエルがいることを知ってるのかな?せっかく建てたマイホームなのに可哀想だね」

「知らないんだろうね。でも大丈夫だと思う。この街には俺がいる」

そう、力強く答えた。

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