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信念と本当の願い

こんにちは。りょうです。

久々に書きたいことが湧いてきたので残しておこうと思います。


ここ最近色々と手放したつもりだったのですが、まだまだ握り締め続けているものがあることに気が付きました。

それは
「目の前の人のために」という枕詞があるときに

ちゃんとしないといけない
役に立たないと意味がない

という強迫観念みたいなものがあることです。

役に立たないと意味がないと思っている自分はどんな自分か?

そんな問いを投げかけられた時に、出てきたのが

自分には未来に残せるものが何もない。

でした。


なんとなくわかっていたけど、言葉にするとズーンとなるし、現実を叩きつけられているような感じがしました。
(基本的にはハッピー野郎なのにな…)

ちょっとでも役に立てていないと感じるともう死んでしまいたいと思うくらい落ち込んだり、塞ぎ込んでしまう大袈裟な自分がいるんです。
(冷静になって見てみるとだいぶ飛躍してるんだけどね!)

一方で、役に立とうと全力を尽くすことで、じんわりと心が温かくなるようなお礼をたくさんもらったし、強固で深いつながりもできました。
(これは人生の大事な財産)

でも、

本当の自分は何が欲しかったんだろう?


これまでの人生を振り返りながら感じてみて出てきたのが、

無条件にありのままでいても受け入れられること

でした。

人生を振り返ると、素のままではいられない時が大なり小なりたくさんあったと感じています。

例えば、無理やり好きでもないものを好きなフリをしたり、抵抗があるのに無理やり同調してみたり。(顔の筋肉こわばりそう)

周りと比べて自分の飛び出してる部分を引っ込めて、フィットしようと必死だったんだなと思います。

だってそうしないと生きていけなかったから。


正直今も全然周りに合わせる自分はいるし、ありのままをさらけ出すことは怖いです。

でも、そういう自分もいるよねと、前よりは存在を承認できている気はします。
そして、ありのままを出していくことの力強さや、役に立たなきゃと思っている以上に、素のままでいることで、つながりが深く、揺るぎないものになることを分かりつつもあります。

完全に扉を開いてズンズン進んでいくことは難しいけど、少しずつ歩みを進めていくことはできると思います。
(たぶんそれが自分にとっては自己開示していくことなのかな)

なんでもフルオープンにできたらどうなるんだろう。


想像がつかないけど、今よりもしあわせになる未来はうっすら見えているから、現実になったらきっとスーパーハッピー野郎になっちゃうだろうな。

行動するのに勇気はいるし、乗り越えるべき山は大きいけど、今の自分なら扉を開いて歩を進めることができると信じたいと思います。

酔っ払いながら書いたので乱文すみません。
でもいいや!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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