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お金に囚われていたのはわたしだった | #アートとコピー (1)

こんにちは。デザイナーの木村ちひろです。
普段は社内報やクイズ本、フライヤーなど、単発で日本酒のラベルやイラスト、とにかく何でもデザインします!(お仕事ください!)というフリーランス2年生です。

この度、宣伝会議のコピーライター養成講座 コピーライター阿部広太郎さんの「アートとコピー」に参加することになりました。その講座第一回目の気づきです。


囚われるという字の怖さ

初回講義のテーマは「仕事が集まるポートフォリオとは?」。
「アートとコピー」に申し込む際、全員がポートフォリオを提出しています。そのポートフォリオへのフィードバックを絡めつつ、阿部さんからお話しいただきました。

その中で印象的だったことの一つが、「囚」という字のこと。

囚という字は「口(囲い)の中にいる人」という成り立ち。
言葉のまま、捕まって牢に入れられる「囚われる」もあるし、
「心が囚われる」「常識に囚われる」という
心、意識が枠にはまってしまう、という意味でもあります。

『ポートフォリオってこういうもの』と思っていないだろうか

最初から、ズバッとした阿部さんの言葉に、
ドキッとした人もいたのではないでしょうか。

ポートフォリオといえば…
作品の画像と説明文を載せたものを、何ページか集めたものというイメージではないでしょうか。私が就活や転職時に作ったものもそうでした。
ただ、そのイメージに囚われたままでは、
もうそれ以上のものは作れません。

「ポートフォリオを提出する」という課題を、言葉のまま鵜呑みし、
「ポートフォリオ」も「こういうもの」という意識に囚われたままでは
相手が本当に求めているものや、真の課題解決には繋がらないのです。


囚われないために。枠を自覚する

枠を自覚して突破しよう

「○○に囚われない自由な発想で〜」
これに似たフレーズは誰もがどこかしらで耳にしたことがありそうですが、
「○○に囚われない」の「○○」部分、つまり「囚」の「口(囲い、枠)」
枠を自覚しなければ、突破することはできません。

デザイナーとして、いいものを作りたい。
常にそう思っていますが、では「いいもの」とは何なのか。
いいもの=枠を自覚しなければそれを超えるものは作れません。
果たして私は、いつもデザインという課題に対しその都度の「枠」がなんななのか考え、それを越えようとしてきただろうか。
なんとなくいいものってこんな感じでしょと思ったり、超えるべきものもわからないまま突破しようともがいていなかっただろうか

囚われないために、まず「枠を自覚」する。
この言葉にハッとしたのでした。


私も気づけば「口」の中の人だった

私も何かに囚われていないだろうか。
そう考えてみて、ピンときたのが「予算」についてです。
会社員時代からこれまで、多くのクライアントとお仕事をする機会をいただきましたが、予算や費用対効果などにシビアな企業がほとんどです。
お金は払うから良いもの作って!という太っ腹なセリフは、この10年のキャリアで片手に数えるほどしか…いや、そんなことあったっけ?と思うくらい聞いたことがありません。
インハウスデザイナー時代は写真やイラストの無料素材を配布するサイトをめぐるのが日課で、お金をかけずにいいものを作るのが私の一番の使命でした。

私にとっては金額そのものが枠だったのではありません。
お金をかけてはいけないという前提からくる「これくらいしかできないという考え方」が囚われている枠だと感じました。

低予算でいいものをつくれば、その瞬間だいたいのクライアントに喜んでいただけます。
でも、それが本当にお互いにとっていいことなのか。

あるときは、コストを意識して作ったものではクライアントに満足されなかったため、予算度外視でデザインしたら、最初の予算より一桁増えてしまった。それでも喜んでいただき、そのまま制作が続行したことがありました。
またあるときは、お世話になっている知人からの依頼だったので、無料でデザインしましたが、その作ったものがきっかけで他の方々からお仕事の話をいただくこともありました。

お金がかからないのは、みんなきっと嬉しい。
でもそれに囚われて選択肢を減らし、デザインの幅も狭まっていないだろうか。

予算感を持つことは大事です。
予算を「枠」ととらえ、突破しようとするのは、やりすぎるとクライアントにとって迷惑になり得ますのでおすすめできません。
ただ、予算はクライアント側の都合であって、
私が勝手に囚われて縮こまったデザインをしていい訳ではないのです。

本来のルールとは別に、独自ルールを設定してゲームを楽しむことを「縛りプレイ」と言いますが、私は縛りプレイとして新たな可能性を模索したり、その状況を楽しむような考え方ではなかったと思います。
「縛りがあるので、このゲームは簡単なステージしかクリアできません」というような。

ポートフォリオの「課題を鵜呑みにしない、枠に囚われない」という話からだいぶ飛躍してしまいましたが、
「枠を自覚する」ことはクリエイティブな分野だけでなく、ビジネスや日々の生活にも生かせる大事なものの見方だな、と思いました。


囚から人になる

余談ではありますが…
「囚」の中の人が、ちょっとだけ頑張って突破したら「央」の字に似ているな、なんて思いまして。
「央」=真ん中なら、「的を得る」ようなイメージでいい言葉だし良いのでは?と思って「央」の字の成り立ちを調べたら、首枷をつけた人から成る字だそうです。全然めちゃくちゃ囚われてた…。
やはり枠をしっかり自覚して完全突破する必要がありそうです。

無題 - 2021年3月13日 03.22


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