牡丹M
絵描きで読書家でコミュ障の私が日々考えていることや気づきなどを書いていきます。
調査員草柳がもたらす道具によって翻弄される人々の話。 草柳とエリー長官は世界を作った側の存在。上層部から地球人の調査を任されているが、その目的は知らない。
探偵の山形と助手の青葉が事件を解決していく。 なるべくアンフェアにならないように作っているつもり・・・。
夏目漱石の『こころ』を読んで純文学が面白いと感じたので、『こころ』と同じくらい売れている太宰治の『人間失格』を読んでみた。
夏目漱石の『こころ』を読んですごく面白かったので、私の考えをまとめておこうと思う。
シン・エヴァンゲリオンの感想的なもの。細かい設定の話はしないけれど(理解もできてないけど)、ネタバレを含むのでご注意ください。
この世は平等でもなければ公平でもない。木の棒しか持っていないなら、それで戦うしかない。でも、木の棒を削って木刀にすることはできる。真剣や銃には敵わないかもしれないが、自分の使えるリソースを最大限に利用するしかない。
私には嫌いな人がいる。もちろん嫌いには程度があり、その人の一から十まで全て嫌いということはないので、正確にはほぼ嫌いな人ということになる。
人間に自由意志はないという話がある。人間はあらゆるものの影響(遺伝子、環境、条件付け)によって思考や行動が決まってくるからだ。
マウント合戦ではなく純粋な対話がしたい。でも純粋な対話というのはなかなか難しい。私の考える純粋な対話というのは対等に話すということだから。大抵は見栄を張りたくなってしまったり、他人の外見や仕草や言動によって上に見たり下に見てしまったりする。
怖い。不安だ。恥ずかしい。腹が立つ。嫉妬してしまう。許せない。こうなりたい。ああなりたい。こうなるべきだ。どうしたらいいんですか?
人が一番求めているのは愛ではなく慈悲なのではないだろうか。
怒りをコントロールする方法はいろいろある(瞑想など)けれど、怒りがおきるということは何か理由があるわけで、怒りの原因を探って対処できればコントロールする必要もないのではと思ったので源泉を探ってみた。あくまで私の中の話だが。
私はフェチを愛するアーティストでクリエイターだ。ミステリーやサスペンスの漫画も描いている(今は描いてないけど)。読書が好きで引きこもりでコミュ障だ(コロナ時代には丁度いいかもしれない)。
何か深い話があるわけではなく、単純に怖いって言う話。 中が見えないから何が入ってるかわからないし。変な棒が入ってて串刺しになるかもしれない。
幽遊白書の有名なセリフに「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」というのがある。このセリフは戦っている最中に敵が言ったので正確には寿命の話ではないが、とにかく人間というのは致死率100%なのは確かだ。
フェティシズムは一般的には体の一部分に対する偏愛とされている。しかし本来の意味は呪物崇拝といって物を崇拝するということだ。従って性的な意味とは限らない。
瞑想は現代人に必要なものだと思う。人間が心身ともに健康でいるためには運動と食事と睡眠が必要だ。でもそれだけで足りるのだろうか。体はそれで健康になるかもしれないが、心が健康でいるためにはどうすれば良いだろう。人とのふれあいが大事なのは確かとして、それが難しいなら瞑想が必要なのではないだろうか。
私にとって漫画とはなんだろう。私が漫画を描いていたのは読みたい漫画がなかったので自分が見たい漫画を描きたいと思ったからだ。世の中には面白い漫画がたくさんあるし、そういうものに影響を受けて育ってきた部分もあるし、リスペクトもしている。でも最近はアニメの方がいいなと思っていて、漫画は全く読んでいない。(薄い本はたまに読むけれど・・・)