見出し画像

人の「思考」が植物をつくる

植物に肥料を少しずつあげると健康に育つ。
が、植物に肥料をあげすぎると枯れる。
たいていの園芸書に書いてある当たり前なことだが、「資本経済」を目の前にするとそんな原則も吹っ飛ぶんだと思うことが今日あった。

農家によって同じ品種の植物をつくっていても、全然違うものになることがある。
葉の色つやが良いが、花の咲きが悪い。
一方で美しい花が咲き乱れているが、株が弱々しい。
別に「悪い商品」ではないが、両者を並べたとき、特色が違うのだ。

なぜ、そうなるのか。

それは「人が植物を作っている」のではなく、「人の考えが植物をつくっている」から。
誇大なことに思うかもしれないが、人が何かしらのアクションを起こすのは、「なぜそうするのか」を考えた末の結果だ。
組織のあり方、従業員の働かせ方、水遣り・肥料遣りのタイミングなど、あらゆる事象を経て出来上がった完成系が、商品として1鉢におさまる。
その鉢をつくるにかかわった人間の思考のすべてが、まさに開花する。

そう考えると、「粗悪なものでも売れるが勝ち」の末に待っているのが、現在の荒寥たる鉢物園芸市場なのではないかと思う。
市場原理に突き動かされ、無理な生産を行った結果、出回る品は無難で個性のない植物たち。
売れるから、作りやすいからを繰り返して、消費者が植物を育てる面白味を放り投げ去った。

買う側も生産者の「考え」に賛同し、対価を払い、生存とは直接的にかかわりのない「趣味園芸」に勤しむのだ。
だからこそ、植物を生産する上での「思想」、植物を育て上げるための「思考」は極めて重要。
店頭に並んだ生産者の思想を、消費者は買うのだ。

僕らはとにかく、誰かどのように植物を育てるのかを考え、植物に落とし込んでいくしかない。
それが「娯楽園芸」への第一歩であろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?