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もう「田舎」がコモディティ化していることにいい加減気づけよ。

またかよ、と思った。
詳しくは書けないが、我が地域のブランドは他の市町村と同じようなコンテンツで攻める方針とのこと。

いやいや、それ5年ほど前からオリンピックに向けてあらゆる団体が試行錯誤を繰り返し、すでに一部の企業がシェアを拡大している状況だから。
いま参入したとしても、付加できる強みはほとんどないし、出来上がる商品も差別化できない。
さらに商品化したところで、誰が買うのだろう?
買った客はどのように活用するのか?
加えて、もしも購入されたとして、地域のオリジナリティをどのように継続的に見いだしていくのか。
そこを明確化しなければ、人的にも資本的にも多大なリソースのある都市企業に真似されて終わるだけ。

そもそも、容易にその判断に及ぶ役場もどうかしている。
一般人の僕でさえ、そのジャンルの参入は厳しいと分かるのに、情報収集が足りなさすぎる。

僕は「田舎」とか「地方」をブランド要素にするのはもはやコモディティ化していると考えている。
「田舎でスローな…」などの文言を見ると食傷気味に思えてくる。
極論を述べるが、田舎でモノが売れるのなら、誰もわざわざ首都圏へ住もうとはしない。
田舎発のモノが売れないからこそ、モノも情報も加工が繰り返される都市圏へとひとが流れる。
まず認識されなければならないのは、田舎のものづくりはマイナスからの出発だということ。
そして、あらゆる地域がブランドづくりに邁進しているなかで、ありきたりなコンテンツでは投入される労力やカネは無駄になるということ。

ゆえに必要なのは、地域の強みとはなにかを考え抜くこと。
探しだすこと。
他の地域にはない絶対的な要素を見つけ、それを踏まえたブランドではないと、すぐに埋もれてしまう。

例えば魚沼産のお米。
例えば沖縄の黒糖。
例えば富山県のチューリップ。

その地域の地の利を活かした農産物と、歴史、さらには理論的な「ブランドの存在意義」があるからこそ、確実なブランド形成につながる。
これらがまったくないところから、いきなり他で話題の出始めた商売を持ち込もうとしたとしても、失敗するに他はない。

自然豊かな〇〇でつくった○○。
〇〇は無農薬だから安心。
その類は、都心のデパートや物産展なんかをめぐれば腐るほどある。
むしろ、売れなくて腐らせてるんじゃないかとさえ思う。
自然が豊かなのは当然のことだし、オリンピックの波及効果によってGAPの認知度も高まってきた。
安心を理論と適切な労働で証明しなければならない時代。
自然が豊かなことだけではもう、なんの売り文句にもならなくなってきているのだ。

であるならば、いまある産業や文化をよりブラッシュアップして、商品につながるヒントを導き出せば良い。
そのうえで「田舎らしさ」を逃げ道にするのではなく、地域の特性と深い伝統を前面に押し出す。
それが却って真新しさを生むのではないだろうか。
新しい設備、金のことしか頭にないいわゆる「コンサルタント」も要らない。

だって、街に住まうあの人もこの人も街に詳しい。
月に1度しか来ない都心からやって来たコンサルタントに、街の良さを聞く方がバカげている。
古からの文化や風習に、必ずやヒントが眠っているのだから。

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