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僕が死んだら植物も死ぬだろうなぁ。

今日、行く予定だった「サボテン・多肉植物ビッグバザール」を急遽、取りやめた。
なぜか。
それは、今後の予定を確認したところ、今季の「秋植え球根」を植えるのは今しかない!と判断したからだ。

朝の9時ごろから作業を始めて、すべてが完了したときには14時を過ぎていた。
あとは花が咲くのをサポートしていくのみ、ということになる。

そんなふうにして球根を植えていたところ、ふと、時間が流れるのをみた。
まるで時計が早回しで動いていくかのように、何かを感じ取ったのだ。

オカルトみたいなことを書いているのは重々承知しているが、それは何かと考えると、思い当たることがある。
きっとそれは、僕らが球根植物の一生を引き受けたときに負う「重み」ではないか。

鉢花は鉢の中がすべてだ。
僕が死んでしまったら、一人暮らしのベランダに生息する植物たちもきっと、死んでしまうだろう。

土や肥料、そして水やり頻度に置き場所など、植物が成長するにはいくつかの条件が必須だ。
そんな動かない植物を動かない容器にとどめ置き、半ば強引に栽培する。
人間が絶えず手を入れないと、鉢に植えられた植物は必ず絶える。

植物を育てるには、経験と科学的な知識が必要で、それらが積み重なったうえに非科学的な「勘」のようなものが芽生える。
僕にはまだまだ植物の動きを読み取れるほどの「フォース」は供えてはいないが、今日感じ取ったものは、それに近しいのではないかと思う。

植物が「お前にオレを任せた!」とすべてを一任してくれたかどうかは分からない。
が、春の花が咲くのを目指して、ゆっくりと生きていきたい。

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