自衛隊ができるまで~朝鮮戦争と再武装~
自衛隊っていう日本の軍事組織が出来るまで
背景情報~大東亜戦争でアメリカにボコボコにされた大日本帝国っていう国~
スゲェ昔、多分我々が住んでいる所に大日本帝国という万世一系の天皇を戴く軍事国家がありました。
で、派閥政治や度重なるクーデター(未遂)その他『民主国家を正常に運営する為にやってはいけない事リスト』をランダム選択してやりまくった結果、アメリカとかいう人類史上最強の国家と戦争をする事になりました。
さて、日本も一応列強相応の情報能力はあったのでアメリカと戦争しても勝てる見込みは無いと分かりきってはいましたが、アメリカが比較的マトモな国家である事に信頼して『一発ぶん殴ったらテーブルに座って話を聞いてくれるだろう』というネオテーム並みにゲロ甘な見通しの下開戦しました。
一応漸減邀撃作戦という温めていた構想はあったものの、実際の戦闘経過は半年ぐらいしか日本が想定していた通りにならず、半年が経過した後はアメリカにボコボコに殴られまくりました。
しかしアメリカに痛打を与えたり、イギリス軍やオランダ軍なんかの欧米列強を東南アジアから一時駆逐した事もまた事実であり、十分健闘と言えるだけの活躍を日本軍はしたと言えるでしょう。
非武装化と朝鮮戦争~在日米軍が消えた日~
そして日本は武装解除される事となり、大日本帝国は憲法を改正して日本国となりました。これまで大日本帝国軍が担ってきた地域の大国としての地位と日本の安全保障は占領軍である連合軍が引き継ぐこととなりました。
さて、第二次世界大戦後、世界は大きく3つに分かれました。そして自由主義諸国と共産主義諸国は核兵器を携えながら睨み合い、代理戦争を繰り返す事になります。
自由主義諸国
共産主義諸国
第三世界
日本は運良く自由主義諸国に属する事になった為、共産主義諸国と対峙する事になった訳です。
1950年6月25日、日本の隣りにある朝鮮半島で戦火が上がります。
元々『大韓帝国』という国があったのを日本が併合し、戦後は日本の支配から離れて北側はソ連が占領し、南側は米軍が占領して、かの有名な北緯38度線がその境界とされました。
そして北側には『朝鮮民主主義人民共和国』という国が、南側には『大韓民国』という国がそれぞれ建国され、そして睨み合っていました。
どっちから戦端を開いたかについては双方が異なる主張をしていますが、一般的には北朝鮮から韓国へ侵攻したとされています。
今でこそ韓国は世界有数の最新鋭軍事力を持つ国家で、北朝鮮は動く戦争博物館(弾道弾付き)ですが、当時はその展示物が最新鋭兵器だったので滅茶苦茶な快進撃をして釜山以外韓国の支配領域がなくなりました。
そこでアメリカは当然こう考える訳です。『ヤバイ、絶対負けるはずの無い米国がソ連に負けてしまう。援軍を送らなければ……』
そこで近場である日本とアメリカ本土から部隊を投入する事になりました。
で、日本を占領していた軍事力が殆ど朝鮮半島に行っちゃってスッカラカンになった訳です。
警察予備隊の創設~保安隊への改組
一方日本の占領統治をしているGHQは、今まで日本の防衛や反乱警戒に当っていた手駒が殆ど無くなってしまうという事態に直面する事になりました。どうしよう、下手すると日本が共産化してしまう。
じゃあ日本人に日本を守らせるしか無いという判断をした結果、GHQはポツダム命令によって日本国政府に対し警察予備隊の組織を命令、1950年8月10日、警察予備隊が組織される事になります。
この条文で重要なのは『平和』という文言が含まれている事で、これは軍事的任務への含みを含んだものとなっています。しかし飽くまで『警察力』であるという建前は捨てていませんでした。
こうして戦車を『特車』と読んだり砲兵を『特科』と読んだりするヘンテコな重武装警察組織が生まれる事となりました。
しかしこの警察予備隊は短命な組織で、1952年10月15日に保安隊へと改組されます。理由は『ポツダム命令はサンフランシスコ平和条約の発効によって180日以内に失効するから(警察予備隊令はその期限を延長する事にしたけど法的な地位を明確化させる目的で保安庁を作る事にした)』という戦前を考えると非常にマトモな理由でした。
そして警察組織としての縛りプレイから開放された保安隊は、海上戦力を巻き取って更にその戦力を増していきました。
朝鮮戦争は中国から義勇軍が北朝鮮の援軍として投入された事もあって、大体一年前の1951年春から北緯38度線付近で停滞し、停戦交渉が始まっていました。
つまり日本は今後、北朝鮮、中国、ソ連という三匹の赤龍達と対峙し続けなければならない事が殆ど確定してしまったのです。
そして1953年7月27日、板門店で休戦協定が締結され朝鮮戦争は停戦状態で塩漬けされる事となりました。
再武装要求と再武装~自衛隊の誕生~
1954年、日本国とアメリカ合衆国との間にある協定が結ばれます。
日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定と呼ばれるこの協定でアメリカは、日本に対し『自らの防衛に責任を果たすよう』義務付けました。
これは朝鮮戦争で冷や汗をかいたアメリカの『お前ウチに安全保障丸投げするんじゃ無ぇぞ』という心の底からの叫びだったのかもしれませんが、日本国としては頭が痛い問題となります。
発展途上国にとって、基本的に軍隊なんて無い方が良いからです。
1954年というと、日本は戦後復興の真っ只中にありました。9年前にはB-29に焼け野原にされ、10年後にはオリンピックを開催する事になると説明すれば、当時我々の曽祖父母、祖父母がどれぐらい一生懸命に働いたかを理解して頂けるでしょうか。
軍隊は金が掛かるのは兎も角、元気に働ける労働力をスポンジみたいに吸う為、一人でも多くの労働者の勤労によって日本を復興させようとしていた吉田首相にとってはなんとか再軍備は躱したかった……という言説があるとは一応紹介しておきます。(だから自衛隊ってずっと人手不足なんですかね)
まぁ国内外から圧力掛けられたので躱せなかったんですけど。
その結果、保安隊は皆さんご存知自衛隊へと改組され、保安庁の後釜には防衛庁が据えられる事になりました。
ここまで来るともう警察組織の香りは殆ど完全に無くなり、完全なる軍事的組織としての任務を帯びるようになりました。航空戦力だって持ってます。決して軍隊では無いけど。
こうして日本は自由主義の防波堤としてヒイコラ言いながらナイキ訴訟をダム作って潰したり日米安保を変える為に機動隊に矢面に立ってもらったりソ連機が大韓航空機を撃墜する通信を傍聴したりと諸々の頑張りをしつつ冷戦を生き抜いていく事になるのですが、それはまた次回のお話。
次回↓
冷戦期の自衛隊〜赤い津波の防波堤〜|botamoti・ω・記念称号民間牡丹餅設計工作局(CV.ゆっくり魔理沙(Softalk:女性2))|note
おわりに
ここまでお読み頂きましてありがとうございました。このnoteは『自衛隊』について皆様の理解を深めて頂くため大体三部作でお送りする予定でしたが、長くなったので四部作でお送りします。(自衛隊の誕生(イマココ)→冷戦期の自衛隊→90年代の自衛隊→自衛隊の現在)でお送りする予定です。続きは気長にお待ち下さい。
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