後鳥羽上皇による北条義時追討の院宣は倒幕目的だと思いますか?
ふーむ、難しい問題だが……。オレ個人の回答としては「思わない」だな。
そう思う根拠はいくつかあるんだが、単純な所でいえば、後鳥羽院は都の警備をほぼ鎌倉幕府に頼ってたんだ。
北条時政の代の時に、将軍をバックアップしてやっから代わりに警備員よこせよって感じの契約を交わしていた。
だからそう考えると、いつもの #だいたい時政のせい って奴だな。
だからなのか、後鳥羽院……というか、朝廷は幕府の軍事力はうちの軍事力と思ってたフシもある。
そこら辺がやっぱ東国と朝廷の意識の違いってやつでさ、すっげぇややこしいんだけど、源平から承久の乱の流れを調べる時は意識しておいた方が面白いと思う。
朝廷側の認識としては、幕府=セ◯ム。
◯コムの大株主が朝廷。
株主総会で副社長の態度が気に入らなかったので「あいつ、なんか最近生意気じゃね? 処す? 処す?」って感じだと思う。
セコ◯を潰したいわけじゃなくて副社長を解雇したかったわけだな。
そしたらそれを「副社長がいなくなったらウチ潰れんぞ!」と社員の危機感を煽ったのが尼御台の演説で、セ◯ムの警備員総動員で株主に逆襲したのが承久の乱。
ちなみにその時に株主を警護したのも、セコ◯の社員。そんなカオスが承久の乱。
他にも、まぁ色々あるが基本はこの「幕府の軍事力はウチのもの」という事に集約されるんだと思う。
自分の所の一つ部署を丸々潰そうとする会社はないだろ? せいぜい部長を更迭するぐらいだ。だが実際はその部署は全員派遣社員でしたって事だな。
やべぇ。どっちにしろカオスすぎて、やべぇ。朝廷やべぇ。
「こんな奴ら頭にして戦しようとしてたオレが馬鹿だったわ」
当時はなぁ……幕府の重鎮どうにかするには朝廷に訴えれば良いと思ってたんだよ……。
皆そう思ってたんだよ。北条氏だってそういう認識だったんだよ。だからあんな慌ててたんだよ。ホント。マジで。マジでホント。
当時を思い出して色々世知辛い気持ちになったので、妻に膝枕してもらいにいく……。
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