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マヌルネコ、ネコを拾う ーbosyuキャラクターに物語を授けよう企画vol.2

これは「bosyuのアイコン用動物キャラクターに物語をつけて」にご応募くださったユーザーさんが創作してくれた、マヌルネコ↓の物語です。

アセット 3

マヌルネコ、ネコを拾う


きみとの出会い

冷たい雨が降る、すれ違った猫がそう呟いたのを確かに聞いた。鼻先がぴちょんと濡れた。焦って側溝を覗いたが水がかなり流れていた。隠れるのは無理だと悟り、雨の中を走った。どこか、どこかへ。

気がつけば獣の匂いが充満するコンクリートの上にいた。動きを止めた体はどんどん冷えていく。震える耳に雨と混じって「ナォナォ〜」とオイラを呼ぶ声がした。声の先には家と呼ぶには小さすぎる、明かりのついた小屋がある。他の猫がいるのか? ゼロに近い力を振り絞って小屋の窓を引っ掻いた。

「誰かいるなら入れてくれ」
「……直ぐに、」
言葉の先を待っていると、隣の扉がバタンと開いた。
「ん!? 猫!?」
雨の音も消えるような大きな声。近づいてきたのは大きな猫、否、ニンゲンだった。ここに住む猫の飼い主だろうか。ひょいと持ち上げられて、ニンゲンのとてもゆっくりな心音を聞きながら目を閉じた。

目を開けると、オイラはふかふかのタオルに包まれていた。そうか、助かったのか。もぞ、と体を動かすとオイラをここへ呼んだあの声が聞こえた。

「体は平気かい」
「おう、ありが……」
何処ぞの家猫かと思えば、目の前のケージにいたのはマヌルネコだった。見間違えるわけがない。たくさんの脂肪を隠すように生えるふわふわの毛、小さくて低い位置にある耳、明るいこの部屋でも丸いまま収縮する瞳。

「あんた、マヌルネコ……?」
「そうだよ。きみは……」
雑種かな? とオイラをじっと見つめる。何も言わずに視線を逸らしたが、正解だった。オイラの親も雑種だったっけ。

「わたしから別れた血が複数入っているのだな」
むふ、と目を細めるマヌルネコはオイラを拒絶しているようではなかった。
「あっ……オイラ、あんたを! マヌルネコをずっと尊敬してたんだ! 憧れなんだ!」
「そうかい」
オイラたちが今生きているのも、マヌルネコがずーっと昔に生きていたからだ。そして、ずーっと昔の猫は子孫を残し続けてまだ生きている。伝説の存在だった。かっこいい……!

「マヌルネコさん」
「急に丁寧になるなあ」
「助けてくれてありがとうございます!」
「ああ、助かって本当によかった」
いつ死んでもいい命だと思ってた。あいつらに捨てられたあの日から。オイラの命はまだ価値がある?

ポトポトと屋根に打ち付ける音は少しずつ力強くなり、次第にガガガガと鳴り響き聴覚を支配していく。強くなる雨と眠気。瞳を閉じると余計に鮮明になる耳に、微かに猫の鳴き声が聞こえた。ニンゲンが好みそうな甘い鳴き声だった。

ここは動物園。猫は、わたし、マヌルネコを除いて飼育されていない。気になって窓の外を覗くと、雨に打たれて小さくなった猫がいた。まだ生きている。こちらにおいで、と鳴くと同じ部屋にいたニンゲンも外を見た。猫も声に気がついたのかそろそろとこちらに寄ってくると、力弱く窓に爪を立てた。

「外に何かいるのか?」
ニンゲンの問には無言で肯定を返した。予想通りにニンゲンは外の様子を見に行くと、驚いた様子でその小さな猫を抱き上げた。猫は酷く衰弱しているようだった。体は細く毛は雨に負けて弱々しくへたっている。扉が開いたとき外の空気を感じたが、わたしにはいつもと変わらぬ温度だった。この猫は寒さに弱いのか、と猫を暖め世話をするニンゲンを見ながら思った。

夜が明けて、ニンゲンのいない部屋で目を覚ますと、昨晩衰弱していたあの猫がスヤスヤと眠っていた。外からは雨の音はせず、ニンゲンが毎日行う掃き掃除の箒の音がした。その音が届いたのか、目の前の猫はもぞ、と動いた。咄嗟にケージ越しに声をかけた。
「体は平気かい」
「おう、ありが……」
ぱちぱち目を動かして、瞳孔が細くなっていく。興味深く見ていると、その猫はすっかり元気になったようでわたしに向かって、興奮気味に話すのだった。どうやら雑種の猫らしい。

「マヌルネコさん」
「急に丁寧になるなあ」
「助けてくれてありがとうございます!」
「ああ、助かって本当によかった」
細い瞳孔がゆるりと揺れた気がした。雨はここにまだ残っていたのか。

「おお、元気になったな!」
戻ってきたニンゲンは嬉しそうに雑種の猫を撫でた。
「うるさいが、良い奴だから大丈夫だよ」
「そう、なんすか……」
ニンゲンは雑種の猫を病院に連れて行くと言い準備を始めた。
「そういえば、きみの名前は?」
「えっと……オイラは……」

「おーい、ノラ!」
その呼び掛けは雑種の猫に向けられているようだった。
「の、のら?」
「お、鳴いたな。覚えたか? 今日からお前はノラだ!」
「承知した。ノラ」
「マヌルネコさんまで!?」

ノラと名付けられた猫は、こそばゆそうにモジモジしながらそれを受け入れた。なんともこのニンゲンらしい名前だと思った。ネーミングセンスがないというか、カタカナが非常に苦手なおばかで正式名称が覚えられず、覚えるためだといい、わたしのことを何年も「マヌルネコ」と呼び続ける、そんな彼らしい。さんにんで暮らせたらきっと楽しいだろうと、わたしは目を瞑って考えていた。

きみの部屋かな

病院から帰ってきたノラにわたしのこと、動物園のことを伝えた。ニンゲンはこの時間、外でお客さんの相手をしている。
「ここはどこなんすか? 獣の匂いがたくさんするけど……」
「動物園だよ。沢山の動物がここで暮らしてるんだ」
「ペットショップとは違うんすか」
ペットショップとは何だろう、と思ったが、ノラはひとり「多分ちがうよなあ」と納得している。

「ニンゲンのお客さんがわたしたちを見に来るのさ。ほら、ああやって」
窓からは動物たちを眺めてはしゃぐ子供たちが見える。ノラはわたしのケージの上に乗り、窓の外をじっと見ていた。

「マヌルネコさんも、外に出るんですか?」
「いいや、わたしは」
そういえば、ノラはマヌルネコに憧れているらしいな。こんなことを言ったら、わたしのことを知ったら、幻滅するのではないだろうか。プライドなどとうに無くなったと思っていたが、そうでもないらしい。

「わたしは、体が弱くてね。外には、その、あまり出ないんだ。だから、」
きみが思うほど強くて憧れる猫ではないと続けるはずが、先にノラの口が動いた。

「でも、マヌルネコさん、オイラより生きてますよね?」
「ああ、もう6つになるかな」
「6つ!? すげーじゃないですか!」
ノラはケージから飛び降りて、柵越しに語りかける。
「そ、そうかい……?」
「野良猫は平均3つ4つの寿命ですからね……体が弱って亡くなっていく仲間を見てきました。
体弱くても6つまで生きてきたマヌルネコさんはすげーっす!」
興奮気味のノラの爪が、がしゃんとがケージに引っかかった。前足を引くと同時にケージの扉が小さく開いていた。
「あっ、すみません」
「大丈夫、こちから押しても開くくらい緩いのさ」
そう、わたしは知っていたのに、どうしてケージから出なかったのだろう。隙間を広げてカーペットへと降り、ノラの隣に座る。

「ノラもここに住むのかい?」
「ニンゲンが、そう言ってましたね。病院の帰りに」
「そうかそうか」
ノラは丁寧に、よろしくお願いします、と挨拶をした。だとしても、ここにはノラのケージは無い。どこで寝るのだろう。代替品でもないかと部屋を見回す。

「あのニンゲンはマヌルネコさんの飼い主ですか?」
「かいぬし……? タントーだと言っていたよ」
ニンゲンがいつも座っている椅子や机周り、玄関前、なかなかノラのケージになるものは見つからない。
「彼のおかげでわたしはここで生きているんだ、感謝してるんだよ」
「感謝……ニンゲンに……」
ノラはそう呟くとやけに静かになった。体調がよくないのかと心配になる。すると、外の空気と共にニンゲンが戻ってきた。

「ただいまー、あれ……ケージから出てたのか」
頭をくりくりと撫で回される。抵抗をしないでいると、お触りはエスカレートし両手で顔の横をわしゃわしゃと撫でくりまわしてきた。ふと、ニンゲンの横に空っぽの段ボールが置かれていることに気がついた。ぷいとニンゲンの手を払い除け、匂いを嗅ぐ。

「入るか?」
「ノラの部屋にするのはどうだろう」
「えっ、オイラ?」
ニンゲンは丁寧にわたしとノラの前に段ボールを置いた。
「わたしが先に入って様子を見てあげよう」
距離を測りながら飛び込む準備をする。手の位置、力を入れる場所、目指す高さ。ここだ。段ボールに飛び込む。

「む」
「お、おお……ふっ」
ニンゲンがぷるぷると震えているのが視界に入ったが、ノラが見えない。どうやら思っていたよりもこの段ボールは小さいらしい。中で座ることができない。いやでも、これはこれで。この狭さもいいのかもしれない。
「あっはっは! ハマってるってマヌルネコ!!」
「マヌルネコさん大丈夫っすかー!?」
「狭くて居心地は悪くないよ」

ピロリーンと音がした。ニンゲンは不思議な機械をこちらに向けている。あれはどうやらわたしの姿を記録するものらしい。
「狭すぎませんか……」
「ノラもきっと気に入るさ」
ああ、なんだか落ち着くじゃないか。眠気が襲ってきそう……だ……
「その格好のまま寝るのか!! あははは!!」
「随分気に入ってますね……」

結局わたしは、左頬を段ボールの底に付けて、背中の肉はダンボールの壁に押され、後ろ足を上に突き出すような格好で眠りについた。目を覚ますと、ノラは黄色のクッション素材でできた小さな家の中で寝ていたのだった。わたしがノラの部屋を奪ってしまったようだ。ノラが起きたら謝ろう。その前に、もう一度わたしも自分の部屋で夢の中へ。

笑顔がいちばんだよ

ノラと暮らし始めてからそれなりの時間が過ぎた。ノラは黄色の部屋の中で朝から夜まで過ごすこともあれば、ニンゲンの家に一緒に帰る日もあった。そんな日は、なぜだかこの毛も脂肪もすり抜けて冷たい風が胸の中を吹き続けるのだった。今日も日が昇り、小鳥がちゅんちゅん鳴き始めると、扉の鍵が空く。

「おはよう、マヌルネコ〜〜」
「マヌルネコさん! おはようございます!」
もう少し寝ていたかったけれど、ふたりの声におはようと返事をした。私はケージの扉を押して、ノラの隣に座りまた眠るのだった。

「アカウント名……? これか。んで、パスワードを入れて……」
カタ、カタ、と不規則な音で浅い眠りから覚めた。その音はニンゲンの作業スペースからだった。あれはぱそこんと言ったか。あまり使っているところを見なかったが、今日は明かりの漏れる四角い部分を見つめている。真剣なその様子は、いつもの溌剌とした印象とは真逆で、無理をしていないかと少し心配になった。

「よし! ログインできた! あ、」
悪い起こしたな……と申し訳なさそうに笑った。わたしは気にするな、と目を瞑る。
「次はチラシだな……」
再びカチカチと音が響く。そういえば、もう太陽が高い。いつもなら、外でお客さんの相手をしている時間なのではないだろうか? ちらりとニンゲンに目をやると、眉を険しくくっつけ皺を寄せていた。入っていくのでないかというくらい、ぱそこんに夢中である。

「……マヌルネコさん?」
「ニンゲンが、なにやら難しい顔をしていてね」
「気になるんすか?」
「いつもなら外に出る時間だ。忘れているのかもしれない」
肉球を地面に付けて立ち上がり、ぐぐっと背中を丸めた。わたしと同じ、役立たずのレッテルを貼られたニンゲンを、わたしは放っておけないのだ。
「何するんすか?」
不思議そうにノラはわたしを見上げた。
「あんな顔のままお客さんの前には行けないだろう。わたしが行けば、笑うのさ」

ととと、とニンゲンに近づくが余程集中しているのか、いつもならバッと振り向き撫でてくる大きな手はなかった。ニンゲンの使う机は少し高い。登るためには、まずは、ニンゲンの膝へ。
「うおっ! どうした」
すり、と顎の下を撫でられる。む、もう一段上に行きたいのだが動けない。
「悪い、遊ぶのもう少し待ってなぁ」
いつもより短い時間でその手は離れていった。見上げると、先程と同じくしかめっ面だ。机に前足を掛けて、ひょいと乗った。
「ああこら!」
ニンゲンはいつもと同じように大きな声を出した。元気なようでなによりだ。ぱそこんはほんのり暖かくなっていた。踏むと沈む板を歩き、丸くなった。

「あ! おい! 画面めちゃくちゃ…… マヌルネコ〜〜!!」
ニンゲンはわたしと光の漏れる先を交互に見て、ふふと笑みを零した。わしゃわしゃと頭も顔の横も胴体もめちゃくちゃに撫でられる。ノラもこちらを見ていた。
「おお……笑ってますね」
「そうだろう。この機械はニンゲンを困らせるらしい」
「それを癒すのが……」
「わたしの仕事だね」

ピロリーンと音がする。この音はニンゲンが楽しいときに聞こえてくる音だと知っている。ふふ、ニンゲンには世話になっているのだから、これくらいのことは褒美がなくとも動くのさ。
「可愛いけど、作業できない……困ったなあ」
そう呟くニンゲンの表情は、眉を下げて口角を上げていた。

言葉でなく行動で示そうか

「マヌルネコ、だって。見たいね」
今日も賑わう動物園。珍しくわたしの名前が聞こえてきた。この動物園にわたしが存在していることを思い出す。今日は、少しだけ外に出ることができる。

「すーはー……緊張するな……」
ニンゲンは、わたしの毛を梳かしながら何度も大きく息を吸って吐いてを繰り返す。心做しかその手はいつもよりぎこちない。そして、ノラも上手く眠れないでいるらしい。
「久しぶりにお客さんの前に行くけど緊張してないか〜?」
2度頭を跳ねるように撫でるのは、毛繕いが終わった合図だ。外に目をやる。お客さんはいつもより多い、或いは、少ないなんてことは無い。いつも通りだ。ただ、まだ空の展示場所に足を止める人がいるのは、先月とは違う光景だった。

1週間前、ニンゲンはわたしに告げた。
「来週、少しお客さんの前に行こう!」
どうやらニンゲンは、わたしの知らないところでわたしを動物園に出すことを考えていたらしい。許可も出てるぞ! と何やら用紙を見せられたがそれが意味する内容は分からない。ただ、ニンゲンが認められた気がして嬉しかった。今週、1日3時間だけ特別に出ていくことになったという。日数や正確な時間はわたしの体調と相談して、とのことだ。今日はその初日。

「そろそろ行くか!」
「承知した」
ニンゲンが外に出る支度を済ませるのを待つ。自分の部屋でもぞもぞと動いていたノラがこちらに歩いてきた。

「マヌルネコさん、頑張ってください」
「ああ、ありがとう。ノラもここから見ていてくれ」
ノラはひしと体を寄せてきた。心臓の音が早くて少しだけ驚いた。大丈夫、と頬を舐めてやる。
「行こう!」

持ち運びケージに入る。この閉塞感、今は少し緊張を強めていく。いつもの扉を出て、展示場所とは反対の動物園の裏へと向かうようだ。施設の中を歩くと不思議といつもの部屋から見える展示場所の裏側に到着する。ケージから出て、ニンゲンの前に行儀良く座った。

「俺もここにいるからな!」
「心強いよ。それに」
こちらを見ているであろうノラが瞳の裏に浮かんだ。次の扉を開けると、目の前にはわたしを見るお客さんがたくさんいた。

「わ……ほんとにふわふわじゃん」
「マヌルネコちゃーん!」

木を組んで作られたタワーを登っていつもより広いケージの中を隈無く歩いた。他の猫の匂いはしなかった。ここは、このお客さんたちは、確かにわたしを待っていた。高い所からは遠くからこちらに走ってくる子供たちの姿や、皆が同じチラシを持っていることに気がつく。黄色を基調にした用紙にはわたしの姿が写っていた。余談だが、ニンゲンは黄色が好きだ。常に毛を揺らす外の風は気持ちよかった。

わたしの名前を呼ぶ声に視線をやると、お客さんは手を振っていた。中にはニンゲンと同じようにわたしの姿を残しておく機械を向けている者もいた。緊張は解けていた。ノラはそわそわと窓からこちらを見ていたけれど。お客さんの相手もしたいが、解けた緊張から睡魔が襲ってくる。少しだけ、寝ようか。耳には「可愛いね」「元気なのかな」「寝てる方が仕事してるって感じするよね」とお客さんの声が気持ちよく響いた。

「餌の時間です!」
どのくらい経ったのか。後ろの扉が開くとニンゲンの声がケージ内を揺らした。目を開けて、背中をぐぐと伸ばす。相変わらずお客さんで賑わっている動物園。わたしを見ているお客さんも、顔ぶれは変わったものの、賑やかさは変わらずだった。先ほどのお客さんにはあまりサービスができなかったな。ニンゲンが何やら手こずっているので、そろそろとお客さんの方へ向かう。

「わ、こっち来た」
「Twitter見てきたよー!」

女性2人がわたしに話しかけてくる。柵があるとはいえ、こちらも手を伸ばせばお互いに触れ合える距離だ。

「体調は大丈夫なのかなー」
「平気だよ」
「おお鳴いた! 大丈夫てことでいい!?」

お客さんに体調を心配されてしまうとは、楽しませる側としてはまだまだだと反省する。急にびゅおっと大きく風が吹いて、わたしの毛を揺らし、お客さんの髪の毛や衣服も風で形を変えた。

「ちょっと冷えるね…… どっか室中入る?」
「んー、でも餌やり見たいし……あ、お兄さん来たよ」

女性の指がすいと目の前に現れた。わたしのように毛は生えていない、ニンゲンのようにごつごつしていない、細い指だった。ほらほらえさ! と目を輝かす姿が愛おしい。つい、ペロリと舌が伸びた。

「へ」
「ふふっ……餌だと思われてる?」
「えー! マヌルネコさーん、餌は後ろのお兄さんが持ってるって!」

あはは、と笑い声が漏れる。よかったよかった、今日はわたしを見に行きてくれてありがとう。そして、楽しんでくれて何よりだよ。そんな気持ちを込めて。

また雨が降っているね

今日の動物園はとても静かだ。他の動物たちも各々の部屋へと戻り、各々の時間を過ごす。休園日はそんな日だ。わたしは昨日までの7日間、3時間だけお客さんの前に出た。日数は決められていなかったが、7日間務めを果たすことができた。1日の時間は短いものの、この部屋で過ごす時間が長かった分、慣れない環境で多くの人の視線を感じるのは嬉しい反面疲労もあった。

日が昇り久しぶりに何も無い1日が始まったがノラの相手もそこそこに深い眠りについていた。気がつけば、太陽は一番高いところから少し西へ傾いていた。

「マヌルネコさん、体調大丈夫ですか」
「ノラ、おはよう。大丈夫だよ」

ケージの扉に少しだけ力を入れてやると、鍵が外れる。部屋のカーペットへと前足をおろした。もしかしたら、鍵など初めから掛かっていなかったのかもしれない。部屋のど真ん中には、ニンゲンの物と思われる衣服や、わたしやノラのお気に入りのタオルなんかが詰まれていた。くんくんと匂いを嗅ぐとお日様の匂いがした。

「ここで寝ると気持ちがいいんだよ」
「え、ま、マヌルネコさぁん!?」

ニンゲンの服を座りやすいよう整えて、肉球もお腹もぺたりとくっつけると暖かさが伝わってくるようだった。ノラは遠慮気味にわたしのお気に入りのタオルの上に半分だけ体を乗せてくつろぎ始める。

「楽しい7日間だったよ」
「ここに来るのは皆、いい『ニンゲン』なんですね」

ノラは空っぽの動物園に目を向けながらそう呟いた。
「悪いやつもいますからね」
マヌルネコさんが悪いやつに虐められなくてよかった、そう目を合わさないでぽつりと落とした。ノラが思いのほかわたしの心配をしていたようで少し驚いた。

「ノラは、マヌルネコさんなら無敵ですよね! とかなんとか言うかと思ったよ」
冗談でそう言うと、ノラは少しだけ寂しそうに笑った。いつもわたしへの憧憬を映す瞳は遠い過去を見ているのか。初めて会ったあの朝、雨が止んでも尚揺れていた瞳を思い出した。

「ノラは、何か悪い思い出があるのかな」
「……オイラは元々飼い猫で……捨てられたんです、アイツらに」
アイツら、とはきっとわたしの世話をするニンゲンやここに来るお客さんたちと同じ『ニンゲン』のことなのだろう。ノラは続けた。赤ちゃんの頃からショーケースに入れられ『ニンゲン』たちに見られる日々を過ごし、何時からかそこから抜け出すことが正しいのだと気付かされたと。そして、ショーケースの中で『ニンゲン』に媚を売るための鳴き方を覚えたのだと。

「確かに、わたしは野性的な鳴き方かもね」
「オイラは好きっす!」
「ありがとう。しかし、ノラはすごいな」
「え、なにがですか」
「赤ちゃんの頃からたくさんのお客さんに囲まれてきたんだろう。わたしは、たった7日の数時間でへとへとだよ。すごいじゃないか」

ノラの瞳がぐるっと水分を含んで揺れた。零れることを阻止するように部屋の扉が空くと、ニンゲンがひと仕事終えて帰ってきた。
「おかえ……」
「あーー! お前ら! 洗濯物の上乗るなって! シワがー!」
「元気でなによりだよ」

まったくもー、としゃがみこむとわたしとノラの頭をゆるゆると撫でた。そして、いつものようにわたしの姿をピロリーンと残すのだった。以前と違い、わたしだけでなくノラも共にいることが多くなった。

「確かに、悪いやつもいるけれど、少なくともうちのニンゲンはきみを愛しているさ」
「マヌルネコさんといると、自分の嫌いなところとか、嫌いなことが、どんどん好きになります」
ノラの目の下の毛は少しだけ湿っていた。

日が沈むとノラは自分の部屋ですうすうと寝てしまった。わたしは何だか眠気が遠くて、少し離れてニンゲンを観察している。何かを壁に貼り付けている。ニンゲンがよしと呟き一歩下がるとその紙がわたしにもよく見えた。

わたしが動物園に出ていたとき、多くのお客さんが持っていた、わたしの姿のある黄色のチラシだ。わたしの姿をお客さんに紹介するものなのか。これを見て皆やって来てくれたのか。それならば、あの盛況ぶりはニンゲンの力も大きく関わっていたのか。お客さんの顔が、目を閉じても浮かんでくる。感謝すべき相手ははまだここにもいたか。ニンゲンの足元へすりと体を寄せた。

「このチラシも力作だけど、やっぱまだまだかなあ」
「わたしのために、ありがとう」
「んー? ご飯まだだぞ」
「きみも7日間お疲れ様、だな」
ニンゲンはその場に腰を下ろして、わたしをわしゃわしゃと撫でながら話し始めたのだった。

「ノラが来てから、お前が自分からケージの外に出てきてくれたり、ノラの先輩面したいのか一緒に行動することも増えてさ、今のマヌルネコならお客さんの前に行けるんじゃないかって」

ニンゲンの手は毛並みに合わせて撫でるように動きを変えた。
「上の人に言いに行ったときはめっちゃ緊張したし、チラシ作りもTwitterでの宣伝も初めてでさ、めっちゃ大変なわけ。でも、マヌルネコとノラ見てたら全然頑張れちゃったんだよな。まあ、初日は胃薬飲んでも効かなかったけど!」

気持ちよく動いていた手は離れていく。ニンゲンの静かな話し声は案外心地がいいものだった。

「俺もお前も、これでポンコツから一歩前進できたよな」

ポンコツ、わたしとニンゲンが出会った当初によく聞かされた言葉だ。頭が足りずポンコツだったニンゲンと、体が弱くポンコツだったわたし。悪いレッテルだが、お揃いの言葉だ。ニンゲンが、あ、と短く呟くと空気の匂いが変わった。ノラが大きな欠伸をして、意識が少しだけこちらに帰ってきているようだった。外の音に反応して耳が動いている。さんにんが共有している同じ音。

雨が降っている。わたしたちが出会ったことは幸運だと知らせるように。

この物語の作者

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✍️ 佐伯あづきさん
猫のいる家に住んでいます。1995年生。中2から何かしら書いてます。人間失格と源氏物語がとても好き。メンタル弱めの内向型人間。2次元から3次元まで色んな沼に落ちてきた根っからのオタクです。

投稿歴
2020年 私の人生を変えた本: 20人のBook Story
↑bosyuにてご縁があり参加しました😌

Twitter:@saeki_adk


ーー物語を読んで(bosyuさんの感想文)

どこか達観しているようで、こころやさしく真面目なところもあるマヌルネコがなんとも愛らしい作品に引きこまれ、約1万字を気づいたら読み終えていました。ノラとニンゲンとの3人の間で、距離感を保ちながら育まれていく関係がとても素敵でこころあたたまります。

実際にマヌルネコがいる動物園もあるので、今度会いに行きたいと思いました。きっと、この物語を思い出し、他の動物よりもマヌルネコに愛着がわいてしまうと思います 笑。

小さな出会いからうまれる、毎日の変化の積み重ねを大切にしたいと思えるこの物語に出会えてうれしいです☺️

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