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カメラという「不便益」

突然ですが、「不便益」という言葉を知っていますか?
「不便益」とは、その名の通り、「不便だけど益があるもの」を指します。

「不便益」という言葉を知った時、
「もしやカメラって不便益なのではないか?」
と思ったので、その備忘録的ななにか、です。


「不便益のススメ」

「不便益」とは、川上浩司氏が提唱されている言葉です。
その名の通り、「不便だけど益のあるもの」を指します。

人にとって、それは不便なものなのかもしれない。
しかし、そこにはなにかプラスになる「益」がある。
そんなものを、「不便益」と考えているのです。

例えば、「Happy Hacking KeyBoard」。
HHKBとも呼ばれている、プログラマ向けのキーボードです。

このキーボードは、通常のキーボードと異なり、配列が特殊であり、かつキーの数が少ないという特徴があります。
これは一見、不便なように思えます。

引用:Amazon.com

しかし、これは入力速度を上げて、パソコン操作に集中できるようにするための工夫なのです。
特殊な配列とキーの少なさは、ホームポジションから指を動かす距離を最小限にする効果があります。
特殊配列、キーの数の省略。これらはすべて、一見「不便」だけれども、人間に「益」を与えるものです。
つまり、「不便益」なモノといえるわけです。

「不便益」という考えに触れた時、写真機としてのカメラは「不便益」に該当するものなのではないか、という気がしたのです。
そこで、これを検証すべく、カメラとスマホを比較して、カメラの特徴を改めて考えてみることにします。

カメラという「不便」

写真しか撮れない

カメラとスマホを比較して、まず目につくところは、
「写真しか撮ることが出来ない」
という点だと思います。

スマホであれば、写真を撮ること以外にも色んなことができます。
電話をしたり、ゲームをしたりできます。
撮った写真を、すぐにSNSで共有することだってできます。

しかし、カメラは写真を撮ることしかできません。
電話なんてできませんし、ゲームやSNSなんてもってのほかです。

スマホなら、写真だけでなく、電話もゲームもSNSも。

準備が手間

カメラで撮影をする時は、撮るものを想定した上で、あらかじめ準備をすることが必要です。
カメラの充電やレンズの選択など、やるべきことがたくさんあります。

そして、準備した上で撮影に行っても、撮ることができる写真は限られます。
というのも、カメラの撮れる範囲、ズームの範囲はレンズの性能に依存します。
例えば、24-70mmのレンズであれば、焦点距離が24mmから70mmまでの写真しか撮れません。
つまり、自分が持ってきたレンズにあった写真しか撮ることができません。
スマホのようなデジタルズームも使えなくはないですが、カメラでは基本使いません。
なぜなら、デジタルズームを使うと画質が劣化するからです。

例えばこのレンズだと、18mmから50mm(35mm換算で28mmから75mm)までしか撮れません

対して、スマホでは、非常に多種多様な写真を撮ることができます。
スマホには、はじめから複数のレンズがついていることが多いです。
そのため、重たいレンズを持ち運ぶ必要もなく、多くの焦点距離から自由に選択をして撮影をすることができます。

さらに、スマホはデジタルズームを前提としているため、デジタルズームにも画質が劣化しないような工夫がされています。
スマホに載っているカメラは画素数が多く、加えてAI補正が搭載されているものですから、デジタルズームを使っても画質が劣化しにくくなっています。

スマホなら、デジタルズームが簡単に使えます

ここまでを振り返ると、カメラには多くの「不便」があると考えることができます。
しかし、この「不便」は、視点を変えると人々になにかをもたらす「益」になります。
カメラがもたらす「益」について、これから考えていこうと思います。

カメラという「益」

カメラがもたらす「益」とは、一体なんでしょうか。

記録としての写真、表現としての写真

カメラの「益」について考えるなら、そもそも私たちはどうして写真を撮るのか、というところから考える必要があるように思えます。

私は、人が写真を撮る理由は、大きく2つに分かれると思っています。
1つは、記録として撮る写真。もう1つは、表現として撮る写真です。

予め言っておきますが、これは「作品」になるかどうか、とは別次元の話です。どちらの写真も、「作品」になりえると思います。
また、どちらがいいとか悪いとか、そういう話でもありません。

記録として撮る写真は、例えば授業の板書を撮った写真とか、旅行先で撮った街の写真とかが該当すると思います。
これらの写真は、後から見返すことで、写真を撮った瞬間の記憶を蘇らせることができます。
そして、これらの写真たちは、その瞬間をともにした友人との会話に花を咲かせてくれることもあります。

記録としての写真。はじめて秋葉原に行った時の風景です

表現として撮る写真は、ある瞬間に見たものを、自分の見たように撮影した写真を指します。
ある瞬間に同じものを見ていたとしても、人によってそこから見える景色は違います。

例えば気分のいい人が青空を見たとすると、きれいだとか清々しいとか思うかもしれません。
しかし、嫌なことがあった人が青空を見ると、その青空を憎く感じるかもしれません。
そのような気分などによって、人によって見える景色は変わるというわけです。

表現としての写真。ディズニーシーの輝かしくも温かい風景に圧倒されました

表現として撮る写真は、ある瞬間に見たものを、その時の自分の感情や感動も乗せて、表現した写真です。
もともと、自分の見た景色は、人に共有することはできませんでした。
しかし、カメラで写真を撮り、それを編集することで、自分の見た景色を作り出し、他者と共有することができるようになりました。

表現としての写真は、カメラの方が撮りやすい

記録としての写真は、スマホでもなんでも、撮ることができます。
しかし、表現としての写真は、カメラの方が圧倒的に撮りやすいです。

カメラであれば、撮影する際に細かく条件を設定することができます。
例えば、シャッタースピードを遅くして光の線を描いたり、絞りを大きく開けて、大きくボケた幻想的な写真を撮ったりできます。
スマホでも撮影時に設定ができる機種はありますが、シャッタースピードや絞りなど、細かく全てを設定できる機種は今のところありません。

α7CII, SIGMA 28-70mm F2.8 DG DN。奥を大きくボカした写真です。

さらに、カメラであれば、RAWという、色情報をより詳細に記録する形式で写真を撮ることができます。
RAWで保存し、それを編集ソフトで編集することで、自分が見た景色を、そのまま写真に再現することができます。
もちろん、スマホでも編集をすることができるソフトは多いですが、スマホで保存されるJPG形式では、色情報を細かく編集することができません。
(RAWで撮影できるスマホもありますが、今回はスマホ全般の話、とします)

カメラという「不便益」

カメラは、写真しか撮れないし、撮影前の準備が手間だしで、一見不便なものだと考えることができます。

しかし、カメラは、機能が限られていることで、その分撮影に集中できるという特徴があります。
また、写真専門の機械という特徴ゆえ、写真のための機能が多くあります。
それらは、記録としての写真を撮る時だけでなく、表現としての写真を撮る時に、大いに役立ちます。

これらを踏まえると、カメラも1つの「不便益」と考えることができるのかもしれません。

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