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末木文美士『明治思想家論』をやっと読んだ

ちょっと前に書いたこの記事の続きである。

私は学生のころから、明治中期以降に国家に失望して内面へと向かっていった思想家や宗教家のことがずっと引っかかっていた。そうした人々についてまとまった本はないかと思っていたら、ニー仏こと魚川祐司さんから次のような示唆をいただいた。

なるほどと思ってすぐに購入したのであった。

いまAmazonの購入履歴を確認したら、上掲ツイートの直後に購入していた。もう6年近く前のことである。

当時まだ私は東京で消耗していた。そして現在に至るまで3度の引っ越しをしている。私は引っ越しのたびに大量に書籍を処分するのだが、本書は処分されることなく最近になってようやく読まれるに至ったというわけである。

読んでみて思ったのはもっと早く読むべきだったということだ。しかし、昨年からかなり仏教への関心が強くなってきており、タイミングとしてはベストだったのかもしれない。まあ積ん読とはそういったものであろう。

内容は明治から大正にかけて活躍した13名の著名な仏教者を総覧するというものである。

トップバッターは島地黙雷である。
明治初期に、神仏分離令、廃仏毀釈運動を経て、教部省や大教院が設置される。教部省は実態としては神道優位の神仏習合を目指すもので、これに倒幕にあたって大きな貢献のあった西本願寺派の島地らが完全と批判したのである。これをうけて教部省は廃止され、神道は宗教ではないと言い張って国家神道への道を歩むことになる。
仏教はというと、キリスト教排撃、神道との和解、国家へのすりよりという方向に進む。
ここで個人的なものとしての仏教、土着文化としての仏教(葬式仏教)、非宗教としての国家神道、民俗的な要素をもつ宗教としての神道という図式が提示される。こういう図式があったために島地の努力は結実せず、また戦中を経て現代まで形を変えて続いているのである。

第3章は井上哲次郎である。1889年大日本帝国憲法発布、1890年教育勅語発布を画期として、天皇を頂点とする強権的な国家主義体制が始まる。さらにその翌年には内村鑑三による不敬事件があり、これに乗じてキリスト教批判を展開したのが井上であった。しかし教育勅語をもってキリスト教を攻撃すると当然にも仏教にも跳ね返ってくる。今風にいうならブーメランである。
また井上において、日本は仏教とキリスト教を融合しうるから特別であるという、後の民族主義的な動向の萌芽もみられる(第11章の岡倉天心など)。

教育勅語のような上から与えられる近代的人間像と、個の確立との矛盾を早くに自覚したのが5章の清沢満之であった。個の確立ではキリスト教が先行していたが、内村鑑三の過激さについていけないところから仏教が着目されるという背景があった。
こうした個の内面へと向かう動きは日清・日露戦間期におこっている。鈴木大拙の渡米、清沢満之・田中智学・高山樗牛・岡倉天心らが主著を発表、藤村操自殺などである。
清沢は真宗大谷派の教団改革に取り組むとともに、哲学的思弁も重ねている。自我の解消と全体への融合を拒む(無我や空に言及しない)ことで近代的な個の確立を目指したといえるかもしれない。さらに精神主義、内観主義と題して、内面的な充足、主観の探求を主張するが、病で夭折してしまう。

第6章は高山樗牛である。清沢満之らが追求した個の確立ならびに国家主義への包摂の拒否は、高山において典型的と思われる。その短い生涯で2度の思想転換をしたとみられており、感傷主義、日本主義、個人主義とわけることができる。第二期の日本主義の時代には過激な国家主義的な主張や宗教批判をしているが、第三期には田中智学の影響を受けて日蓮に入れ込むようになっている。また結核を患ったこともあって自省的、内面主義的な主張を見せるようになるのであった。

次の時代の夏目漱石のような成熟した個人主義を育むには清沢や高山は短命過ぎた。しかし漱石の小説の登場人物たちの苦渋にみちた行動をみるに、その個人主義もやはり矛盾や緊張感をはらんだものである。この矛盾は西田幾多郎らが探求し続けるが(絶対矛盾)が、その思想もやがて国家主義に飲み込まれざるをえなかった。

西洋が時間をかけて成し遂げた近代化を短期間に一気に受け入れるために国家主義的イデオロギーが必要とされ、そのために個の確立は挫折し、宗教が必要とされるというのがおおまかな本書の流れである。その中で国体論的な日蓮主義を志向した田中智学は興味深い。日蓮主義は天皇信仰と折り合わないのであるが、海外侵略を正当化するためにより普遍的な仏教という枠組みが必要だったというのが著者の見立てである。であるなら石原莞爾など多くの人を魅了したのも理解できなくはない。

田中智学のほか、社会的な活動を担ったものとして内山愚童と高木顕明があげられている。彼らは社会主義者であった。社会主義者といえばキリスト教という偏見があるが、大乗仏教の歴史をみれば仏教者が社会主義者となるのはなにも不思議なことではない。彼らは大逆事件に関与したとみなされ死刑および無期刑となっている。

仏教はそもそもインドに始まるのであるから、インドに眼を向けるものも当然いる。というか現代の日本においてもインドに旅立ってしまう若者があとを絶たない。その偉大な創始者ともいえるのが岡倉天心である。天心がインドに渡ったのは日露戦後であり、すでに日本がアジアの盟主という驕りがあったのかもしれないが、日本はアジアの博物館という認識をしめしている。また中国では日本の文化と似ているところが少なくて安心したといい、その屈折したアジア観が垣間みれる。これにベンガルの若い革命家たちとの交流が加わって、有名な「アジアは一つ」という言葉になっていくのだが、大アジア主義とか大東亜帝国に流れるまでもうあと一歩といった感じがある。もちろん反帝国主義の流れにもなりうるが、この両義性は現在も残っているとみるべきであろう。

とまあ、かなり端折りながらではあるけど、自分なりにざっとまとめるとこんな感じである。
けっして分厚い本ではないのだが、沢山のことが詰め込んであるので読書ノートを作るのもまあまあ大変である。

とりあえず清沢満之と高山樗牛に強い関心をもったので、次は彼らに関する本を読むつもりである。お楽しみに。


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