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『自由の国と感染症-法制度が映すアメリカのイデオロギー』出ます

私と友人の青野浩氏の翻訳書『自由の国と感染症-法制度が映すアメリカのイデオロギー』が本日みすず書房から発行される。

2015年に出版された、経済史家ヴェルナー・トレスケン氏による”Pox of Liberty”の邦訳である。

公衆衛生、憲法、経済の観点からアメリカ史を叙述したもので、いまこの時代において、紛れもなく重要な意義を持つと確信している。

この重要な書籍をようやく日本の皆さんにお届けできる。

英語に自信ニキは原書もどうぞ。


経緯から説明してみる。

青野氏からこの本を訳そうと持ちかけられたのは今年の2月ころだった。

そのころ、英米では新型コロナウイルスによるワクチン接種が急速に進み、人々は日常生活を取り戻しつつあった。特にアメリカはmRNAを用いた画期的ワクチンを開発していた。20世紀以降の画期的な企業はすべてアメリカ発だと誰かが言ってたな。

日本をはじめとする東アジア諸国は行動制限を主体とする感染対策で、感染者数、死亡者数の抑制には成功していた。しかし婚姻数や出生率減少という厄災が想定されていた。

いち早く日常を取り戻すアメリカと、感染そのものの抑制には成功している東アジアと、大局的にみて感染対策に成功したのはどちらなのか?共訳者の青野氏から本書の翻訳をやらないかと持ちかけられたとき、そんな疑問を抱いていたのだった。

原書を読み始めてまず思ったのは、どうしてこれがコロナ以前に邦訳されていないんだ?ということだった。2020年に始まったパンデミックとそれに伴って生じた社会現象を理解する上でこんなに重要な書物はないと思われた。制度的枠組みがいかに感染対策と、その疫学的・経済的帰結を規定するか、そんなことをここまで克明に記載しているものは見たことがなかった。

これは早く訳さないといけない。春先から仕事の合間を縫って、青野氏と、途中からは編集者氏も加わって大急ぎで作業を進め、ようやく出版にこぎつけることができた。肩の荷が降りた気分である。


本書の概要は、18世紀後半に始まり現在なお進行中の健康転換と呼ばれるプロセスのうち、20世紀転換期前後のアメリカに焦点をあてたものである。この健康転換の中でも、本書が取り扱う20世紀初頭の急激な死亡率低下を死亡率転換という。その過程は各国で異なっており、自由や商業を重んじるアメリカにおいてそれがいかに成し遂げられたかを活写している。

コロナ禍で明らかになったように、自由や経済と、公衆衛生は厳しく対立する。自由や経済活動を重視するアメリカでは、感染対策において先進国の中では常に遅れをとってきた。しかし経済活動を重視するがゆえに、感染症がその障害になると認識されたときは凄まじいパワーを発揮して克服してきた。腸チフスはインフラ整備によって、黄熱病は帝国主義によって克服した。そして今回はmRNAワクチンであったというわけである。
以下に各章ごとの要点を記しておく。読む際の参考にしていただければ幸いである。

序章と第1章

序章と1章では、自由で民主的な国家は強権的な国家よりも感染対策において不利であることが確認される。特にアメリカにおいては自由が合衆国憲法に規定されており、天然痘ワクチンの普及を妨げた。しかし自由と、そして経済活動の重視は別の感染症においては有利に働いたのである。
本全体の内容の流れを述べるという性質上、序章と第1章は抽象的な記述が多く、ややわかりにくいかもしれない。しかし後の章で具体例により説明されるので、わかりにくくても気にせずに読み進めていただきたい

第2章

2章はアメリカ合衆国の歴史、および公衆衛生の歴史の確認である。前者に関してはアレクシ・ド・トクビルの引用に始まって、アメリカの都市化、工業化、移民による多様化が進んだかが解説される。それに伴い公衆衛生のありようも変わってくる。特にイデオロギー面で大きな影響があったのは、南北戦争とその余波を受けて成立した合衆国憲法修正第14条である。
後者に関しては、細菌説の登場が重要である。現在、私たちにとって当たり前になっている、感染症は細菌やウイルスなどの病原性微生物に起因するという概念は19世紀後半に始まったもので、たかだか百数十年の歴史しかないのだ。公衆衛生に詳しくない人は、ここで雑学を身に着けて、リアルではドヤ顔していただきたい

第3章

3章は合衆国憲法である。本書の中で最も読みにくく、訳すのに苦労したパートだ。公衆衛生に関して重要なことは、連邦制、通商条項、契約条項、修正第14条である。

連邦制とは簡単にいえば、各州の自主的な管理に任せて連邦政府はなるべく介入しないということだ。連邦制が反ワクチン主義者の共同体を可能にし、テック企業がシリコンバレーに集まるがごとく、エアーポケットのような天然痘流行地域を作り出した。
また連邦制のバックボーンとなる通商条項は州同士が協力して感染対策を講じることを困難にしている。

契約条項は金融市場の適正化を念頭において制定されたものだが、これはインフラの整備と通じて感染対策にも貢献することになった。

ここまでで歴史や理論的背景の説明はだいたい終わりである。しんどいのはこれで終わり、4章以降は具体的な説明になるのでかなりイメージがしやすくなる。

第4章

4章は天然痘を扱っており、個人的には最も興味深い章である。天然痘の豆知識(またしてもドヤ顔チャンス)、ジェンナーのワクチンの威力、そして現代まで続く反ワクチン主義の問題、天然痘の国際比較など、コロナ禍における意義が大きい記述が満載である。
反ワクチン主義者について付言すると、アメリカの反ワクチンは日本のそれとは気合が違うということを痛感する。天然痘ワクチンを接種しない者は、(少額の)罰金または禁固刑を科される州もあったのだが、彼らはあえて罰金を拒否し投獄されることを選んだ(原註65参照)。また、好ましくない属性の者に強制的に不妊手術を施すことが真面目に議論されていた時代に、それに反対した数少ない人々が反ワクチン主義者であったのも興味深い。

第5章

5章は腸チフスである。天然痘に関してはアメリカの制度は不利に働いたのだが、腸チフスのような水媒介性感染症はそうではなかった。本章はアメリカにとってポジティブな話題に満ちている。腸チフスやコレラのような水媒介性感染症こそ、先進国と途上国で差が出るし、平均寿命の改善に大きく寄与するのである。特にアメリカの制度は腸チフス撲滅に有利に働いたのである。

第6章

第6章は黄熱病だ。この章、というか黄熱病のストーリーはやや複雑である。本邦では黄熱病は野口英世の命を奪った疾患として有名だが、まずその凄まじさに驚いていただきたい。スペイン風邪の比ではない。

黄熱病のような交易と関連する感染症においては、州間の連携を妨げる連邦制は感染対策の露骨な妨げになる。検疫を関税のように用いて貿易戦争を仕掛ける州や都市もある。
通商条項は州間の問題については連邦政府に権限を与えていたし、連邦最高裁もそれを支持していたが、現実には連邦政府は及び腰であった。憲法や司法がどうであれ、国民が連邦政府の介入を嫌うのであれば、強引なことはできないのである。これはコロナ禍においても同様であった。

通商条項は連邦政府に州間の通商を管理する権限と、対外貿易を規制する権限を与えていた。前者に関しては及び腰だったが、海外には強気であった。いわゆる棍棒外交である。この棍棒を支えるのはいうまでもなく経済であるし、棍棒を振り回すことを求めたのも経済であった。20世紀初頭におけるアメリカ帝国主義の展開と黄熱病の関係が本章の面白いところである。

第7章は簡単なまとめであり、次回作の展望などが書いてあるのが泣けてくる(著者は2018年に亡くなっている)。


以上が本書の概要だが、これは私の切り取り方にすぎない。
本書はコロナ禍以前に書かれたものだから、昨今の政治的思惑とは関係がない。わりと中立的に書いてあるので、様々な含意を引き出すことができるだろう。
中には私たち訳者が想像もしないような読み方もあるだろう。
日本の読者の皆さんが、本書からなにを読み取るか、私たちは非常に楽しみにしている。


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