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『ストーリーが世界を滅ぼす』読んだ

一部でちょっと話題になっていた本を読んだのだ。

内容としては『反共感論』とほぼ同じ。

古来よりナラティブのもたらす破壊的影響力は知られており、プラトンが『国家』において、詩人を追放しようとした事例などが引かれている。

他の例としてはキリスト教があげられている。言うまでもなくイエス・キリストとその物語は世界で最も影響を及ぼしてきたナラティブである。その一神教的な不寛容さが理由の一つである。

ここで重要なことは、キリスト教が悪魔とか地獄とか、手触りのある形でネガティブな要素を伝染させたことだ。

映画でもなんでも明確な敵とか、あるいは恋の障害など、ネガティブな要素が感情を煽ってくる。ひたすらポジティブな物語は平板でつまらない。陰謀論でもヒット作でも、必ずこの文法をおさえている。

これに対して気候変動のようなストーリーは味気ない。環境問題は、個々人には壮大すぎてリアリティがないし、明確な敵がいるわけでもない。ところが環境問題は一部の黒幕が金儲けのために煽っているというナラティブのほうが感情を喚起しやすいのは言うまでもない。

これに加えて現代ではインターネットとかいう非常に悪いものがある。物語が爆発的な影響力を持ってしまうのである。。。

著者はその例としてドナルド・トランプをこき下ろしている。

その一方で不寛容な左派に対する恐怖も表明している。

普通に考えると、ああいう人たちこそおかしな物語で影響力を増大させているのだが。。。まあそれはいいだろう。

個人的には、気に入らないものをなんでも陰謀論のレッテルを貼るのもどうかと思う。

陰謀論と称されているものを論破するのは簡単ではない。デタラメをデタラメと証明するのは非常にコストがかかるというよくいわれることでもあるのだが、その一方で正しいとされることも、ほとんどの人間は自分でその正しさの証明をしたわけではなく、伝聞を信じているにすぎない。

もちろん森羅万象を自分で正しいと証明してからでないと信じられないなら、それだけで人生が終わってしまうので、それはそれで厄介なのである。

どうしても見切り発車になるわけで、そこらへんのバランス感覚が難しいと思う。

先日亡くなられた山崎元さんも、近藤誠理論を論理的に否定することができなかったようだ。ちゃんとものを考える人ほどそうなると思う。

それでも山崎さんは、いまのところ標準的とされている治療を選択されたようで、バランス感覚もちゃんと持ち合わせている人だったのだなあと思う。

もちろん近藤誠の言っていたこと全てが間違っているわけでもないし、標準的とされている治療が常に正しいわけでもない。

これについては近日中にまた書くと思う。

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