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平成から令和へ。子供たちに願うこと

 平成がおわることについて特別なにかがあったわけじゃないが、こゆるぎ岬さんのnoteに触発されて自分もなにか残しておこうと思う。天皇皇后両陛下のお人柄とは裏腹に、平成は暗い時代だった。暗い時代だったからこそ両陛下のお人柄が際立ったともいえる。

昭和64年1月7日、私は小学5年生で塾の冬期講習に親に送ってもらうときにラジオで昭和天皇の崩御を知った。この当時はバブル真っ盛りで、新聞はいつも人手を確保できないとか、株価が最高値とか、地下がまだ上昇したとか景気のいい話ばかりだった。今の若い人たちは信じられないくらいのことだった。日経平均はこの年の大納会で3万8915円の最高値となりいまだにこれは破られていないのはご案内のとおりだ。

しかし私は中学受験で忙しくなり新聞を読まなくなり、中学に上がってからも部活が忙しくて世事には疎くなってしまったのだが、中1の終わりくらいには部活も辞めてしまってまた新聞をみるようになった。そうすると信じがたいことに就職難や景気悪化の話題ばかりでいつのまにか潮目が変わってしまったのを知った。とはいってもこのころ1990年台前半はまだバブルの余韻が残っていたように思う。ジュリアナ東京が営業していたのは1991年から1994年である。

1995年1月17日早朝、5時半くらいだったかな、下から突き上げるようなすごい衝撃で目が覚めた。でもすぐ寝て7時くらいに起きていつものように駅に向かった。新聞の一面には昨日、神戸らへんでちょっとした地震があったことが書いてあった。この日は冬休みの宿題の提出日でもちろんほとんどできておらず非常に憂鬱だったが、駅にいっても待てど暮らせど電車が来ないのでもう休もうかと思ったものだ。京都はまあまあ揺れたのだがたいして被害はなく直後はこの程度の認識だった。

なんとか電車が来て友人らと合流して学校へ向かったのだが、なにか大変なことがおこってるらしいのでとりあえずマクドでダラダラしようということになった。マクドにいってもタバコを吸いまくるくらいしかすることがなく結局みな帰宅して家で地震の衝撃を知ることになる。インターネットがまだ一部のひとたちのものだった時代はこのように牧歌的だったのだ。

2ヶ月後の3月には地下鉄サリン事件があり、このふたつの出来事はバブルがもう終わったということを決定的に印象づけた。2年後の1997年には悪名高い消費税増税、各種規制改革がおこなわれ、因果関係はわからないがアジア通貨危機、拓銀倒産、山一證券廃業などといった一連の痛ましいできごととともに失われた20年が始まった。このころは僕は大学生で、つまり就職氷河期世代だ。

僕は就職氷河期世代のなかでは勝ち組だ。大学受験をがんばることができたからなんとかなった。高校の同級生たちもだいたい良い会社につとめていたり自営業でよろしくやっている人が多い。大学に上がってから以降もだいたい社会の中の上層のひとたちと知り合うことが多い。彼らの多くは弱者というかキモくて金のないおっさんおばさんにとても冷淡だ。厳しい時代を努力で乗り切ってきた人たちなのでそうなるのはしかたないことかもしれない。

僕は小学校高学年くらい、つまり平成が始まるころには自分がまわりとは違ってかなり勉強ができることを知っていた。それは親から受け継いだ遺伝子のせいもあったかもしれない。自分が恵まれていることを知ったのは高校生くらいだろうか。父親になにかしてもらったことはないが、本を買う金をケチるなとはよくいわれた。おかげで本でも教科書でも参考書でも僕は買いたいだけ買うことができた。英語の辞書など6冊くらいもっていた。落合信彦とか柘植久慶の本をたくさん買ってしまったのは黒歴史であり黙っておこうと思ったが、昭和の終わりから平成の前半にはそういうものにハマる若者が多数いたこと記しておくのも悪くはあるまい。

自分がいろいろな意味で恵まれていることを自覚してなお僕はネオリベ野郎だった。というか働きだしたころはとにかく忙しくて他人のことを考える余裕がなかった。30前くらいで余裕ができて株式投資やマクロ経済学の勉強を始めた。リーマン・ショックの直前くらいだ。2006年くらいにはサブプライムローンやばいぞという声はチラホラきかれていたが、このころはまだ景気がよかった。就職氷河期世代でも正規雇用される人もけっこう多かったはずだ。相場的には2007年夏からはっきりとおかしい症状が始まり、上下動を繰り返しながら2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻へと向かっていった。

それ以降はもう就職氷河期世代が助かる道はほぼ閉ざされと思う。もう40代に突入してしまっており、20年後に資産も家族もない彼らが働けなくなったとき誰がどのように面倒をみるかなど誰も考えないし考えたくもないだろう。こういうことを知るようになり僕はいつのまにかネオリベラリズムを放棄していた。いまや政治右派経済左派のネトウヨだ。

就職氷河期世代の勝ち組は弱者に冷淡という話にもどろう。僕もかつてはそうだったけど、そこから抜け出せたのは自分が能力的にも環境的にも非常に恵まれていることを自覚していたからといのがひとつ。考える力を与えられた人間は大衆に対して責任があるというと大袈裟かな。誰かが言っていたように、大学は大学へ行けない人のためにあるのだともいえる。またTwitterなどのSNSで本当に頭の良い人達と出会えたことも大きい。メタ認知能力モンスターの皆さんのおかげで僕の思考は飛躍的に幅が広がった。

平成が始まったとき僕が小学校高学年であったように、僕の息子たちも令和が始まるいま小学校高学年だ。彼らは僕の子なのでとても頭が良い。僕のように回り道することなく、その能力を弱者も含めてみんなのことを考える方向につかってほしいと願う。

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