見出し画像

グッバイ暗黒の平成、ハローもっと暗黒の令和。

「えっ!平成生まれなんだ!マジかー」と驚きのリアクションをしていたのはつい最近だという感覚だが、平成生まれも30歳。年齢的には立派なオトナである。僕の平成は15歳から45歳までなので、青年時代の始まりから中年期まるごと、の30年だ。橋の下を、たくさんの水が流れた。初めて恋人というものがデキたのが1989年で、今、上の子供が14歳、という。その30年の記憶をザッと3分くらいかけて振り返ってみたが、なんというか結局"フツー"の人生だなあ、という感じだし、時代が終わることに特に感慨もない。とりあえず、それなりに健康で生きてこれたことに感謝だ。僕はもう、ただただジジイになっていくだけだが、我が子たちは、昭和から平成になったときの僕と同じような歳で、これから人生のもっとも"濃い"時期を「令和」時代で過ごしてゆく。令和の日本はどんな社会になっていくんでしょうね。いま僕の目に見えている現在も未来も、セカイはとても暗い。

ザックリ言ってしまえば、平成は暗い時代だった。そもそも「平成不況」、1989年の消費税導入、そしてバブル崩壊からスタートしている。97年に消費税が5%に上がり、失業率が上昇、デフレに突入。今やブッチャー&シンのようにペアで語られる小泉&竹中のコーゾー改革で回復したかに見えたが労働者の賃金は上がらず、やがてリーマン・ショックの世界的不況に見舞われる。「失われた10年」とか言われているし、「失われた20年」とも言われる。とにかく「失われちゃった時代」が平成で、まさに不景気の不穏な鐘の響きとともに社会に出た僕らはロスト・ジェネレーションと呼ばれ、この世代は人口も多く貧しいヒトも多いもんだから、いまごろになって「ロズジェネ問題どうすんだ」等議論され、「ゆくゆくアイツらは安楽死させる方向になるのでは」などと言われる次第である。この30年、内閣、政権が変わってもこれっぽっちも景気が良くなった実感などなく、経済についての政策議論も宗教論争みたいになって何が正しいのか誰にもわからない。少子高齢化という最大の問題に何ら有効な対策が見えてもいないのに、ポリティカル・コレクトネスという正義の旗印があちこちに立って、命の再生産のための本当に重要な問題についての解決案が持つ「不都合な真実」には触れてはいけないような空気になっている。令和はこの状況で始まる。美しい元号だと思うけれど、僕はこの時代のこれからの社会にほとんど希望を持てない。近代化の反動で「野蛮」な世界に戻るような気配もある。

それでも我が子たちはこの時代を生きていくしかない。彼らはまだ社会の問題についてほとんど何も知らないが、僕の世代よりキツい重荷を背負わされるようになるかもしれない。しかし、そういう時代に生まれてしまった。僕は平均的なサラリーマン、中間層の人間で、子供に多大な教育費をかけることもできないし、賢くもない僕の遺伝子を受け継いでいる彼らが、現時点でどの程度の学力で、伸びしろがどの程度かもなんとなくわかる。彼らの学習環境については、当然、できるだけのことはする。そして、親として、どうやって暗い海を泳いでいけばいいのか、意見や意志を伝えたり、子供に選択させていかなければならない。
しかしけっきょくのところ、世の中がどうであっても、それと対峙して、生きぬいていかなければいけないのは彼ら自身だ。平成も暗かったし令和も暗いだろうと思っているが、僕個人の性格は、たまたまなのか血なのか、明るいし、打たれ強かった。失恋でも、不況でも、自然災害でも、「しんどいこと」というのは、規模や数の大小の差はあれど、必ず人に襲いかかってくる。真にツラいことというのは、最後には自分ひとりで乗り越えなければならなかったりする。そういうときに、ポキっと折れないための何かを見つけてほしい。それはもちろんお金を稼ぐ力でもあるし、実は本を読んだり音楽を愛したりすることで養われるものでもあったりする。世の中がどんなに酷くても、世の中には自分を守ってくれる楽しいコトっていうのは絶対にある。大人として、そういうポジティブなことを、自分が楽しむことで、あるいは一緒に楽しむことで教えてあげたいとは思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?