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ポスト識字とルサンチマンを超えて

 昨日の白饅頭師匠のnoteについて思うところがあったので覚書として残しておこうと思う。

ひっかかったのは、現代は選択肢が多すぎてリテラシーの高い人々でも認知能力を消耗し、活字を追えなくなっているのではないかという部分である。

しょっちゅう決断していると認知能力のリソースを削られるのはそのとおりと思われ、例えばスティーブ・ジョブズが毎日おなじ服を来ていたのは有名である。決断の回数を減らすためである。ちなみに毎日noteを書くと決めておくと今日は書くべきかやめておくとかと悩まなくていい

しかし認知能力が低くなることが有利になることもあるのではないかという、マーク・フィッシャーの指摘を思い出さずにはいられなかった。

同様に、識字障害(dyslexia))と呼ばれるものも大抵、ポスト識字(post-lexia)的な状態を意味するだろう。映像がぎっしり詰まっている資本の情報を、ティーンエイジャーはとくに活字を追うことなしにたいへん効率よく処理できる。ネット上のモバイルマガジン的な情報空間を渡っていくには、スローガンを認知するだけでこと足りる。「書くということは決して資本主義の得意分野ではない。資本主義はどこまでも文盲的である」と、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』のなかで述べている。「電子言語の仕組みは、音声や書記とことなう。データ処理はそのどちらも介さないのだ」。成功したビジネスマンの多くが失語症であるゆえんだ(しかし、彼らのポスト識字的な能率のよさは、彼らの成功の原因なのか、それとも結果なのか?)

私には彼らのポスト識字状態は、成功の原因と思われてならない。行を読まずに行間を自分の都合の良いように作り上げて、アウトプットしていくほうが経済的な意味では成功しやすいのではないだろうか。ウジウジ考えるよりも突進力が大事な局面も多いだろう。

この世の中はバズったもの勝ちである。いくら医師らが躍起になってボコボコにしても反ワクチン記事がなくならないのもその現れといえる。正しくなくとも利益は十分すぎるほど出るのであれば、ボコられたって止める理由がない。

活字の意味を正しく理解していくよりも、ふわっとした理解で求められているものを出力していくような、ある種の音ゲー的な感性が需要されている。現代社会の情報の洪水でみなの認知能力が削られてしまった結果でもあるし、一部の成功者においてほどよく消耗した認知能力が音ゲー的な感性へと発展した結果でもあるだろう。

こうした情況を動物化という人もいるし、ポスト・トゥルースという人もいるだろう。

と、ここまで書いたところで、白饅頭師匠がさらに燃料を投下してこられた。

よく言われる幸福度は年収800万くらいまでは上昇するがそれ以上は頭打ちという言説がどうも嘘だったという話である。

そしてこういう神話がなぜ生まれたかという白饅頭師匠による解説が勤務医には刺さりまくる内容だったのである。

年収が1000万円に乗ってくると付き合う人々の範囲も変わってくる。そうなると年収1000万円台なんてのは富裕層でもなんでもないとよくわかってしまうのである。

私がそうしたことを実感したのは子供を富裕層向けの幼稚園(プレジデントファミリーで紹介されるようなやつ)にいれたときのことだ。父兄は開業医、成功した弁護士、パチンコ店のオーナー、大地主などなどで、勤務医など貧乏人だったのである(みんないい人たちだったのでそんな態度をとられたことはないが)。その幼稚園には塾も付属していたのだが、その月謝が馬鹿高くて、先生たちはおたくのお子さんは優秀なのでもっとたくさん授業をとりましょうと言ってくるのだが、そんな札束競争に参戦する経済力はなかったのであった。

私の子供たちはそれでもぶっちぎりで優秀だったので溜飲を下げたのは言うまでもない。なお私は格差是正を叫びながら自分の子供は私立中学に入れる悪い大人です。覚えておきましょう。

まあ本当の富裕層はそういう学歴競争からも自由で、そういう意味でも幸福になりやすいのかもしれないね。

こういう経験をすると、収入が増えたからと言って幸せになるわけじゃないと自分に言い聞かせたくもなる。いやむしろ金のある不幸もあるんだとハゲタカな気分にもなる。

とはいえ私はその程度のルサンチマンですんだのでよかったといえるだろう。

羽振りの良い中小企業経営者の中には、ポスト識字どころか、高学歴エリートサラリーマン基準でいうと識字障害なんじゃないかという人もいる。そうしたことが非効率な中小企業はつぶれてしまえという危険な風潮の土壌にもなっているのかもしれない。

それについては先日、飯田泰之先生が指摘されていた。

中小企業とはなにか、大企業との違いはなにかなど示唆に富んだ記事である。
閑話休題。

しかしお金はあったほうがよいが、ないと幸せになれないわけではない。自分の内発的な好奇心、成長への欲求をみたしていけば、豪華な食事、邸宅、旅行などは不必要なものだとわかる。

けっして不必要だと言い聞かせているのではない。


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