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ボキャビルは単語集でやるか多読するか

昨日の記事で、語彙を増やすのに単語集を使うか多読するかというテーマに少しだけ触れた。それに関連して、Sugiharaさんが興味深いことを書いておられた。

40を過ぎてからの単語の脳への定着は、僕に関しては「その単語と出会った回数」と「出会ったシチュエーションがドラマティックだったか」の掛け算で決まってきます。初見でスルッと単語を覚えていた若い頃とは違って。

こういう言葉を紡げるのは羨ましいというのは置いておいて、これは本当にそう。私は単語集で覚える派なんだけど、やっぱり実際の文章で出会う単語に比べるとインパクトが弱くて覚えるのに時間がかかってしまう。だから多読(と多聴)でコツコツと語彙を増やしいくほうが長期的には効率がいいというのはあたっていると思う。上田亮先生は、これを自重派とウェイト派と分類しておられたな。

単語集で覚えるウェイト・トレーニングに意味があるとすれば、入学試験とか資格試験などで期限が決まっている場合だろう。こういう情況に限り、単語集で手っ取り早く必要な単語を詰め込むことも必要になる。必要なすべての単語に多読だけで出会うにはそれなりの時間がかかってしまうからだ。また若い人の場合はそれでもスイスイと覚えることができるのかもしれない。

ただまあほとんどの情況においては人生って思いのほか長い。じっくり多読で語彙を増やしたほうがいいことが多いように思う。

しかし私のように、語彙を増やすこと自体が目的になってしまっている人間もいる有り体に言うと本末転倒である。こういう人間は極限の英単語や終極の英単語をひたすら周回するのだ。

この単語集は例文も何もついていない無味乾燥な代物で、単語集というより単語リストである。

この無味乾燥さをなくして、ドラマティックさを少しでも演出するために、Google画像検索とかYouglishとかでイメージを掴んだり、TwitterやLudwigで例文検索したりするのである。

ひたすら語彙を増やすファンダメンタリストの中には辞書を1ページから覚えようとする猛者もいる。自分も終極の英単語シリーズを終えたらそれをやるのかもしれない。そうすると、物書堂とAnkiを連動させることを本気で考えないといけなだろう。いかん、またiPad欲しくなってきた。

まあ辞書を覚える前に語源語幹を極めないといけないんだけどね。でないと効率が悪すぎる。

最後に、全くどうでもいいことだが、単語リストで覚えた単語が実際に使われているのを目撃すると非常に感動できるということをお伝えしておこう。

ほんまに使うんや\(^o^)/


極限の英単語や終極の英単語はコーパスから使用頻度でソートしてるから使われることがあるのは当たり前なんだどね。でもなんかめちゃ嬉しいんです。

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