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宮元啓一『仏教誕生』読んだ

昨年末にインド哲学者宮元啓一氏の仏教史入門書を読んでとても勉強になった。

だから同氏のもう少し踏み込んだ内容のものも読んでみたいなあと思っていたのである。

まあなんでもよかったんだけど、宮崎哲弥さんが『仏教誕生』がよかったとおっしゃっていたので購入したのである。

ちなみにこのサンガジャパンの仏教書特集は面白い。あれも読まなきゃこれも読まなきゃとなること必至である(読むとはいっていない)。

『仏教誕生』は、主に著者の師である中村元博士の業績に依拠しつつ、ゴータマ・ブッダの前後の時代のインド哲学から仏教の始まりを解説しようというものである。

第1章はインドの宗教史である。輪廻説はインド亜大陸の先住民族の間で根付いており、ヴェーダの宗教を携えてやってきたアーリア人の支配のもと、因果応報説へと発展する。

再生と再死を繰り返す輪廻の世界観はかなりの苦痛であったと思われ、早くから解脱を求める人々が現れたようである。
当時の支配階層であるバラモンにとって出家は非常に不都合であった。ちゃんと実業と生殖をやっていただかないと社会が持続しないし、バラモンたちもやっていけないからである。だから普通は40とか50歳にならないと出家は認められていなかった。
ここで社会の持続性と在家の関係を重視したバラモン教(というかヒンズー教)が生き残り、仏教が駆逐されてしまった原因である。

ところでガンジス川中流域は農耕と交易で栄え、カースト制を基盤とするバラモン教とは異なる、都市型の自由な宗教が発展した。非バラモンの出家者は沙門と呼ばれ、ゴータマ・ブッダの時代には当地にもかなり存在していたことはご案内のとおりである。有名なのは六師外道。

第2章はブッダの生涯。面白かったのは15歳で結婚したのに、子供(ラーフラ)ができたのは28歳であったこと、そして29歳で出家したことである。前述のような事情で、生殖をしないと出家は受け入れられなかった時代なので、それまでろくに性の営みをしていなかったけど出家のために取り組んだのではないかという下衆い勘ぐりが成立するのである。

もう一点は、ブッダというのは本来は目覚めた人とかそういう意味である。しかし英語だとThe Buddhaであの世界宗教一つである仏教の開祖であるところのブッダになるし、a buddhaとすれば悟った人一般のことになる。もしかしたら私もいずれa buddhaになるかもしれないということである。英語を学び始めてから冠詞には悩まされてきたが、初めて冠詞っていなと思った。

第1章からもわかるようにゴータマ・ブッダ登場以前にすでに思想的背景は準備されており、けっしてゴータマ・ブッダが綺羅星の如く現れて画期的な思想をもたらしたというわけではない。
高弟サーリプッタは六師外道の一人であるサンジャヤの弟子であった。彼にはブッダに出会った途端に悟ってサンジャヤのもとを離れるというほんまかいなという伝説がある。しかしサンジャヤのもとですでに論理的思考の訓練は積んでいたと考えれば辻褄が合うだろう。他の一瞬で悟った弟子たちもそういうことであったに違いない。

というような流れで第3章でブッダの思想について。
著者は経験論とプラグマティズムに裏付けられたニヒリストであるという。スッタニパータのような経典を読めばその厭世的な考えは明らかであり、生存欲を断ち切ることで涅槃にいたろうとした。

そして基本的に経験的に知り得ることから議論を始めることを常とし、また知り得ないことについては論じないという不可知論者であった。そして弟子たちをとにかく涅槃へと導こうというプラグマティストでもあった。中道という概念はその現れであろう。

プラグマティズムという意味では、生存欲や性欲を断つが食欲はわずかながら開放して死に急ぐことはなかった。これが仏教がインドでは滅亡したが、世界宗教として生き残った遠因であろう。ジャイナ教の解脱者たちは食欲も断って死へと一直線に向かっていった。
インドでの仏教はイスラム勢力の侵攻がとどめとなったが、それ以前にグプタ朝の滅亡、漢や西ローマ帝国滅亡により交易の途絶により、経済的に衰退し仏教を支えてきた富裕層がいなくなったことも大きい。在家軽視がよくなかった。

プラグマティストであったゴータマ・ブッダは、とっつきにくい真理だけでなく、在家や初心者をいざなう方便も語った。インドの外で生き残り繁栄した仏教はこの方便を、大乗仏教は肥大化させ大衆宗教となったし(インドと違って在家を取り込んだ)、密教に至っては方便を目的化してしまった。

以上。一本筋の通ったストーリーがあって非常に読みやすかった。さすが宮崎哲弥さんがおすすめしてるだけのことはある。
もう初期仏教については入門書的なものは読まなくていいかな。



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