『アメリカ医療制度の政治史―20世紀の経験とオバマケア―』読んだ

ちょうど1年前だったか、アメリカのような医療保険の貧弱な国でコロナが蔓延したら大変なことになるのではないかと同僚と話をしていた。そして実際そうなった。

それではどうしてアメリカの医療保険はそんなに脆弱なのか?

というわけでこの本を読んだ。

アメリカ建国の歴史から解説されているけど、焦点は主に20世紀とオバマケアである。政治的な背景や攻防について適度に細かく記述してあり、読み応えがあった。現代にまで続く問題を理解する助けになった。

まず大前提としてアメリカは小さい政府をよしとする風土がある。旧大陸に別れを告げて建国されたのであるから、独立自営農民による農業にねざした国家(大草原の小さな家みたいだ)をめざすのがアメリカらしさとなるのは自然なことだったのだろう。小さい連邦政府を志向するトマス・ジェファーソンが1800年に大統領に就任して以降100年間はそういう時代が続いた。

しかし南北戦争があり、欧州に遅れて工業化が進むとそうもいってられなくなる。1901年にセオドア・ルーズベルトが大統領に就任、かれに続いたウイリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソンも社会改革に乗り出すことになる。そこには、工業化がもたらした貧困や失業などの社会問題とともに、医療保険も含まれていた。ドイツやイギリスなどで次々と労働者向けの医療保険が成立していた時代である。

しかしこうした熱は第一次世界大戦で優先順位が下がってしまう。また1917年のロシア革命により、反共的なムードが醸成され、公的医療保険も批判に晒された。

第一次世界大戦で連邦政府の権限は一時的に拡大したが、終戦後は平時への復帰が求められた。そうこうしているうちに大恐慌がやってくる。フーバーの後を襲った民主党のフランクリン・ルーズベルトは失業対策や老齢・障害年金などの社会保障制度を導入していく。もちろん、保守派からの反対は大きく、これらを守るために公的医療保険は取り下げ得ざるをえなかったのだ。アメリカ医師会が公的医療保険に反対したことも大きかった。これが現代にまで禍根を残すことになった。後知恵ではあるけど、このときが国民皆保険を達成する唯一のチャンスであったように思われる

この時代は民間医療保険も発達した。アメリカ医師会は、公的であれ民間であれ、医師と患者の間に介入してくる医療保険には反対であった。しかし医師自身が運営に関わることでこの批判を回避した。また大恐慌で患者が減るという背に腹は代えられない状況も、保険の普及に寄与した。

第二次大戦は第一次大戦以上の総力戦となり、市民の健康に政府が関与することが許容されることになる。もはやアメリカ医師会は医療保険に反対することはできず、かわりに民間医療保険をさらに積極的に支持していく。総力戦にともなうインフレにたいして政府は賃金を統制するが、医療保険の給付は給与外として認めたため、優秀な労働者確保のために企業もまた積極的に医療保険を提供していくことになる。命をかけて戦った兵士のためには退役軍人医療サービスが発達した。

ルーズベルトの遺志を継いだトルーマンは戦後も社会保障制度の充実をはかった。しかしマーカーシズムは医療にも及び、国民皆保険、公的医療保険は「社会主義的医療」と批判された。

アメリカ医師会は引き続き民間医療保険を支持した。驚くべきなのは、労働組合が公的医療保険の反対に回ったことだ。しかし、皆保険のために払うべき保険料が増えるより、民間医療保険で保険料が現状維持のほうがいいと考えるのは自然なことだったのだろう。また労働組合が民間医療保険の運営に関与するようになったこと、そのような医療保険を組合勧誘の材料にしたという事情もあったもよう。

こうしたわけでトルーマンの公的医療保険の案は頓挫した。

しかしトルーマン、次のアイゼンハワーの時代には、高齢者向けの医療保険についての議論はずっと進められていた。メディケアである。国民皆保険には保険料高騰を嫌って反対した労働組合も、組合員の退職後も就業時と同じサービスを受けたいという声は無視できずメディケアには賛成に回った。アメリカ医師会もかわいそうランキングの高い老人向けのサービスには表立って反対できなかった。

これらはケネディ政権下でも引き続き検討されたが、反対派の勢力も大きく微妙なところであったが、ケネディが暗殺されてしまう。引き継いだジョンソン大統領の情熱、追悼ムードなどもあり、どうにかメディケアおよび貧困者向けのメディケイドの成立にこぎつけた。もっともこれれは民間医療保険を補完するものでしかなく、あるいは民間保険をさらに繁栄させる結果になったとみる向きもある。

1968年の選挙でニクソンが勝利。医療費の高騰が問題になり始めていた。マネイジドケアという医療費を抑制する仕組みを導入するとともに、雇用主の保険提供義務化、メディケイドの対象拡大などでニクソンは皆保険に近づけようとした。しかしウォーターゲート事件でニクソンが失脚、後を継いだジェラルド・フォードやジミー・カーターにこのめんどくさい改革をやり通すリーダーシップもなかった。

ウォーターゲート事件だけでなくネオリベラリズム的な風潮が支配し始めた時代であり、また連邦政府への不信感が募った時代であった。

ロナルド・レーガンの時代はそういう風潮もあったから、医療への公的な支出は削減される方向になった。悪名高い包括支払制度がその一つである。また日本やドイツに経済的に追いつかれる時代であったため、多くの企業は医療保険などの給与外手当を削減していった。

1990年代はアメリカの医療保険の問題がどんどん深刻化していく。企業の保険に入れない人、小規模自営業者、メディケイドの対象に入らないくらいは稼げる低所得者など、ギリギリ弱者認定してもらえない弱者問題である。

ビル・クリントンは妻のヒラリーとともにこうした問題をなんとかしようとしたが、自身の下半身問題とか色々なことがあってうまくいかず。特に興味深かったのは、高齢者団体がクリントンの改革案に冷淡だったことだ。そりゃそうだよね、メディケアがあるんだから、弱者認定してもらえない弱者にかまってメディケアの給付がうっかり減ったらいやだもんね。かつては労働組合に疎外され、今度は高齢者にも冷たくされる、かわいそうランキングが低い人達なのであった。

2000年代には大問題となる。有名なのはマイケル・ムーア監督の『シッコ』だろうか。映画としてはデンゼル・ワシントンが主演した『ジョンQ』が面白いと思う。

息子が急な心臓病で心臓移植が必要になるのだが、デンゼル・ワシントンはその直前に降格になっていたため保険が心臓移植をカバーしていなかった。そこでブチ切れた彼がとった行動は、、、というストーリーだ。

閑話休題。

クリントンの改革も中途半端に終わり、ついにオバマ大統領の時代がやってくる。リーマンショックの対応から始まったオバマ政権だが、ヒラリー・クリントンらを中心になんとかオバマケア法案成立までこぎつけたのがすごい(KONAMI)

法案可決までの攻防もすごい大変そうだったし、その後に訴訟が頻発するというのはアメリカらしい。本書ではオバマケアへの批判もしっかりと記述してあり、それを読むと既存の制度になんとか継ぎ接ぎした複雑極まりない代物という印象を受ける。根本的な解決にはほど遠い。

公的な保険がほとんどないまま、民間保険をはじめとする制度が発達してしまったために解きほぐすのは不可能になってしまっている。これ本当にどうするんだろうねと思いつつ読み終えたのであった。

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