「私立恵比寿中学のテーマ・時間・解放の論理」の参考文献

上の記事を公開して、想定よりもだいぶ早くファミリーの方々に(といってもかなり局所的にですが)届き、めちゃくちゃ嬉しく思っています。

読んで感想を呟いてくださった方々、大変励みになります。ありがとうございます。
ドドドド新規が興奮のままに書き上げてしまったため、エビ中ファンとしての視点、時間論からの視点、その他さまざまな視点からのツッコミがありうると思います。忌憚なきアンサー記事やアンサーポストをお待ちしています。

さて、上の記事の参考文献一覧がほしいという要望を見かけましたので、(ここまできたなら論文みたいにしてくれというジョークだと思いますが、)真に受けてここにまとめておこうと思います。さすがに論文の文献一覧みたいにすると味気ないので、どのようにエビ中分析と接続しているのかに焦点を当てて、コメントも付記します。

Q:なぜわざわざ別記事にするのか?
A:スマホで上の記事を編集しようとしたら文字数多すぎてバカ重かったからです。

以下、略称はエビ中とします。新規のくせにやっぱりひらがな慣れなくてすみません!検索には引っかかるように、タグ付けとかはひらがなでもやっておきます!えびちゅうえびちゅうえびちゅうえびちゅう!

参考文献一覧

アイドル論の教科書

この本がすべての始まりです。
もともと所属しているコミュニティで読書会的なことをしており、今月は何かしらの本を題材にnote記事を上げることが課せられていました。ちょうどエビ中に関して何か書きたいと思っていたため、この本が参考になるかな〜と思い、手に取りました。

AKB考察が多めだと小耳に挟んだので、エビ中についてはオリジナルに考えるか〜と思って本を開くと、いい意味で裏切られました。著者の一人である塚田修一がかなりのエビ中ファミリー(2016年時点)だったのです。別にエビ中じゃなくても成立する例えにエビ中を使いますし、時間論の考察の際にも「合同出発式」についての想いが半ば脱線的に綴られていました。

この本で記されている、「アイドル×時間論」分析をエビ中にフォーカスして深掘りしたい。このようにしてnote記事の方針が定まりました。

そんなふうにアイドルカルチャーを見ることができるのか、、、!という気づきが得られると思うので、エビ中ファミリーはもちろんのこと、他界隈で活動している方にもおすすめの一冊です。

ももクロ→エビ中→東北産の魅力

記事を自分で書こうと思ったきっかけは『アイドル論の教科書』ですが、もともとその前から「エビ中論」的なものをネットで読み漁っていました。なんとなくエビ中には思想的な共感を覚えているものの、もやもやして言語に落とし込めない。そんな中出会ったのがこのブログです。

結成から2016年あたりまでのエビ中について、かなり抽象的なところまで考え抜かれた記事が多数あります。また、主さんはももクロについても詳しく、ももクロとエビ中の思想的関連性について、興味深い分析がいろいろ記されています。

ももクロについては世間が知る程度にしか知らない私ですが、このブログを通して漠然と、「エビ中について語るにはももクロを避けて通れない」ことを悟りました。そのエッセンスが私の記事にも反映されていると思います。

また、私の記事では流れ的に入れられなかった「柏木ひなたはなぜ転校ではなく卒業をしたのか」についても分析されており、私の記事が面白いと思っていただけた方には刺さると思われます。

これは脱線ですが、後で紹介する東浩紀の思想とアイドル論との接続を試みるような記事も主さんは書いており、大変驚きました。というのも、私の記事の中で東浩紀(訂正可能性)を登場させたのはあくまでも私が議論を進めやすくするための半ば強引な策で、そんなことをやる人はまあいないだろうと思っていたからです。このブログ自体を知ったのはnote記事を書く前ですが、このブログの東浩紀に関する記事はnoteを書きあげた後に知ったため、そりゃあもうびっくりでした。東浩紀の思想がそれほど普遍的だということなのでしょうか。

時間の比較社会学

私の記事の裏テーマ本です。最初は参考図書程度に図書館で借りたのですが、あまりにもおもしろすぎてついついこちらに偏ってしまいました。しまいには、この本の補完となる結論にまで辿り着いてしまい(書き始めたときには完全に想定外でした)、なかなかこの本に振り回されてしまったなという感想です。

コメントでも、この本の表面上の概念に振り回されてしまっていることをご指摘いただきました。この本の語彙がまだ自分の血肉となっていないことをズバリ見抜かれ、お恥ずかしいばかりです。それにしても、真木悠介の話にノータイムで乗っていただけるような方までいるエビ中ファミリー、本当にいろいろな方がいて最高です。いまのところ妹しかファミリー仲間がいないので、みなさん、ぜひお友達になっていただけませんか???

訂正可能性の哲学

私の記事の核概念、訂正可能性。まさにこの本から引っ張ってきています。あまりにも便利すぎて、あらゆるところで使いまくってしまいます。今回も書き始めたときには使う予定ではありませんでした。

「それはそれであること以外に特徴づけられない」的な固有名詞についての論考がこの本には載っており、「朝顔」の歌詞考察にピタリ使えるなと思いました。そしてそれがそのまま訂正可能性につながります。

いつか東浩紀の言葉を借りずとも自分の言葉で語れるようになりたいものです。

おまけ:
エビ中のファンの総称、「ファミリー」。家族ですね。『訂正可能性の哲学』は、実は『観光客の哲学』という本の続編として書かれています。そして、「家族」はこの二冊の中でたびたび登場してくる概念です。別にこじつけたいわけではないのですが、あまりにも親和性が高いなと思ってしまいます。先に紹介した「ももクロ→エビ中→東北産の魅力」で書かれたブログ記事でもこのあたりについて触れられています。

DIVE INTO EBICHU MUSIC

直接的な引用は「朝顔」以外ではしなかったですが、読んで色々と影響は受けています。入れ込みたい記述は多かったですが、軸がブレちゃうなと思ってやめました。本当はヒャダインや岡崎体育についてもっと書きたくはありました。

この本は中山莉子論みたいな側面があるなと思います。そして、それは私の記事の主題に直結しています。歌が上手い下手というのは量的な軸で、そこで測ることを本能的に拒否したくなるような質的な強さを中山莉子は持っている。それを裏付ける記述が多数見られます。まさにエビ中のエンジン。

マッシュル-MASHLE-

正直、原作途中まで勢です。そんなんで参考にするなという話なのですが、一話を読んだときの「なんだこのテンプレわんさか漫画は、、!!」という印象を思い出しながら書きました。

やっぱりアニメ化はすごいな、と思います。ライト層へのリーチがとてつもない。東浩紀的な「観光客」が増えまくる。そして、マッシュルはそれに応え得るおもしろさをしっかり備えていたのだと再確認しました。

世界史の構造

全く直接的には現れていないですが、私の脳内では参照していました。なんというか、この本で言うところの交換様式D的なものとしてエビ中を見ようと試みている感じです。

贈与は(資本主義的な)交換の失敗である、的なことを東浩紀がこの前Twitterで言っていました。成功や失敗という軸で考え出すのが交換様式C的な性質なのだとすると、これはある意味で自明です。失敗とネガティヴに断じているのは交換様式C側であって、贈与側はむしろその失敗によって質的な多様性を示しています。これはエビ中にとっての失敗と逸脱の話につながります。失敗にポジティヴな意味が付与されます。

記事を書き終わった後に東のツイートを見たような気もしますが、まあそれに類似のことを前から脳内で考えていたということで、時間的前後の取り違えは大目に見てください。

おわりに

影響を受けた、みたいなことを言い出すと止まらなくなるので、いったんこの辺で。エビ中の記事のネタはすでに何個かフワフワと頭にあるため、ゆるく書いていこうと思います。ご期待ください。

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