悔しさに意味をくれる人

今、ニュースは大谷翔平さんか、闇バイトの件で、持ちきりですね。
大谷翔平さんのヒーロー具合もすごいですが、事件の低レベル化も非常に怖いと感じます。
実は我が家も実家が世田谷区なんですが、この手のことが去年ありまして。
東京都世田谷区という閑静な住宅街でも、起こるという恐ろしさ。
どこからか情報が漏れるんでしょうね。
高齢者だけで居住とか何かが漏れているのか、実家の屋根が壊れてると。
ピンポンしてきた若い男性が仰っていて。
たまたま我が家は父が建築関係の仕事をしていたため、どこの屋根だと尋ねると、見えない位置を指してあちらの方ですと。
わりとDIYが趣味な父は家の修復も自分で行うため、すぐに怪しいと感じ、その場では適当に流し、その若い男性を尾行。
すると、駅近くで何人かで合流していたらしく、そこを抑えて、携帯で特定できるように男性陣を撮影。
なに撮ってんだよ!と言われたらしいですが、江戸っ子な父は、これを警察に提出するんだよ!と言ったら、走って逃げたとか。
もちろん後から警察にも提出しに行ったそうですが、警察は届を受け取るだけで特別何かをしてくれてる様子はないようです。
世の中、それだけいろんな事件やトラブルが多いということでしょうね。
ただその中に、大きな事件に繋がっているものもあったりするんだろうなと感じます。
生きていく上では防ぎようもないようなこともあると思いますので気をつけようねという声かけをしあったりするしかないようにも感じますが、こう行った事件を耳にすると、なにせ若い子がアルバイトだと思って加担してしまうことにビックリさせられるわけです。
こんなに楽に稼げるわけないんだから疑わないのかな?という素朴な疑問と、こんな簡単に人を殺めてしまったりするのかと恐ろしくなるわけです。
もちろんそれだけ貧富の差が広がっているとも言えますが、外国のニュースを見ているような気持ちになります。
友人に聞いた話ですが、元々求人の出し方は、中古や不用品の買取やリサイクルとしての求人だったりするようです。
その手の場合は、ご自宅へ不用品を買い取りに行くついでに、金目がありそうな家かどうかを物色し、そして襲うのだとか。
発展途上国へまだ使える不用品を買い取らせてほしい、社会にとって良いことをしたいみたいな切り口でのご連絡もあるようですね。
こっわ!
一見めっちゃ良いことしてる感!
ついつい、なら、是非に♪となってしまいそうなやり口。
人の善意につけ込むなんて本当に卑劣。
加えて弱い高齢者を狙うなんて、本当にもう、、、。
お天道様は見てるんだぞ!なんていう話は全く通用しないとは分かっていてもついつい言いたくなってしまう。
悲しくなりますね。
こーゆう犯罪に手を染めてしまう方も人の子であることには変わらず、親がいるのだと思うと、胸が痛くなります。
人生どこでどう曲がっていってしまうのか。
子の親としては、かなり考えさせられますね。
環境次第でいかようにも転がってしまうんであれば、親の責任としては重大だと感じます。
だからと言っても急に特別なことができるわけでもないんですが、気をつけるようになりますよね。
日常よりもより、ちょっとした発言であったり、愛の伝え方や接し方を気を付けるようにしてみたりするくらいですが、それでも意識すると違ってきます。
本当にちょっとしたことですが、意識してすぐにでも始められることは素直に取り入れてみる。
結構大事なんじゃないかな。

で、ここで大好きな木村拓哉さんの話。
私が木村拓哉さんを好きな理由は、生き方なんですよね。
いや、何の話?ですが。
今、YOUTUBEとかも始められていて、私も全力で楽しみに、毎回見させていただいてるんですが、もう毎回感動させられる。
なぜかって、一生懸命なんですよ。
目の前のことに、とにかく真剣に取り組んでいらっしゃるわけです。
そーゆーことなんですよ。
そーゆーことなんだと思います。
ソロアルバムも出されたんですが、その中の一曲の歌詞の中に、「悔しさに意味をくれる人」というのがあるんです。
その歌詞とか本当に痺れるんですよね。
悔しさを味わったことあっても、その意味を与えてくれる人に出会ったことあるかないかっていうのが、心の温もりや感謝を感じるきっかけになるというか。
人生の喜びや楽しみを教えてくれる人に出会えるかどうか。
なんでも「道」なんですよね。
これは本当にもう木村さんの動画を見ていただくことで、私の陳腐な説明は必要なくなるかと思うんですが。
自分の足でしっかりと道を歩んでいるのかどうか。
なので、その道に意味や教えを与えてくれる人、
本来それが最初は親であるはずなんでしょうが、そうでないケースがあった場合に迷子になってしまうのかもしれないですね。
その時に、逸れていってしまうのかもしれません。
物事を卑屈に捉えたり、価値判断が低レベル化してしまったり。
夢中になれる何かがあるっていうのは、夢中だから余計なことを考えずに済んだり、暇を持て余したりしないからいいということの他に、
夢中になるということはそもそも好きなことであるはずですし、
幸福感も味わえてますしね。
なので、自己肯定感も同時にアップしているんでしょうね。
社会人になると、社会の中の役割を担うことに必死になっているうちに、毎日が過ぎていくことが増えます。
なので、大人こそ夢中になれることを探した方がいい理由もよくわかるというか。
それが結果、人としての余白を作っていって、ユーモアや遊びを生み出せる余裕になったりするわけでもあります。

私は決して、立派な親でもないですし、賢いわけでもないですが、
生き方には胸を張れると思っています。
いろんな方々に愛されているなと感じますし、いろんな方々のことも愛してると思いますし、仮に今日この世を去っても悔いのないような人生を送っていると思っています。

どういう生き方が正解とかそういうことでもないんでしょうが、
出来るだけ毎日楽しく夢中に生きたいと思います。
と、同時に迷子になってしまう若者たちがいるんだとすれば、こんな楽しそうな大人もいるんだ、自分もこんな風に歳を重ねたいなと思ってもらえるようになりたいなと思います。

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