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赤らんたんに灯を入れて第六夜 前編

今、貴方には逢いたい人がいますか?

ある時間にある事をすれば、今はもう
逢いたくても逢えない貴方の大切だった
人と話す事が出来る不思議なキャンプ場

" 赤らんたんキャンプ場 " 
今宵の物語は……

「結衣、今夜のお客様は年配の女性の方
だからセッティングの準備、よろしくね」
「それはOKだけど、希衣ばあちゃん、
何歳位の人なの?そんなにお歳の方?」
「う〜ん、でもご自分で運転されてお見えに
なる様だから矍鑠とされた方なんじゃ
ないかしらねぇ、とにかくお願いね!」
「うん、分かった」

「ここね、やっと着いたわ」
木村芳子は普段からの愛車であるベンツを
駐車場に停め、独りごちた。
今年84歳になる芳子だが、元気いっぱい、
健康そのもの、といった感じで周りの人々は
全く衰えの知らない芳子に驚嘆している。

長年の連れ合いであった夫の木村篤樹が
ガンで亡くなってから早いもので25年。
いつも芳子の心の中には篤樹の存在が居た
のだが、篤樹が遺してくれた会社の存続を
一番に考えてきた為、一生懸命だった。
ある日、芳子の会社で働いていた元の店長が
不思議なキャンプ場の話をしてくれ、
興味を抱き今日の日に至った。

木村芳子の会社、つまり先代の社長であり、
夫であった篤樹は二代目社長ではあったが、
戦後70年を越す貸衣裳店を引き継ぎ、堅実に
経営していた。

篤樹の父親が戦後、物資の無い中にも
「これからは復興が始まり、若者の誕生も
増えてくる。そうなれば日本は祝い事をする
余裕も生活の余裕も出て来るだろう。
しかし、まだまだ貧しい日々である事には
違いない。人生の中で数少ない入学式や
卒業式、一度しかない成人式に晴れ着を買う
事は出来ないだろう。その人達の為に…」
と、風呂敷包み一つで始めたのが源流である。
篤樹が社長になってからは文字通り、
二人三脚で走り続け、芳子は陰で支えた。

ある日体調を崩し、病院で検査したところ、
癌が見つかった。しかもあちこちに転移も
みられた。進行性の癌だった。
芳子は本人には告知しないで欲しいと医師に
お願いをし、芳子も気付かれまいとして、
毎日平静を装い続けた。

そして闘病のかいも虚しく木村篤樹社長は
力尽きた。
まだ60歳の若さであった。

「お父さん……」

社長の座を引き継ぎ、どうにかここまでは
来ることが出来た。
正直途中、何度か危機はあった。
格安のレンタルドレスの台頭や取引先の
ホテルの倒産騒ぎなどで売り上げがかなり
落ち込んだりもした。
連鎖倒産だけは避けなければと必死だった。

" お父さんの会社を守らなければ… " 
" 従業員たちを守らなければ… " 
ただその思いだけの25年だった。

今では社長の椅子も息子に譲り、役職は
会長に格上げとなったが以前ほどの責任は
失くなったので気持ちは楽になった。
そんな折、元店長で働いていた子に、
「亡くなった母親と逢えて話が出来た
不思議なキャンプ場があるんです!」
という話を聞いて興味が湧き、予約を
入れてもらった。

「あの、予約を入れております木村と
いいますが……」
「木村芳子様ですね、承っております。
少し離れた場所になりますので、この娘に
ご案内させますので。結衣、よろしくね」
「はい。では木村様、私のあとに続いて
来て貰えますか?」
結衣と芳子は赤らんたんサイトにむかい
歩き出した。

「あのお話って本当なんでしょうか?」


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