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農村好きが「都」「都市」「まち」原語を説明します!

みやこ (都)

【宮処】が始まりとして考えて良いかと思います。即ち、君主の住居する行政の中心地ということです。

『和訓栞』谷川士清、『大言海』大槻文彦その他の語源書がほとんど一致しています。

しかし、単に行政の中心地であるばかりではありません。君主のいる宮廷は、とくに大昔は代表的な儀礼の府であり、洗練されたマナーの源由でした。

ここから「宮ぶ」という動詞が生じて、その連用形が「雅び」という名詞になっています。

ドイツ語においても höflich(ホエーフリヒ)はHof(ホーフ)宮廷/裁判所から派生して、”丁重な”を意味しています。形容詞綴の-sch を用いた古形の転化した形 hübsch(ヒュブシュ)は”綺麗な”の意味を帯びています。

漢字 都(と)は、『説文』によれば邑(阝、むら、人の群集する処)に意をもち、者(と)と同音の字です。者の音の意は”聚(しゅ)と推測されます。『左伝』穀梁伝の僖公16年に「民の聚(あつ)まる所を都(と)と曰ふ」とあります。これは聚の字を以って者(と)の声を示すとみると考えられます。ト・チョ・ショは通音であり、水の溜まる所を「瀦(ちょ)」といい(『書経』の禹貢篇)これを「都(と)」とも書きます(『史記』の夏本紀)。または「渚(ショ)」と書いた例もあります(『爾雅』の釈水)。

「都」の元になっている 邑(イフ)を羅振玉は”人の居る処”と見ました。下部は人のひざまづく形、上部は場所を表しています。もともと、大きい場所を都と、小さいのを邑(イフ)と云っていました。のちに広く人の群聚する処をさすようになりました。「小邑」だけではなく「大邑」という語もできました。さらには クニ とも訓み、君主の王畿(オウキ)、諸侯の封地、大夫の領地の意味にも用いるようになりました。ーーー邑は漢字の字画上の呼称としては オオザトと呼び、略して 阝 と書いて字の右側に置きます。「邦」「邸」「郊」「郡」「都」「郷」など。ーーーこれは字の左側に書く阝(コザト、阜の略体)とは別の字になります。は、都と合わせて「都雅」となり使われるようになりました。ミヤビヤカという意味です。この字は隹(尾の短い鳥、すい)と牙(が)を合わせて、ミヤマガラスの義でもあります。ミヤビ や タダシ(正しい)の意味にも使われます。

都会、都市、いち(市)

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「都」は「都会」「都市」と熟していきました。そこで、「会」や「市」の字を解説しましょう。

「都会」とは、人々が会同し密集する生活の場です。会の旧漢字 會については様々な解釈があります。藤堂明保『漢字語源辞典』では、A(合わせる印)と增(増の旧漢字)の略体とを合わせた意味で、合わせて殖やす義です。 アウ とも訓みます。会の入っている他の字をあげてみます。「絵」は色々な糸を合わせて模様を作ったものです。「膾」は赤や白の肉を細く切って取り合わせた料理で、その材料が野菜となり今のなますになっています。

「都市」の 市 。華石斧『文字系』の説では、策(ϯ、ふだ、簡)と⏡(ふだを盛る器)とを机(ㄇ)の上に置く形で、交易の場所を示すとあります。市の起源は物々交換をする場所で、計数には策(ふだ)を用いていたということです。一方日本でいう市は、賀茂百樹『日本語源』の考えるように、恐らく、”大集(イチ)”の意味であると思います。「イ」の音は「大人(ウシ)」や「大水(ウミ)」のウと同じく、大きいものを見ておのづから出る声と思われます。また、「チ」は集(ツ)と同じく、「津(ツ)のように人の集まる(合集まる)処を表します。

まち (町)

人の群聚する所を マチ といいます。これは人の往来する処というのが原意です。もともとは田と田の”間(マ)の道(チ)”であり、都市の道になり、道路に仕切られる住居区の意味を帯びるようになったものです。道(チ)は「陸路(リクヂ)」「海路(ウミヂ)」「御路(ミチ)」「恋路(コイヂ)」などの路でもあります。近年はリクロ、カイロなどということが多くなりました。

漢字の 町は、田に通ずる丁(テイ)の字の形の小路(『説文』に「田の践(ヨ)む処を町(チョウ)と曰ふ」)、つまり畦道を指して云うのが原意です。

都市を表す外国語の例

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都市を英語で city といいます。遡ればラテン語の civitas になります。シヴィリゼイション(文明)の元となった civis(市民) から出ています。

英語 city に当たるドイツ語は、Stadt(シュタット)。これは”立つ”を意味する stehen(シュテーエン,英語でstand)と同系で、”立ち処、場所”を意味します。ドイツ語では都市のことを古くはブルクと云っていました。ブルク(Burg)はBerg(ベルク)と同根で、小高い”丘”を意味していました。古代の大陸では、部落間や他種族との抗争に備えて、集団住居を丘の上に営むのが常例だったようです。丘の上なら、外敵が迫り難く、見通しが利くからです。漢でも「邑(イフ)」は丘の意もあります。ドイツ語のBurgの系統のゲルマン語がフランス語に入って bourg(ブール)となり、その同系の後期ラテン語が英語に入って borough や burgh となりました。スコットランドのEdinburgh(エディンバラ)は、Edin公爵が君主としている都市burghという意味です。なお、フランス語のBourgeois(ブルジョア)は、都市民→中産階級の人と使われるようになりました。

丘の上に建設された大陸の都市が、のち丘を下りて平地に移ると、防衛のために囲いを設けるようになりました。漢字の「邑(イフ)」の上部はその囲いを表します。英語のタウン townは、小都市や町を表します。元はドイツ語 Zaun(ツアウン)”垣”の対応後です。

都市と都市とを繋ぐ手段、また都市内を区切って交通の便を図った ミチ についてはまた。。。

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