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温泉に入れないわたしが女性の『性』をケアする理由


温泉に『入れない』わたし

物心ついたときから、性に対しての『恥じらい』が強い子どもだったように思う
身体を見せるとか下着を見せるということには人一倍嫌悪感が…??

うーん、嫌悪感とは少し違うかな?
『羞恥心』や『違和感』が近いかもしれない

子供の頃から女性の下着売り場の前を通るのが恥ずかしかったし、それを過剰に意識してる自分も嫌だった
体育の時ブルマ(今時の子には通じないのでは)もすごく嫌で、ブルマを履いている友人を見るのも、なぜか見ているこちらが恥ずかしくなって苦手だった

今も職場の更衣室で服を着替えるのが苦手だ。なるべく下着姿が人に見えないようにと頭を使いながら着替えをしているし、堂々と下着姿になっている人を見るとうわぁ‼︎と驚いてしまう。嫌なわけではないけれど、私にはできないなと思うし、見ることのなきようにとすごく気をつけている

何より苦手なのが、温泉。
暖簾をくぐったり、扉を開けた瞬間から異世界になるあの空間。外ではみんなが服を着ているのに、扉一枚隔てただけで、無防備な姿の他人がたくさんいる。ナンジャコリャʕʘ‿ʘʔ

どうして名前も知らない初対面の人たちの裸を見ているんだろう、と目を塞ぎたくなる。
じゃあ家族や友人なら良いのか、と言われるとそうでもなくて、気心を知れた人の無防備な姿を見るのもなんだか違和感を感じる。なんでだろう?

ONE PIECEのコブラ国王が言っていた、『権威とは、衣の上から着るものだ』という言葉が思い返された。(私は漫画がだいすき。コンタクトが-11.0なのは漫画のせいだと言える)

ありのままのあなたを受容したいという思いはものすごくあるのだけど、ありのままとは例えであって、本当に裸の付き合いがしたいというわけではない。生々しい体のおつきあいではなく、温かみのある心が通うお付き合いがしたい、と思う。

ちなみに、温泉は大好き!大浴場は苦手だけど、部屋についてる温泉は最高〜♨️♨️朝でも昼でも夜でも入っちゃう。タオルを巻けば夫や家族、友達とでも入れる。大浴場も、必ずバスタオルを巻いて入るように!というおふれでもあれば案外難なく入れるかもしれない。

痛みと引き換えに得たもの

違和感や羞恥心を感じながらも、一応温泉には入っていた
それは家族での温泉旅行だったり、友達と行く旅行だったり、友達と行く温泉だったり。

嫌だなぁ、と感じながらも
嫌だなぁ、と感じる自分は変なんだろうなと思っていた
周りの家族や友達は、食事を摂るのと同じくらい自然に、スムーズに服を脱ぎ、温泉に入っていく

だから友達や家族と旅行に行く時は生理になるのを心から願い、祈っていた
『どうか、生理になりますように!温泉に入らなくても済みますように!!』

そんな中、小さな靴擦れができていた時にプールに入ったことをきっかけに『蜂窩織炎』になる
※蜂窩織炎
皮膚の傷口などから細菌に感染し炎症を起こすもの
脚等が2倍くらいに腫れて熱が出て激痛になるやつ

それはもうーーーー!めちゃくちゃ痛くて!
大人になって、声を出して『うわーん!』と泣いたのはこの時が初めてかもしれない

でもそれをきっかけに、どんなに小さな傷でも、例えそれが自分が気付いていない程の小さな虫刺されであったとしても、プールや温泉に入ると蜂窩織炎になる体質になってしまった
めちゃくちゃ痛いけど、その痛みとは引き換えに温泉に入らなくて良いという免罪符を手にした気持ちだった。ヤッター‼︎٩(^‿^)۶それからは、誰かに誘われても『蜂窩織炎になるから』と断ることができた。同じ断るにしても理由があるのは有難かった。

(ちなみにちょこちょこ顔文字を入れてるのは、顔文字が可愛いから。愛おしい表情の子いるよね)

『性』の話をしないわたし

少し話は逸れてしまったけれど、温泉にすら入れないわたしが自分の『性』の話しをするのは、とんでもなく難しいことだった

友だちと盛り上がるようなエッチな話、なんかはできても(なぜかそれは抵抗がない)、自分の身体そのもののこと自体について話すのは何故だか気が引けた。

わたしにとって、女性の性は『秘めごと』であった

そう思うと、自分にとって身体を見せるというのはとても特別な行為なのかもしれない。それは同性であっても緩和されるわけではない。大切な人にだけ、大切な時だけに見せるもの。


可愛くないチョコレートが教えてくれたこと

元々生理痛が弱かったわたしだったが、徐々に生理痛を感じるようになったのは今から10年以上も前のこと。

それは確実に月を追うごとに悪化した。最後の頃は、私の上に馬乗りになった誰かに大きな漬物石を思いっきり下腹部に打ちつけるような痛みになった。されたことはないけど、そんなイメージが湧いた。

痛み止めを飲んでも治らない痛み。陣痛の時に感じたような内臓痛。

あー、これ絶対まずいやつだ。と思い婦人科を受診したところチョコレート嚢胞だった。可愛い名前なのに意地悪なあの子。看護学校で習った時に何故か無性に気になっていた子だった。

『手術した方がいいくらいの大きさだし、癌になる可能性もあるから、早く手術したほうがいいかもね〜』と軽く医者に言われ大打撃。知識としては知ってても自分が言われると辛い。

結局、アーユルヴェーダ と出逢い、私にはそれが合っていて手術せずに完治したのだけど(この話はまた今度)、チョコになったことで私は色んな気づきに出逢えた

自分が婦人科疾患を患って気づいたことは

大きな声で言わないだけで、多くの人が婦人科の悩みや疾患を持っていること
『婦人科疾患』や『痛み』は、同じ物差しで測られることが多いということ

だった


女性の『性』の悩み

自分自身が婦人科疾患を患うことで、自分の中で女性の『性の悩み』に対するアンテナが立った。今まではなんとなく避けていた内容で、『せいり』と3文字発言すること自体避けていた自分からは信じられないアンテナだった。

いわゆる『バーダー•マインホフ現象』といわれるらしく、自分が知った途端それに対してのアンテナがバシバシと立ち、『世の中それに溢れているじゃないか!何故今まで気づかなかったんだ!』となってしまうあれ。

何故今まで拒んできたアンテナがたったのかを考えてみたところ、『疾患』を話すことには抵抗がなかったからのように思う。自分も周りも医療従事者であるせいか、『疾患』は秘めごとではなく『職場でも扱う話しやすいこと』だったからだ。

自らそれを開示するようになると、『実は私もこんな性の疾患、悩みを持っている』と教えてくれる友人や同僚が多かった。

自分の中にもアンテナが立ったことで気付けることも多かった。なんだか不調そうな友人を見て、『あ、これは婦人科系の不調かな』と感じて声をかけることもあった

職場を、病院から普通の会社に変えたことも大きかった。今までは医療従事者の中の1人の看護師から、組織の中で唯一いる医療従事者になった。そうすると、自然とみんなが不調の相談をしてくれた。

みんな、それぞれに『秘めごと』を抱え、闘いながら働いていた

みんなちがって、それでいい

色んな方から話を聴くことで、疑問も湧いた

例えば、『生理痛が辛くて』とか『子宮内膜症があって』という話になると、『ああ、あれね。私も辛いけど、薬飲んで頑張ってるよ?』というような反応を受けることも多かった

なんでだろう?と考えたけど、多くの女性がそれを経験しているからだと思う。

例えば、私には昔重度の脳性麻痺を患う娘がいたが、それを知った人たちはみんな『大変だね』と声をかけてくれた

それは、絶対数が少ない世界だからだと思う。わからないから『大変だけど頑張りなよ!』と分かったようなことは皆んな言えなかったのだろう。わからないからこそ、知ろうと寄り添ってくれる。それは勿論この事だけに限らないと思う。みんな、自分が知らないことには同情的だし寛容だ。

だけど、ほとんど全ての女性が経験している『生理痛』や『ホルモンの乱れ』『婦人科疾患』だとそうはいかなかった

突然、対象が自分もよく知る『ああ、あれね』になると、なかなか完全に寄り添うというのは難しい。みんなそれぞれに、自分の経験値による物差しがあるからだと思う

そうなると、『普段痛いけど鎮痛剤を飲みながら働いている人』からすると、痛くて動けない人は『甘えている人』になるし、『普段生理痛がない人』からすると『なんで大変なんだろう』と労わる対象になる

でも、みんな同じに感じるはずがない。

その人にとって大変なら大変だし、その人にとって痛いなら痛いでいい。人の秘めごとに自分の物差しを使って測るのは、なんだか傲慢なように感じた

医療では、疼痛スケールというものをよく用いる。痛みというのは、人によって感覚が違うため、その人自身のスケールを用いるしかないからだ。

痛みが数値化されれば『あなたの生理痛95なの?わたしは60なんだよ。きっと辛いだろうね』ということになるのかもしれない。でもそれはできない。例えば、誰かにとって10の痛みでも、その痛みを90に感じる人がいればその人にとっては90なのだと思う。

わたしはこれが心地よい。みんながみんな違うスケールを持って生きている。みんな違うけど、それがいい。

秘めごとをひっそりと話す第3の場所

とてつもなく長ーーーーーい話になってしまったけれど、温泉に入れない私が『性』をケアしたいと思ったのはこのような経緯があった

みんなが抱えている『秘めごと』を、その人のスケールだけを用いてひっそりと話す場所を作りたい

評価されるために話すわけではなく、誰かに同情してもらいたいから話すわけでもなく、ただ自分の秘めごとをゆっくりと話せる場所を作りたいと思った

今でこそ、フェムテックという言葉があって、『性』についてオープンに話せる社会になってきたと感じる。でも、私はオープンに話したいわけではない。温泉に入れない私がいるように、閉ざされた秘密の場所で、こっそりと話したい人もいるのではないかと感じた。

温泉に入れない私が作るからこそ、その居場所を心地よく感じてくれる人が立ち寄ってくれるといいなと思っている

月明かりの中で、ぼーっと1人温泉に浸かりながら、ゆっくりと呼吸を感じられるような場所。自分ひとりでは抱えきれない『ひとり言』を、小さな『ふたり言』にできる場所

月宿が、誰かにとってのそんな場所になればいいなぁと願っています🌕



ながーーーーーい第二回目を読んでくれた方、ありがとうございました

noteを始める上での懸念点ふたつめ。話長くなりそうというのが早くも現実になってしまった。ふふ

女性の性について悩む方や、温泉が苦手な同士に届くといいなと思ってます🌕

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↑このスタエフの前半の内容をほぼ占めている、『まーさん』のstand.fmがこちら

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読んでくださった方、聞いてくださった方

心から感謝いたします💐







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