坊主女子になるまでの人生〜上京・大学時代〜
18歳の3月に大学進学のため上京した。
引越しの際は母と弟が一緒に上京して手伝ってくれたけど、数日して二人が帰ってから大学が始まるまで2週間ほどあって、初めての見知らぬ地での一人暮らしなこともあって知り合いもいなくてとにかく暇だった。
とにかく暇なので、唯一テレビやネットで見聞きして名前を知っていた路線である山手線の知っている駅に手当たり次第行ってみることにした。
渋谷新宿原宿はもちろん、なぜか若者には似つかわしくないけど「おばあちゃんの原宿」として有名だから知っていた巣鴨にも降りてみた。
東京にきて新鮮だったことは【知らない人が頻繁に話しかけてくること】だった。
美容室やネイルサロン・英語教材の勧誘、もらった名刺を見て検索しても詳細が出てこない怪しい芸能事務所のスカウトなど色んな人が声をかけてきた。
それ以外も電車で隣に座っていたおじいさんにいきなり「これ私が結った糸なのでもしよろしければあげてもいいですよ」と、木製の糸巻きに巻きつけた細い糸をハサミで短く切ってプレゼントされたこともある。
上京一年目だけはそういうことが頻繁にあって面白かった。
きっと田舎者の香りを漂わせていたので、見るからに話しかけやすかったのだと思う。
上京して初めて住んだアパートは大田区にある浅草線のマイナーな駅にあった。
大学まで一本で通えて家賃が安かったので、母が選んでくれた。
チェーンの飲食店も商店街も何もなくスーパーすらまともにないような駅で、都会でのスタートダッシュを切るにはいささか地味すぎる街だったけど、元々野心満々で上京したわけでもないので都会の雰囲気に圧倒されなくて今思うとちょうどよかったのかもしれない。
大学に入って一年くらいは方言を直すのに必死でおとなしく過ごしていたのだけど、二年生になったあたりから標準語にも慣れてきて、アクティブに行動するようになっていた。
私の大学時代は主に酒・ライブ・旅行の3つに集約される。
模範的な堕落した大学生だ。
お酒に関しては大学内の飲み会には全く参加せず、趣味のライブで知り合った人たちとバーなどでよく飲んでいて、なぜか中央線沿線に住んでいる人が多かったので家から離れた高円寺や中野に入り浸っていた。
旅行も一緒に行ったりもしたけど、趣味に傾倒していたりバンドをやっていたりで自分も含めてとにかくお金のない人ばかりで、激安のホテルと高速バスを見つけ出して往復のバス代とホテル代あわせて一人あたり5000円で大阪観光をしたこともある。
一人旅にもよく行っていて、早朝にバスで到着して歩き回って観光して夜になるとライブを観て、そのまま夜行バスで帰り翌日はバイトという体力と時間が有り余っている若い頃しかできないような貧乏旅行をしていた。
元々受験勉強すらせずに入った大学は入学した時点で燃え尽きたというかまったく興味がわかず、唯一面白いと感じていた精神医学の講義だけ一限にも関わらず真面目に出席していた。
講義には行かないくせに、何となく興味がわいたというだけで役立てる予定もない簿記や色彩検定の資格を取ったりして、一貫性のカケラもなく好奇心のままに行動していた。
基本的には借りた奨学金とコンビニバイトで生活を賄っていたのだけど、いくら節約しても趣味にお金をかけているとあまり余裕はない。
たまに趣味が高じて知識のあったアイドルの握手券やチケットの転売をして、臨時収入を得たりはしていたけど基本的にカツカツの暮らしだった。
そんな中で女友達に「出会い喫茶に行ってみよう」と誘われた。
話を聞いてみると、出会い喫茶というのは男性がお金を払って喫茶内で女性と交渉をして外出するというシステムらしい。
基本的にはみんな援助交際が目的ということで最初は渋っていたのだけど「お茶やご飯だけでも交通費がもらえる」と言われて、興味本位で行ってみることにした。
実際に行ってみると確かにお茶やご飯だけでも数千円の交通費をもらえたのだけど、ほとんどの人は最初から肉体関係を前提とした交渉だし、気に入ってもらえてお茶やご飯で外出をしたとしても何度か会ううちに肉体関係を期待されるものだとわかったので行くのをやめた。
「君は向いていない。うまい子は肉体関係を匂わせておいて茶飯で引っ張る」となぜか怒られたこともある(笑)
何にせよこのときが男っ気のない人生を送ってきた私が【男性がお金で女性を買う】という文化に初めて触れた瞬間だった。
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