0930 哀れみみたいななんかより
なんか異様に眠れなくて秋。これはまた自律神経だの貞操観念だのがバグって調子が狂ってるんやろうなと思う。このへんは慣れた。
職場に目が見えない人がマッサージを超低料金でしてくれるマッサージルームがあって、今日はそれを受けた。最近体動かしたくて仕方なくて、必死にストレッチとかしてるし全然平気やろと思ったけど、終わってみたら体軽くて全然だめやったことを知った。やっぱり右肩と左肩の大きさも筋肉のつき方も、肉のつき方も全部違うらしくて、触ればわりとすぐに分かるもんらしい。
その人は18で目の病気になってゆっくり10年近くかけながら、ぼんやりと光だけ見える今の状態になっていったって教えてくれた。家帰った時に電気をつけるのかどうか、みたいなしょうもない質問してごめん、と思いつつ、その人から見える俺には見えない風景(ややこしい)をどうにか知りたいと思って色々質問してしまった。じりじり時間をかけて目が見えなくなっていくって、覚悟してもその間はもたんし、なにより文字通り世界が色を失っていくことでもあるから、さぞしんどいやろと思ったけど、その人はだからこそマッサージを勉強する時間ができて、見えなくなってからの仕事への準備ができて、さらにパラスポーツにも挑む、っていう余裕も身についたらしい。こっちが一方的にそそぐ、ある意味暴力的な哀れみというか、しんどかったでしょう、みたいな気持ちや言葉よりもぐっとポジティブな人もおるんやっていうか、こっちが悲観しすぎて失礼なことって往々にしてあるなと思う。
前に読んでいた本の中では、目が見えない人はたいてい部屋の中がびっくりするくらい整理されてることが多いと書いてあった。リモコンの位置も洋服の位置もキッチンの道具も、すべて定位置があって、使ったら戻す、を徹底しないと部屋の中になにがあるか、一望できないから分からなくなるらしい。家の中でライターなくしてポケットから3個でてきたり、風呂入ったあと全裸で眼鏡を探し回ったりする俺からすると信じられん話。
インスタとかで車椅子の犬とか片足なくした猫とか見ると、その障害をものともしない、一切そこに自分で視線をそそがない生命力の強さについ感動してしまう。なくしてしまった足よりも、その体でいかにして歩き、走るか。そうして現実を当然のように受け入れて前にだけ歩いていく姿はどうしたって美しい。それでも車椅子に喜んだりする動画があるってことは、足がないことにしょんぼりしてしまう夜とかもあるんじゃないかと想像してしまう。
これもまた勝手な哀れみでしかないわけやけどなるべく素のまま、暴力的にならずに、なにかしら近い存在でおりたい。
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