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イタリアの花壇から見える、震災復興の形

「神戸は阪神淡路大震災から復興した」とか、「釜石は東日本大震災から復興していない」とかという報道がある。そもそも「復興した/していない」という基準は、誰によって決められたものなのだろうか。そう突き止めていくと、復興という概念がすごく曖昧なものだということがわかる。

復興には、2種類ある

私が思うに、「復興した/していない」と言われるときに、基準となるものは2種類ある。それは「物理的復興」と、「心理的復興」だ。
前者は「街がキレイになり、活気を取り戻す」こと、後者は「被災者の心の傷が癒える」ことと定義される。

日本の場合、イタリアと比べて前者は圧倒的に早い。それを説明するには、イタリアのいくつかの例を出せば事足りるだろう。
111年前に起きたメッシーナ地震で、いまだにスラム街がある(https://www.tgcom24.mediaset.it/cronaca/messina-verranno-abbattute-le-baracche-costruite-dopo-il-terremoto-del-1908_3199332-201902a.shtml)。
また、1980年のイルピニア地震で、復興が2023年までかかると予測されている(https://it.businessinsider.com/il-commissario-per-il-sisma-di-37-anni-fa-che-deve-costruire-una-strada-e-forse-ci-riuscira-tra-altri-6/)。

花に彩られる中世の街

花壇の写真は見つからなかったのだが、これはラクイラの中心街の写真だ。
ラクイラは中世からの大聖堂(コッレマッジョ大聖堂やサン・ベルナルディーノ大聖堂など)が残る歴史ある都市であるが、日本においてラクイラの名が上がるのはその美しい街を襲った2009年の地震であるという悲しい事実がある。

私が来年秋にラクイラに行くとあって、私の友人の8割くらいはラクイラの方だ。彼らはもう仮設住宅には住んでいない(※仮設住宅がなくなったわけではない https://www.ilcapoluogo.it/2016/04/07/case-e-map-quando-il-provvisorio-e-per-sempre/)が、街並みのいたるところに花がある。

イタリアの花壇から学ぶこと

「心理的復興」を語る上で欠かせないのが、地震の多いイタリアと、花壇の話だ。

以下、朝日新聞の記事から引用する。

2年前に大地震に襲われた中部のアマトリーチェ。中世の街並みを誇った中心部はいまもがれきの山だが、周辺には黄色い壁の木造仮設住宅が並んでいた。
どの家もポーチや窓を花で飾り、庭を家庭菜園にしているところもある。

引用元: https://globe.asahi.com/article/11730116

仮設住宅(https://note.com/bosaipertutti/n/n063f4d3358b0 に記したように、問題点は多い)に花を飾るような習慣は、日本にはないだろう。

生きる希望、といっては大げさかもしれないが、そのような生き方をしているイタリア人に、「心理的復興」については学ぶ部分があるのではなかろうか。

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