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背取瀬左衛門 古本屋は消えゆく

東都下町辺り  とある漫画屋

 暫く前には随分と叩かれることの多かった、例の黄色い看板の一統は、時代錯誤の粗製濫造を未だに改めない新刊市場の歪みから、産まれるべくして誕生した鬼っ子なのだらうけれど、近所に無かったことも手伝ひ、店内に踏み入ったのも、一昨年くらひと遅かった。いづれにしても、旧態依然とした筆者なぞは、歓迎されざる客の範疇に属すると見て間違ひない。 鳴り響く騒音が何より耐へ難く、三分留まるのが我慢の限界。第一、まったうな店なら均一台からもはづすやうな代物が棚の大半だから、 話にならない。新刊屋や一般の古本屋が敵視する理由も判らなくはないが、本屋には程遠い、かやうな頓珍漢は早晩、 駆逐されるのではないか。さう思ふ程、筆者の印象は芳しくない。初めの内は物珍しさから立寄ってはみたものの、何しろ買ふはおろか、手に取るべき本も皆無といふことが続くのだから当然、足も遠のく。それでも電脳網で時折、蒐書家や古本屋の日記を覗いてみれば、 人気はまづまづ。仕入れに活用してゐる節も窺へるから、世の中、拾ふ神は何処にゐるか判らない。
 筆者が感じる詰らなさも、覗くのが横浜と東京に限られることにあるのかもしれない。この類は、都心を離れた店の方が面白いといふ話はよく耳にする。例の友人、羅典屋も帰省中は、連日せっせと地元の系列店に通ったさうだが、国書刊行会「ドイツ・ロマン派全集」や博品社の一連が全巻揃って見切棚に並んだりと、箱詰めで買ふことが何度もあったと聞かせてくれた。成程、専門分野に限らなければ、 本屋の買入れには打って付けなのかもしれない。
 他所の古本屋、主に店頭から入手した本に、上乗せした値段を付けて商ふことを、俗に「せどり」と称する。この古本屋の「便法」については、中川道弘「必冊せどり人」(「日本古書通信」平成十年一月~五月号)に若(し)く文章はまづあるまい。自身の 体験談を踏まへ、軽妙に解説してゐる。その三回目(同前三月号所載)によると、「〈背取り〉〈競取り〉〈糴取り〉等と書き」、「売る側と買う側の間を周旋して口銭を得る、いわゆる〈才取り〉の訛りだとも言う。」因みに「糴」を調べてみれば、 穀物を買ひ入れる意味で、「糴米(てきべい)」等の熟語で用ゐる漢字らしい。
 当の上野文庫主人も他店を行脚するには、「掘り出しへの信念があり、何より、回るのが好きでなくては叶はない」と書いてゐる。 この条件は、素人の店巡りとて同じだらう。頃日、筆者は古本屋歩きから離れて久しいが、散策そのものが億劫なのではなく、徒労に終はるのが関の山と諦めてゐるからに他ならない。足を伸ばすのも虚しい店を何軒も覗くよりは、同じ時間、茶房で憩ふ方をためらふことなく選ぶ。「掘り出しの信念」などには元から無縁ながら、例へば芝居の筋書(プログラム)、地味な翻訳小説、子供向き海外文学、正仮名の文庫本などなど、儚く期待してはゐるこれらすら、全くと言って良い程、お目に掛れない。ましてや、店の中には琴線に触れる、ほんの一冊も見当らないこと、繰り返すまでもなからう。だういふ意図か、 先の黄看板の右に倣ったかのやうな品揃へが、新規店舗のみならず、中堅と目される店にも多く見られ、これが興味を減殺する大きな理由になってもゐる。何も、世評の定まった古書を望む訳ではないが、古本らしい本も置かずに古本屋を名のるのは、看板倒れ以外の何ものでも無からう。
 かかる旱魃の中からも探し出し果(おほ)せるのだから、やはり本職には敵(かな)はない。上野文庫主人はのべ千五百軒を回ったといふし、 齋藤磯雄書誌を編んだことで知られる通信販売専門店は、目録掲載品の悉くを足で集めるのだと聞いてゐる。古書展覧会や他店への目録注文でも本の入手は可能ながら、状態にこだはるだけに、現物を目の当りにしないと気が済まないらしい。目録は月刊だから、毎日のやうに本屋を巡る必要に迫られる。生業だからこそ、そこまで続けられるのだらうし、日夜探し求める甲斐あって、本も集まると思しい。伊達や酔狂で、決して真似できるものではない。
 それこそ展覧会なぞで擦違ったこともあるにはあったのだらうが、背取りと身近に接した経験は余り無い。大分前、漫画に力を注いでゐた某店を訪れた客の一人が、古い付録ばかり、矯めつ眇めつ吟味してゐる。近くにある支店でも、入念に本を選んでゐ るのを見てゐたから、背取りらしいと、顔見知りの店主にそれとなく知らせてみれば、面白がってお茶に誘はうと提案、店を出る所を見計らひ、声を掛ける仕儀となった。後から追い駆け、唐突に主人が呼んでゐると伝へたものだから、鳩が豆鉄砲を食った やうな表情を見せた彼は、にはかに慌て出した。恐らく、万引に間違へられたと考へたらしい。鞄を逆さに振って頻りに抗弁してみせる彼は、気の毒ながらも正直、をかしかった。角刈りに眼鏡、丸々と肥えた体型が、さながら紙切り藝の先代林家正樂に似て、舌足らずな口調は、或は下町育ちなのだらう。誤解を解いて、茶房で主人共々、話を聞いてみれば、目録発行を目指し漫画 を集めてゐる最中ながら、とても活計(たつき)は立たず、仕事は別にあるとか。加へて、筆者と同じ古本交換会にも属してゐると言ふ。
 著名な噺家の子息が主宰してゐたその交換会は、年四回の会報に処分品を投稿できる仕組みで、これも羅典屋から会報を 見せて貰ったのが切掛けだった。藁半紙に細かくタイプ印刷された会報は、株式か何かの地下情報紙のやうにも見え、 立派とは言ひかねる簡素な体裁だったが、目を通してみれば、並の目録が太刀打ちできぬ程に、買ひたい本が随分と見付かり、その場で入会を決めた覚えがある。但し、主宰者の意向に沿って、それなりの古書を廉価で出品する会員が未だゐた頃の話。『稲垣足穂大全』(現代思潮社 全六巻)は当時の市価の半値、日夏耿之介の随筆集が数百円、映画「ガス人間〔第〕一号」の台本でも 小額紙幣二枚位で入手してゐる。と、書き並べてみれば、僅か十数年前の話とは思へぬ、隔世の感さへ禁じ得ない。しかし、かやうな黄金時代も長くは続かず、数年の後には食指をそそられる出品は減り、会員数が増えたせゐか、目当ての本が送られて来ることも滅多に無くなった。 その上、戦前の映画宣材を騙り、複写機が吐き出した紙片を送り付けられる事件にも遭ひ、嫌気が差して退会してしまった。
 その漫画屋と出会ったのも、交換会に飽きを感じ始めてゐた頃だった。会の主宰者は辛辣な古書業界批判でも話題に上ることが多く、同じ時期、趣味が高じて古本屋に転じた会員に対しても、容赦無く筆誅を加へてゐた。正論も大上段から直言すれ ば思はぬ反撥を招くやうで、今に至るも、この御仁を快く思はない古本屋は多いと聞く。生田耕作の言ふ「敵を作る紳士的方法」 を実践するかのやうな毒舌は珍重されるべきとも思ふが、この評価は一部の拗ね者贔屓に限られよう。漫画屋も会の一員だったのだから、その心中、穏やかでは済まなかった筈である。
 この本屋との会話は、どこの本屋は掘り出し物が多いとか、差し障りの無い月旦に終始して、お茶を濁したのだらう。覚えてゐるのは、会報に初めて出品した折、最初に在庫照会の葉書を受け取った内の一人が当方だったと告げられたことだけである。 その後、目録は一回だけ送って貰ったものの、紛失してしまひ、屋号も思ひ出せぬ儘、今日まで過ぎた。
 ところで、筆者自身も不要になった本を出品すべく、先述の会報にほぼ毎号、投稿はしてゐたが、特に背取りを意識して試みたことは無い。重複を承知で同じ本を買ふ場合も、状態の良いものとの交換が目的だから、その範疇からは逸れるだらう。これも、「背取りはせざえもん」と 嘯(うそぶ)いた所で、実は端から、その資格が無いことを思ひ知らされたに過ぎない。才を取るにも才覚が要ること、言ふまでもなからう。 (平成壬午皐月)

予告なく割愛する場合がありますので、御諒承を。

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