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介護者から見た「俺の家の話」。クドカンよ、やっぱあんたすげーよ


TBS金曜ドラマ「俺の家の話」が面白すぎてしんどい。

長瀬智也演じる寿一のセリフに、ナレーションに、家族たちのせめぎあいに、毎回共感して笑って泣いている。

2021年にして、ようやく“介護”を扱った真っ当なエンターテインメントに出会えたことがうれしい。クドカン流にいうなら、うれしさ過失致死である。わたしは長いこと、このときを待っていたのだ。


認知症の父親を介護をするようになってから、あらゆる映画やドラマ、舞台で介護や認知症を扱った作品には積極的に触れてきた。


取り上げ方はさまざまあるが、メインテーマに介護を掲げながら、上っ面の認知症エピソードを並べただけのものや、家族が協力すれば乗り越えられる、家族の絆が深まってありがとう!みたいな美談に帰結する作品は正直とても多い。

さらには「どんな状況になっても家族が我慢して介護するべき」という呪いをかけようとするものまであり、心底震えた。
(そういう作品にかぎって俳優陣は完璧に演じていたりするから悲しくなったりもする)


映画やドラマが社会を映す鏡だとしたら、介護問題を取り上げない理由はない。


認知症の介護者は “期待しない” ことのプロだけれど、それでも創作物の世界に期待した。介護する側の感情や実情を、いつかだれかが代弁してくれるのではないかと。そしてそんな作品には心の底から共感し、賞賛したかった。
正直、もう介護をエンタメにするのは不可能なのではないかと思っていた矢先、満を持しての「俺の家の話」である。





ーーーーーネタバレするよ ーーーーー




相関図はこちらから

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踊「きれいごとじゃないんだよ。わかる?残酷にならなきゃやってられない日々だよ。週2回のデイケアだってラクしやがってと思ってるかもしれないけど、
朝、足元おぼつかない親父をバンに乗せて俺らがどういう気持ちでいるかわかってるか?」


舞「重たいのよ。ほんと、親だと思うと倍重たいのよ」


躍「もう人間国宝じゃない。ただの重たいじじいなんだ」

第1話。開始15分。
踊介と舞が、寿一に寿三郎の介護状況を説明するこのセリフで、「あ、クドカンは介護を知っている!」とわたしの心は躍った。

ちなみにまったく介護を知らないひとは、“デイケア” “バンに乗せる”の意味がわからないだろう。“ラクしやがって” も介護者が親戚や近所のどーでもいいひとから言われがちなことばである。

子どもが親を介護することの事実は、すべて “重たい” ということばであらわされた。親の介護は肉体的にも精神的にも重たい。これ、かなり真理をついている。


同じく、子どもが親の介護をすることの苦悩を100%言語化したセリフがあった。

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第6話。家族旅行へ出かけた観山家。スパリゾートハワイアンズの脱衣所で寿一が寿三郎のことばに「やってられねーよ、クソじじい!!」とブチ切れ、その後、さくらに後悔の念を吐きだす。

「頭ではわかってるのにどうしても期待しちゃう。これだけやってんのにありがとうの一言もねぇのかよ」

このシークエンスの寿一は、そのまま過去の自分に重なり、一言一句ほんっとに同じことを思っていたので目頭が熱くなった。
「ありがとう」っていってもらいたい気持ち、すごくわかるのだ。

いってもらえたら、まだがんばれる、もうすこしがんばれるかもって、自分も思っていた。


観山家のケアマネ末広さんがすばらしい

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あまり重要人物として描かれていないように見えるが、介護支援専門員の末広さんは、介護をテーマにしている以上、このドラマにはかかせない存在だ。

なぜなら、視聴者が観山家のみんなと一緒に介護を学ぶための解説者の役割を果たしており、さらに寿三郎の認知症の進行度合いを告げる役目を担っているからだ。

認知症の症状は、当然ながら個人で進行度合いが異なる。
第7話ではついに寿三郎の「物盗られ妄想」がはじまったことを末広さんがわかりやすく説明していた。

物盗られ妄想かもしれません。
認知症の症状のひとつです。物忘れや自分の過失を認めたくないから「盗まれた」というストーリーを作って被害者という安全なスタンスをとろうとする。
認知症患者の行動には親族しかわからない伏線があるんです。
見逃してない?伏線!回収して!伏線!

そして、このあとに続いたことばに魂を持っていかれた。

泣きながらやっても、笑いながらやっても、介護は介護ですからね。

いらない熱をこもらせず、人が良さそうでいて冷ややかにことばを発する荒川良々のケアマネ役は、このドラマの中で一番ハマっているのではないかとさえ思う。
さらっと毒を吐くよりも、このことばを成立させるのはむずかしい。



まとめ

このドラマの介護の描き方については賛否両論あるという記事を見た。
立場が違えば賛だって否になる。 当然だろう。
わたしも今でさえ笑って見ていられるが、本気で「父といっしょに死んでしまったほうがラクだなぁ」と思っていたころなら、180°異なる受け取り方をしていた自信がある。
怒り狂っていたかもしれないし、noteに暴言を書き殴っていたかもしれない。

だから、わたしは今、じぶんが笑って楽しんでいられるという事実をかみしめている。
クドカンがこのドラマにこめたやさしさだとか、愛だとか、めんどくせーからめんどくせーといいながら介護をすることの意味をかみしめている。


明日はついに第8話。

寿三郎の認知症の進行具合が気になってしょうがない。
そして結末を考えるだけでぷるぷるしてしまう。

スタッフ、キャストのみなさま。コロナ禍のなかで、すばらしいドラマを届けてくれてありがとう。感謝の気持ちとともに、先日つぶやいたのが本音です。


※画像はすべて公式サイトからお借りしました。(c)TBS


もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。