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FATLAVAという呪術
「もうこれ特級呪物じゃん」
奇妙な形
荒削りな装飾
はじめて見る凸凹のテクスチャー
独特な釉薬
奇抜な色彩の組み合わせ
曲線と直線の美しさ
モダンでまるでバウハウスの建築物のように洗練された佇まい
初めてFATLAVAを目にしたときはその情報量の多さに度肝を抜かれた。
わたしは美術館や素晴らしい作品展に行くと、その作品の持つエネルギーや作り手の強いアイデンティティを直に感じ取ってしまい、だいたい体調が悪くなってしまう。
現時点で日本国内での最たるものは'太陽の塔'である。
アレには本当にびっくりした。
足を踏み入れた瞬間に、心臓を鷲掴みされたように息苦しくなってしまったのである。
あまりのエネルギーに動悸と冷汗が止まらなかったのを覚えている。
そんなこんなで、直後はだいたい元気がなくなっていることが多いのだが、しばらくすると「あ〜なんかすごいものを見たなぁ!」と心が満たされるのだ。
その感覚と似たものを感じたFATLAVA。
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ここ1、2年で日本でもかなり知名度があがり、取り扱っているお店も増えたため、知っている人も多いと思う。
「お〜!コレ、すきだ!」
と直感的に思ったのと同時に、簡単に足を踏み入れてはいけない類のもののような気もした。(ジャズのような)
ちょうどその時はコロナ禍で自宅で過ごす時間が多く、花を飾ってささやかに楽しむためにいろいろな花器を集めているときだった。
わたしはなんでも形から入りたい&バックグラウンドを知らないと気が済まないので、お気に入りを探し回り、刊行されているFATLAVAについての本などを読んでみた。
こうして探してみると意外なところでひっそりと置いてあるのを見つけたり、昔の雑誌にこっそりと紹介されていたりして、わたしがいままで知らなかっただけだったんだな〜世界は広いな〜なんてありがちなことを思った。
FATLAVAのどのようなところに、わたしが惹かれるのかというと
そりゃもう職人の隠しきれない自我が全面に出てしまっているところだ。(ある種の呪術の匂いすらする)
1950年代以降のドイツ陶器産業では、大量生産の技術も発達し、効率良くたくさんの陶器の生産が可能になった。
そういった工業的なプロセスで大量生産される一方で
「次こんなことしちゃおうぜ〜」
「前回のアレ評判よかったから、今回もっと冒険してみよう〜」
「昨日見たあの絵をイメージして、新しくこんなことしたろ」
なんて言いながら、職人たちは溢れ出るアイデアを形に、実験的な試みを自由に行なっていたのだ。きっと夜な夜なこそこそと。(こそこそかは知らないが)
いまとなっては、使用できなくなってしまった物質も多くあるため、今後二度と同じような色や質感のものはできないだろうと言われているそうだ。
当時の記録も極端に少なく、個々の作品を作った職人の特定やメーカーさえもわからないものも少なくない。(メーカーも閉鎖されていることがほとんど)
メーカーによって守られてきた定番のデザインや伝統に敬意を持ち続けながら、職人それぞれが新しいものを産み出すために、模索しながら作っていたことが、実際に手にするとよくわかる。
そしてこんなにも激しく作り手の自我が作品に出てしまっているのに、誰が作ったのかは全くわからないのである。
「なに?なんなの?あなた誰なの?」
とFATLAVAを前に思ってしまう。
どんな職人がこれを作ったんだろう...と嬉々として想像せずにはいられないし
どんな人が どこで これを手に入れて どんな気持ちでこれを愛でていたのか などをひとりで想像することがすきなのだと思う。
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「あの花器に、合いそうだから今週はこの花にしよう」と花を選ぶことも多く、バチっとハマったときは非常にうれしい。
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これを作った名もわからぬ職人は、いまこの花が飾られてることを想像していただろうか...などとわたしは今日もドイツに思いを馳せる。
なにかと縁がある(勝手に思っている)ドイツには、来年あたり訪れたいな〜なんて思っている。
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ちなみに最近はミッドセンチュリー期のドイツ以外のオランダやオーストリア、日本の花器に興味津々である。
彼らは非常に渋い。
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同時期にFATLAVAという摩訶不思議な作品が多く輩出されていた一方で
激渋な色味にエキセントリックな形が多く、これまた渋くてかっこいいのだ。
殊に日本のミッドセンチュリー期の花器にいま夢中で、暇さえあれば検索してしまう。
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わたしが最も敬愛する映画監督:小津安二郎の作品を彷彿とさせる
端正で美しい形
時に宇宙を感じさせる
枯山水のような佇まい
曲線と直線の美しさ
日本の花器は感情を排除した中庸なところが、とにかく洗練されていて美しい。
自我が全面に漏れ出てしまっているFATLAVAとはまた違う美しさだ。
これまた簡単に足を踏み入れてはいけない魔界のような気がしているのだが、あまりの美しさに触れずにはいられないのだ。
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