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【閲覧録202208-09】(20220816-20220915)

20220816
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)。「凡例、解説 [『木喰上人作 木彫佛』]」。7月30日に観覧した日本民藝館「復帰50年記念 沖縄の美」展も盛況だった。「民藝」がなぜ日本に定着し得たのか、という研究テーマもありなのではと思う。一個人の個性の歴史的反映。

20220817
大西克智『『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史』(講談社学術文庫 2022)。自分の中では、兼好法師・モンテーニュ・寺田寅彦・中谷宇吉郎・伊丹十三あたりが、ほぼほぼ同一人物。彼ら(と)の共通点を(自分の中にも)見出すために、読んでいる感あり。p234「意図の指示を待たずに発動し、かつ、とまることを知らない意志のはたらきです。パソコンの用語を借りるなら、そういうしかたで駆動するようモンテーニュの精神にデフォルト設定されていた意志作用です。」。p251「時代の流れのなかで求められはじめていた生きることの意味というものを、ひとつの問題として明確に提示した「最初の人間」が、ほかならぬモンテーニュでした。」。いやそれは兼好法師ではないのか、というのが自分の問題意識。巻末の人名・著作名索引には「兼好」は登場しないので、両者の比較検討はなされていない模様。関根秀雄『モンテーニュ逍遥』(白水社 1980)も再読要だ。わかっちゃいるけど、沼。

20220818
『突っかけ侍 下 子母澤寛全集 三』(講談社 1973)了。難儀していた読み物が、彰義隊結成のあたりからすらすらと。幕末期の基本的な歴史知識不足で、登場人物の名前をWEBで検索しては、「ほんまにおったんかい!」と驚くこと複数回。さらに、尾崎秀樹の解説で「そういうことやったんかい!」と驚く。

20220819
『中谷宇吉郎集 第六巻 アメリカ通信』(岩波書店 2001)了。巻頭写真が「北大にて,志賀直哉氏と(1951年6月)」なので、志賀について何か書いてあるのかと思ったが特別な言及はなかった。「牧野伸顕伯の思い出」中に、吉田健一と志賀直哉の名前が登場する。牧野『回顧録』にまつわるエピソード。「露伴先生と神仙道」、p151「死というのは、自意識の喪失である。この自意識の本体自身は、永久に分らないものであろう。それは原形質の生命とはちがったものである。」。「古代東洋への郷愁」、p177「しかしそれならば、原子爆弾もまた幻夢である。科学のいう真は、個人を滅却した場合にのみ、実と虚との差が出てくるのである。」。「私の履歴書」、p222「大きくなってから、本で読んで知識は得られるかもしれないが、本当の田舎の生活はそういう人には分からない。日本の本当の姿を知るためには、田舎で育つ必要がある。」。「温泉2」、p252「地熱のほんの一部でも、もし巧く利用することができれば、これまた日本の重大なエネルギー資源となる。」、1952年発表の文章なので、持続可能でクリーンなエネルギー資源の実用化が、半世紀以上滞っているということになろうか。「亡び行く国土」、p281「科学は本来、不可能を可能ならしめる学問ではない。不可能を可能ならしめるものならば、それは魔術である。魔術は科学と正反対のものである。その意味において、もしこの流儀の言葉を使うならば、科学の力をもって可能を可能ならしめよといわなければならないのである。(中略)それは良識の力をもってはじめて出来ることなのである。」(1952)。科学=良識の精髄がその本質、とな。

20220820
『旧約聖書 Ⅳ ヨシュア記 士師記』鈴木佳秀訳(岩波書店 1998)。「ヨシュア記」了。やはり宗教書というよりか、民族生き残りのための歴史書・マニュアルと受け止めて読んでいる。テキスト化できたから生き残ったのか、生き残った結果としてテキストが残ったのか。自分にとっては「聖書観」確立読書。

20220821
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』解説田端宏(北海道出版企画センター 1995)。「松前出稼商人と戸籍 本邦移民史上の一資料」、p185「出稼と移住との相違は、是を期間に求め、異地に生活する期間の比較的短いものを出稼と言い、それが永いものを移住というのが常識であるが、それよりも寧ろ永住の意志の有無がより根本的な差異である。而して其意志が具体的に表現されるものが、戸籍の移転である。」「送籍が伴った時、始めて移住と言い得ると思う。」。自分ち、利尻島の田原家も、それやってる。1905年に戸籍を福井県から移転するも、それ以前に何人も移転先で子供産んで生活していてね。

20220822
『宮本常一著作集 5 日本の離島 第2集』(未來社 1970)。『忘れられた日本人』を書いた民俗学者、「土佐源氏」を書いた文学者、としての宮本ではなく、農漁村指導者・社会運動家としての側面が強く出ている一冊。戦後の離島の生活を大きく変えたものは、離島振興法(宮本も深く関わった)とTVと思う。

20220823
筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』(ちくま新書 2018)始。初学者(とももう言ってられないわけだが)には有難い筒井先生のコンピレーション。筒井清忠「昭和陸軍の派閥抗争 まえがきに代えて」・武田知己「東条英機 昭和の悲劇の体現者」。実践(と書かれている)経験なし、実務能力の高い軍事官僚が、エリートコースに乗ってそのまま戦時下の一国のリーダーになって、という話なのか。p043「軍の政治化は、つまり、危機に直面した政治家が気概を喪失したことでも促進されたのである。」。この時代のことを考えたり書いたりすると、どうしても精神論的な話になりがちで、面倒くさいですね。

20220824
『吉田健一著作集 第五巻 酒宴 作法不作法』(集英社 1978)始。ぼーっとしてて、図書館から借りた時点で栞紐が挟まっていた頁から読み始めて、巻末まで行ってしまった。次回は頭から読み始めて、今回読み始めた地点で読了となる。独自読み始めの「酒宴」、すごい酩酊ぶりでほとんどビートニク文学。以下、印象に残った箇所を、吉田健一bot風に。「作法不作法」p190「酒」、「茶ノ湯はやはり、茶の凝った飲み方と善意に解釈して置いた方が、誰にも傷が付かないですむ。」。p196「付き合ひ」、「男は女に、又女は男に接するとみづみずしくなるとチエホフも言っている。」。p218「わが人生処方」、「鴎外は、常識なくを恐れず、学識なくを憂へると言つた。」、p223「科学は、進歩するといふのがその一つの定義なのだから、勝手に進歩させて置けばいいのである。」、p224「人間はさういふものの為なら戦ふし、仕事もする。祖国の為に戦ふといふこともあるが、その祖国といふのは故郷の丘をきらきら光る葉で埋める葡萄畑であり、その向うに横たはる紺青の海であつて、それを思ふだけで胸が高鳴るのを覚える点では、やはり五人前の生牡蠣のやうなものである。」、p225「魂を失はずに生きて行く為に、肉体的な楽みに執着することが必要」、p228「耳を澄ますと、自分の体が動いているのが聞こえるものであつて、それを聞いてゐるのが幸福な状態にあることなのだと思ふのである。」。「酒を道連れに旅をした話」p231、「戦争前に、小遣ひが七十円溜ると、早速「つばめ」の三等で京都、奈良の仏様を拝みに行つてゐた頃」、志賀直哉日記にしばしば登場する吉田健一がこの吉田健一なら、吉田の旅程表には、志賀邸訪問が組み込まれていたのではないか。「芸術の実状」p309、「芸術や娯楽に進歩などはないので、逆戻りが、復古が、常にその最も健全なあり方なのである。」。本当に、吉田が村上春樹を読んだらどう評しただろうかと思う。てか、村上は吉田の正統的な後継者のような気がしてきた。

20220825
『梅棹忠夫著作集 第5巻 比較文明学研究』(中央公論社 1989)。p1~230「文明の生態史観」了。p145「歴史というものは、生態学的な見かたをすれば、人間と土地との相互作用の進行のあとである。べつなことばでいえば、主体環境系の自己運動のあとである。」。p180「まえに、堀田善衛さんは、こういうことをかいていた。/「謙譲の美徳が精神生活の基調を支配するところはビルマまででおわり、インドから西は、自己主張の美徳が支配するのだ」(註)と。」(註)堀田善衛(著)『インドで考えたこと』(岩波新書)1957年。p198「日本では、宗教施設には苔がはえていても、機械類はいつもピカピカにみがかれている。」。p224「一般に、宗教には、教理と儀礼のふたつの要素がある。(中略)しかしながら、宗教現象には、教理および儀礼の側面のほかに、その社会的機能という側面がある。教理および儀礼を、宗教の内容をなすものという意味で、宗教の内的側面とよぶことにすれば、後者をその外的側面ということができよう。」。教理=ビリーフ、儀礼=プラクティスとして、社会的機能を何と呼ぼうか。ソーシャル・ファンクション?ビリーフは、宗教学の、プラクティスは民俗学の、ファンクションは社会学や歴史学の研究対象領域なのかな。全部合わせて、梅棹の言う比較宗教論(学)なのか?

20220826
『岩波講座 世界歴史 06 中華世界の再編とユーラシア東部 四~八世紀』(2022)。隋唐という日本(史)でも馴染の深い名称が出てきて、ほっと一息。21世紀に入ってからの知見が盛り込まれた、鈴木宏節「トルコ系遊牧民の台頭」文が面白い。「国家」の形は様々だと改めて思った。そろそろ「日本」成立。

20220827
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)。「翼賛運動の学問論 杉靖三郎・清水幾太郎・大熊信行」。キラーフレーズがいっぱい出たぞ。p242、杉靖三郎文の引用中に「この具体から抽象への道を『学』と言ひ、抽象から具体への道を『術』と言つてゐる」。p253「「最寄会」が「隣組」とよびかえられるようになったのであるが、隣組の常会のもちかたについては、中央からこまかい指示をあたえないと「自由主義」の習慣にそまった東京都民にはしみわたらなかった。」、戦前もいろいろ。p260、清水幾太郎(1907-1988)を評して、「この異常な敏感さと、不屈な勇気とのくみあわせが、清水を、昭和時代を代表する文章家にした。」。p279、「ある意味ではこのころの満洲国は、日本にとっての先進国であった。」。大熊信行(初めて知った)の小樽高商教授時代の学生の一人が小林多喜二だそうだ。だからどうなのかは一読しただけではわからない(力不足)。清沢冽『暗黒日記』読んでみようと思った。

20220828
司馬遼太郎『街道をゆく 1 新装版 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか』(朝日文庫 2008)了。講談社版『村上春樹全作品』全巻読了し、村上読書は若い頃からでもう充分、新たな知見もそうなかろうということで、書き手を変えることにした。で、司馬なのかよ、という話になりそうだが、『街道をゆく』全43巻のみ再読して、その後はまた書き手を変える予定。なぜ『街道をゆく』なのか?昨年秋から旅行ずいていて、旅行ガイドとして。実はブックガイドでもあり。あともひとつ、1971年連載開始で、それから四半世紀後の1996年まで書かれたシリーズなので、その時期のことを考える上での里程標にと思い。

20220829
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。昭和16(1941)年、宮37-38歳。p261、6月22日「独国、愈蘇聯と交戦を初め、ウクライナに作戦線をむける。/独がかてば沿海州、北樺太、カムサッカ、コンマンドルスキをもらへばよいと、とらぬ狸の皮算用は誰れもすきらしい。」。まったくだ。

20220830
『網野善彦著作集 第三巻 荘園公領制の構造』(岩波書店 2008)始。全十八巻のうち、第四巻までが、荘園関係(どういう関係だよ)。なので、内容が頭に入ってこなくて(悪いのは自分の頭)、泣きながらの読書が当面続くことになろう。月報所収の荒井信一「網野善彦と共有した「戦後」」文が興味深い。

20220831
『開高健全集 第6巻』(新潮社 1992)始。「輝ける闇」了。ベトナム戦争のことも知っているようで何も知らない。1964から1975年まで続いたということで、自分にとっては小一から高ニまでの期間。同時期のことなのにほとんど意識しないままで終わった。今もそんなような状況かもしれない。悩ましいね。

20220901
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)。開高のベトナム入りは戦争が始まってすぐなのか。その1964年前後、『The Feynman Lectures on Physics』が刊行される。1961-1963年のCaltechでの講義を基にしたのだと。1965年ノーベル物理学賞受賞。

20220902
橋本治『とうに涅槃をすぎて』(徳間文庫 1984)始。巻末に「この作品は橋本治氏がとくに徳間文庫のためにまとめられました=編集部」とある。「当国宗教戦争掌史—若者文化と宗教に関する、あるムツカシイお話」、p59「<大人>という”宗教”が正統(カソリック)と化したから、それに対抗するものとして<若者>という新教徒(プロテスタント)が登場した。実に七〇年代初頭の若者文化(カウンター・カルチャー)が抗議(プロテスト)ばっかりしたというのは、あれが新旧対立の宗教戦争だったからである。」。ほんまか。単純化が過ぎん?1948年生の橋本の実感なのだろうが。自分は1958年生なので。

20220903
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「流竄録」(1894)中「新英洲学校生涯」。いかにも鑑三らしい箇所、p75「「カレツヂ」的教育を称して liberal education(宏闊なる教育の意)と言ふは是に基けり。」、p88「予は素と儒教を以て育て上げられしもの」、p95「学問は予の常性となれり」。

20220904
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)了。p642「内村鑑三が「いずれの人種も国を作るに適しているものではない。ある人種のごときは国家を組織する能力を欠いているように見える。(以下略)」、この辺、同時進行読書中の梅棹忠夫の「文明の生態史観」が思い浮かぶ。

20220905
『漱石全集 第六巻』(岩波書店 1994)始。「それから」(1910)了。高校時代の現代国語の教科書に同作の抜粋版が収録されていて、それで授業も受け、いつか全編読みたいものだと思いつつ過ごし、50年弱後ついに全編読了。漱石作品の主人公達は、21世紀にも現代人であり続けているとの感を強くする。

20220906
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)。「海南小記」(1925)、浪人生をしていた頃(札幌在住)、なぜか同作の文庫本を買って(角川文庫だった)、一度通読したと思うが、当時の自分には内容が高度過ぎて難儀した記憶がある。40数年経って、それなりついていけるようにはなったみたい。続ける。

20220907
ディネセン/横山貞子訳・チュツオーラ/土屋哲訳『アフリカの日々・やし酒飲み 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-08』(河出書房新社 2008)始。「アフリカの日々」(1937)、北欧出身の作家が、植民地農場経営者時代の見聞経験を綴ったもの、という理解でよろしいか。惹き込まれる。なぜだろう。

20220908
『寺田寅彦全集 第六巻 科学2』(岩波書店 1997)了。「日本楽器の名称」(1928)、p186「シベリアの一地方で込むすというのは、膨れた胴に皮が張ってあるが、絃は二本で五度に合わすとある。」と突然出てきてびっくり。p187「このププホルと『徒然草』のいわゆるボロボロ」とは?第115段のボロボロ?

20220909
永井荷風『荷風全集 第五巻 ふらんす物語』(岩波書店 1992)。「ふらんす物語」(1909)。漱石「それから」の同時代作品。漱石1867年生、荷風1879年生だが、荷風作品が前近代的・大時代的に感じられるのはなぜか。あと、荷風にはユーモアのセンスに欠ける印象が。自己愛は自己を諧謔の対象から除く?

20220910
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)。第2部現代の経済>第3章日本経済の発展と国民福祉の向上。1戦後日本の経済成長、わずか6pの中に約75年間の経過が手際よく記述されて。p165「最近の経済情勢」「約20年も続いたデフレ・低成長経済」の果ての今現在。どんな未来が。

20220911
『志賀直哉全集 第十五巻 日記(五)』(岩波書店 2000)了。昭和26(1951)年、志賀68歳、「大洞台日誌」。志賀日記中の白眉では。大晦日「到頭一年間の日誌をつけた、生れて初めての経験である。(中略)来年も日誌は続けよう。」いい歳をした大家が素直に喜びを表明する。志賀のこういうとこ好き。

20220912
『谷崎潤一郎全集 第7巻』(中央公論新社 2016)始。『女人神聖』(1920)所収の「女人神聖」「美食倶楽部」。関西定住後はじめて、谷崎は谷崎になるんであって、それまでの東京期は習作時代と勝手に思っている。その変態性と芸術性は生涯変らなかったとしても。生涯一変態。見習って生きて行きたい。

20220913
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。「十七」小見出し「住民の年齢別内わけ 流刑囚の家庭状況 結婚 出生率 サハリンの子どもたち」。p420「性欲の充足がしばしば唯一の考えられる慰めであるような生活の単調さ」、これは同時期の北海道も当てはまるかも。p422「植民地には外来者も土地っ子も居残ることがないので、サハリンの監視所や村々はみな、現在までのところ、植民地というよりは、一時的な定住地と呼ぶほうがふさわしい。」、これは同時期の北海道にも当てはまるのかどうか。「一時的な定住地」、日本史の歴史用語でいう「寄留地」ってことか?

20220914
『民家採集 今和次郎集 第3巻』(ドメス出版 1971)。「関東」了。やはり「東北へのまなざし 1930-1945」展を回顧しながら。p91、1922年頃の民家・民俗調査には、柳田国男・ネフスキーらと同道。他、p95には高崎滞在記のブルノ・タウトの名前、p104にはグロピウスを養蚕農家に案内した話が登場する。

20220915
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)。「木喰五行上人畧伝」附録の「上人発見の縁起に就て」(1925)が秀逸。柳の膨大な著述の中で最重要なのではなかろうか。「民藝」という言葉が誕生するのは翌1926年だが、「民藝」の精神・神髄が文中に溢れている感。柳は木喰でも覚醒したのか。

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