「サンティン市長の挨拶」デマ調査(2)

前回のエントリで調査を始めた「サンティン市長」デマの続報です。
とりあえずわかったことは、「オーストラリア在住の折り紙インストラクター」を自称するネトウヨが、本当だった!アムステルダム市長の言葉という2016年のエントリで書いた「実際にその場にいて聞いた方の手記」というのはデマでした。

このアムステルダム市長のスピーチを実際にその場にいて聞いた方の手記を、なんと資料の中から見つけました。

日本は世界を平和にします
本当だった!アムステルダム市長の言葉

国会図書館から複写が届いた

上記ネトウヨブログでは、ある資料が『南十字星の下で : インドネシア慰霊紀行集』(独飛70マラン会)を引用しているから、その『南十字星の下で』に直接聞いた人の手記が載っている、としています。
そこで、国会図書館で『南十字星の下で : インドネシア慰霊紀行集』の当該部分を調べてもらい、複写を取り寄せました。
複写は5ページ分だったのですが、見開きで複写しているので3枚分です。
手数料を入れて477円(払い込みで110円かかったので587円)の支出です。

国会図書館から届いたコピーに同封された請求書

『南十字星の下で 』に書かれていたこと

『南十字星の下で」に収録されているという「引用元」は、この赤坂進氏の書いた記事です。

『南十字星の下で』より

この記事で赤坂氏は「大東亜戦争の評価」という節を設け、戦争当時「インドネシア人の大部分が親日的であった」とし、「終戦によって事態は一変した」と書いています。
そして「第三者の大東亜戦争に対する考え方の一端を窺える」として、鄭春河の『嗚呼大東亜戦争』を引っ張り出しているのです。件の「アムステルダム市長の挨拶」はその中からの引用になっています。
要するに、コピペが繰り返されているのです。
当該部分を貼っておきます。

『南十字星の下で』より
『南十字星の下で』より

鄭春河

さて、この鄭春河というのは旧日本陸軍の志願兵だった台湾人で、戦後は日本の植民地支配や侵略戦争の擁護を繰り返し、反動極右界隈に持て囃されてきた人物です。彼の『嗚呼大東亜戦争』もネトウヨ論壇があちこちで出典に挙げている「ネタ本」の一冊です。

「日本の古本屋」より

『嗚呼大東亜戦争』はみづほ書房から1994年に刊行されています。そして、赤坂進氏の引用によれば、鄭春河は「この一文を1993年の御歳暮として小曽川首相に贈呈します」と書いているらしいのです。

前回エントリの調査で、この「アムステルダム市長の挨拶」は1991年のものとされていますから、時系列としては整合しています。
しかし、前回エントリにあった「浅井啓之氏が1994年3月24日に書き起こした」という話よりも前のことになります。

このアムステルダム市長の挨拶文は、現地で直接聞かれたのは、元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)です。
(ゴジラズワイフは交流がありました。)そして文章は(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成したものです。

「ガオガオ戦略研究所」より

この「浅井啓之氏が作成した」という文章がどこに所収されているのかは確認できませんが、少なくとも鄭春河『嗚呼大東亜戦争』のほうが多くの目に触れていると思われるので、今のところ「アムステルダムの光芒」デマの出典としては、鄭春河『嗚呼大東亜戦争』がいちばん有力なように思えます。

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