「サンティン市長の挨拶」デマ調査

猖獗を極めるデマ

このエントリは「サンティン市長の挨拶」などとして有名になったデマについて、その出所を調べてみたものです。(結論は出ていません)

日本の極右界隈は、日本のアジア侵略をアジアの指導者たちが「感謝している」とか、欧米人が「悪かったのは欧米諸国だ」と言っている、という情けないデマを流しています。
加瀬英明とか、死んじゃった名越二荒之助とか、いろんなデマ屋がいて、そういうデマを孫引きしているのが、書店に並んでいるネトウヨ雑誌とかネトウヨ本です。
この「サンティン・アムステルダム市長の挨拶」も、そうしたデマのうちの一つで、ネトウヨさんたちが「アムステルダムの光芒」なんて言って、ブログや動画にしています。

「サンティン」と呼ばれているのは、実はアムステルダム市長を務めたEd van Thijnさんのことみたいで、今では「ヴァン・ティン市長の挨拶」などと呼ばれることが多いです。
なぜ「サンティン」だったのかは、よくわかりませんが、どのみちネトウヨの流すデタラメなので、そのへんはどうでもいい気がします。

デマの概要は、日本会議のサイトから引用すると、こんな感じです。

■オランダ
◎サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇り取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

日本会議 オピニオン「世界はどのように大東亜戦争を評価しているか」

実際はいろんなバリエーションがあり、全体ではずっと長いのですが、最近では「挨拶」の最後に「現在、日本に謝罪と賠償を求めている国は、日本と戦っていない中国共産党と南北朝鮮だけです」という酷い一文を加えたバージョンもよく目にします。

産経新聞なんか、臆面もなくこの話を掲載して、デマにお墨付きを与えています。

クリックすると産経新聞のページに飛びます

出所は浅井啓之氏?

言うまでもなく、アムステルダム市長がこんなことを言うわけがなく、明らかに「デマ」なのですが、ネット上ではこれのコピペがたくさん出回っていて、このネタでYoutube動画も作られています。
「アムステルダムの光芒」というのは、Youtube動画のタイトルで使われている文句のようです。

ちなみに、ヴァン・ティン氏は1934年に生まれたユダヤ人で、戦時中に少年期を過ごし、1983年から1994年までアムステルダム市長を務めた後、オランダ内務大臣になっています。(2021年に死去)
こんな話が出回っているのは、彼の名誉を著しく貶めることだと思いますし、この話がどこから生まれたのか、気になります。

ネットで検索してみると「ガオガオ戦略研究所」(ゴジラズワイフの掲示板)という個人サイトが、2001年1月にはこの話を載せています

このアムステルダム市長の挨拶文は、現地で直接聞かれたのは、元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)です。
(ゴジラズワイフは交流がありました。)そして文章は(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成したものです。

「ガオガオ戦略研究所」より

もう閉鎖されてしまった個人サイトなのでWebArchiveに残っているだけですが、サイト主は右翼団体と近い人物のようで、オランダへ行った溝口平二郎氏と「交流があった」と書いていますので、これがかなり出所に近いのかもしれません。
しかし、浅井啓之本人が書いたものがどこにあるのかは、ネット上で見つけることはできませんでした。

溝口平二郎氏の存在は確認できた

浅井啓之は、オランダを訪問した溝口平二郎氏が聞いた挨拶を書き起こした、ということになっています。

前掲した「日本会議」のサイトにある記述では、日本傷痍軍人会の代表団は「1985年にオランダを訪問」したことになっていますが、他のサイトによると「平成3年(1991年)」となっています。
Ed van Thijnさんがアムステルダム市長だったのは1983~1994年1月なので、どちらもあり得るのですが、「日本会議」の1985年は書き間違いでしょう。

溝口平二郎氏については、ネットで調べてすぐに出てきました。
抑留の経験などを綴った「シベリア帰りの苦難」(PDF)という平成6年(1994年)の手記に、掛川市傷痍軍人会の会長をしていると書かれていますので、傷痍軍人会の一員として1991年にオランダを訪問していても、おかしくありません。

しかし、浅井啓之氏と溝口平二郎氏のどちらについても、「アムステルダム市長の挨拶」について本人が書いたものは、ネット上には見つかりませんでした。
「日本国防協会」の理事だったという浅井啓之氏が、機関紙などの媒体に書いたのでしょうか。
いずれにせよ、この筋ではネタの出所に辿り着くことができていません。

Youtube動画に「中国共産党と南北朝鮮」の煽り

その後になって、Youtubeでは2011年9月に「アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】」という動画が投稿されています。
前掲の個人サイトから10年も経っているのですが、この間に「サンティンという市長はいない」という話があちこちで出て、動画では「ヴァン・ティン市長」に改められ、本人の写真も使われています。
また、「日本に謝罪と賠償を求めている国は、日本と戦っていない中国共産党と南北朝鮮だけ」という煽り文句が追加されているのも確認できます。

投降者はotakesan22という2011年6月に登録したネトウヨで、9月にはこの動画を投稿しています。

アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】

そして、2013年にこの動画を紹介したブログに「溝口平二郎氏が市長の挨拶を録画しており、それを浅井啓之氏が書き起こした」というコメントが付いています。

林田明大の「夢酔独言」コメント欄より
(画像クリックで元記事へ飛びます)

これはどこから出てきた話なのかGoogleによる検索だけでは、元が辿れませんが、市長挨拶の「録画」という話が加わりました。

誰も見たことがない「ヴァン・ティン市長挨拶の録画」。
(それはオランダ語なのでしょうか、英語なのでしょうか)

ともかく、オランダを訪問した日本傷痍軍人会の代表団に加わっていた人が、誰に何を伝えたのかが気になります。

オーストラリアから

で、オーストラリア在住「折り紙インストラクター」を自称する有名ネトウヨのブログに、本当だった!アムステルダム市長の言葉という2016年のエントリを見つけました。

悪名高い人物

このブログエントリによると「日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時のサンティン市長による挨拶」を、代表団の一員である赤坂進氏が書き残したという文献の存在を示しています。
引用します。

てタイトルにもあるアムステルダム市長の言葉ですが、これはかなり有名ですから、私のブログを読む方はおそらく皆さんご存知なのではと思います。
アムステルダムの光芒
とても感動的な動画ですが、ネット上ではこのアムステルダム市長の言葉はデマであるという噂が流れています。私もずいぶん前にこれを見て感動したところ、デマだから信じない方がいいと言われてがっかりしたくちです。

日本は世界を平和にします
本当だった!アムステルダム市長の言葉
より

ブログではこう続けています。

しかし!このアムステルダム市長のスピーチを実際にその場にいて聞いた方の手記を、なんと資料の中から見つけました。ダーウィンを含めたオーストラリアの戦いの戦没者名を調査し、慰霊ツアーを取り仕切っていた赤坂進氏だったのです。赤坂氏はもうすでに亡くなっておられるので私が直接面識があるわけではないのですが、昨年散骨に来られた河原眞治氏のご遺族が大変な信頼をおき、感謝しておられ、あちこちの資料にお名前がある方です。そしてその赤坂氏の手記に以下の記述があります。

日本は世界を平和にします
本当だった!アムステルダム市長の言葉
より

この出版物はなんだろう?

「資料の中から」って書いているのですが、その「資料」の書名とかは書いてなくて、ページを開いた写真を掲載しています。
どうも一般流通「書籍」ではなく、多数の執筆者が寄稿した、私家版刊行物のような感じを受けます。

日本は世界を平和にします「本当だった!アムステルダム市長の言葉」より
傍線は引用者による

写真を見ると、その文献には「一部だけ抜粋で紹介しておきます」として引用されており、書き出されたものがこれです。

平成三年(1991年)、傷痍軍人会代表団が、大東亜戦争の対戦国であったオランダを訪問したことがある。その時その時、アムステルダムがこの代表団とオランダの傷痍軍人代表を招待して親善パーティーを主催し、両国の傷痍軍人に挨拶をした。 「あなた方日本は、先の大戦で負けて、私どもオランダは勝ったのに、大敗した。
今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続だった。九州と同じ広さの本国だけになり、勝った筈なのに貧乏国になった。私ども白人は百年も二百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土にし、石油などの資源産物で本国は大変な栄耀映画を極めていた。だが植民地で酷使されていた東亜諸民族を開放し、共に繁栄しようと遠大崇高な理想をかかげて大東亜共栄圏という旗印で建ち上がったのが貴国日本だった筈でしょう。日本は敗戦したが東亜の会報は実現した。自分を蔑むことを止め、堂々と胸を張ってその誇りを取り戻すべきであります」と。

日本は世界を平和にします
本当だった!アムステルダム市長の言葉
より

そしてブログ主は以下のように書いています。

しかし、この感動をぜひともブログを読んでいる人達にも感じていただきたいので、ぜひともこちらの動画もご覧くださいね。内容がちょっと違うのはスピーチが翻訳の違いではないでしょうか。赤坂氏はそこまで英語が達者だったわけではないので、簡略にまとめているようです。
アムステルダムの光芒

出典同上(太字は引用者による)

ネトウヨのデマは、とにかくデタラメが当たり前の世界なので、伝言ゲームのようにバリエーションがあって、「内容がちょっと違う」のは日常茶飯事です。

直接聞いた本人が書いたもの?

で、ブログに掲載されていた「資料」の写真には、この「挨拶」の出典が書いてありました。

独立飛行第70中隊の戦友会「マラン会」の出した『南十字星の下で 』となっています。検索したらすぐにヒットしました。
『南十字星の下で : インドネシア慰霊紀行集』(独飛70マラン会)という、平成7年(1995年)の本です。
古書で出たこともあるようですが、現在品切れです。しかし、国立国会図書館が所蔵しています。

ちなみに独立飛行70中隊は、ジャワのマランで終戦を迎えた陸軍の司令部偵察機部隊です。

しかし「インドネシア慰霊紀行集」の記事を書いた赤坂進氏(故人らしい)は、アムステルダムへ行った傷痍軍人会の一員だったのでしょうか?
ブログ主の「ネトウヨ折り紙インストラクター」さんは「実際にその場にいて聞いた方の手記」とか書いていますが、そもそも赤坂氏もどこかからの又聞きを載せているのではないでしょうか?

これを確かめるため『南十字星の下で : インドネシア慰霊紀行集』を見てみることにしました。
古書で買えないので、国会図書館へ複写を申し込みます。
しかし、1冊丸々複写してくれるわけではなく、該当部分を指定しなければいけません。

そこで、上記の資料にあった「挨拶」の引用を示し、「引用された挨拶の当該ページを複写して欲しい」と調べてもらいました。
すると。

赤坂進氏がオランダへ行ったとは思えない

国会図書館からの返事は早かったです。

国会図書館からの回答

「引用」の文章を送って「これが書いてある箇所」ってお願いしたんだけど「そんな書き出しの文章はない」っていう返事です。まあ「抜粋」とされているので、書き出しが違っていたりすることはあるでしょう。

とはいえ、赤坂進氏が市長の挨拶を載せているのは本当のようで、2ページにわたっているようです。
しかも、「大東亜戦争の評価」という節に置かれているようなので、やっぱり日本の侵略を正当化する文脈で書かれているような気がします。
そして、国会図書館から教えてもらった赤坂氏の記事の構成によると、本人がオランダへ行った時の話とは思えません。

国会図書館からの情報

赤坂氏の記事も、きっとどこかからの又聞きを載せているのです。
しかし、『南十字星の下で : インドネシア慰霊紀行集』が出たのは1995年という非常に早い時期で、先に出た「溝口平二郎氏が聞いたものを浅井啓之氏が1994年3月24日に書き起こした」という時期に符合します。

溝口平二郎氏は掛川市の傷痍軍人会会長だったわけですが、この「マラン会」の事務局は、静岡県静岡市上足洗にあったのです。

私設文庫館」さんより

溝口平二郎氏と赤坂進氏には、なにか繋がりがあったのかもしれません。
赤坂氏の記事を読めば、赤坂氏が誰からどのように聞いたのか、わかるのではないかと思うのです。

ということで、このページを含めて複写してもらうことにします。
(赤坂氏の記事は「インドネシア 見たり 聞いたり」と題して10ページに及ぶらしいのですが、著作権の関係でそのうち半分までしか複写させてもらえません。)

複写してもらうには、なにやら資料を「修復」する時間がかかるらしくて、まだ申し込むことができません。
国会図書館の準備ができたら申し込むつもりです。(もちろん有料です)
(つづくよ)

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